2017年05月11日

北朝鮮と日本、そして新満州国

 



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何かと騒がしい朝鮮半島ですが、いよいよ5月中に「核戦争?」とまで囁かれており、平和な日本列島の春の陽気の裏で開戦前夜の緊迫したムードが漂っています。



正直、一般的な日本の歴史にさえ疎い自分にとって北朝鮮の歴史はもっとさっぱりであり、これまでの三世代トップ「金日成(キムイルソン)」「金正日(キムジョンイル)」「金正恩(キムジョンウン)」の名前を聞いても、いつも名前と顔が混乱するほどあまり興味も持っていません。



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少し調べると、近代の朝鮮半島は日本が統治しており、それが第二次世界大戦で日本が敗戦となると南北に分かれて統治され、南をアメリカ、北をソ連が管理したそうです。



なので、北朝鮮を作り出したのはソ連というのが一般的に知られている歴史のようです。



そして、初代総書記の金日成の孫にあたる金正恩が今は代表となって北朝鮮を率いてますが、表のニュースにはまだほとんど出てこないものの、この三代目の金正恩と父親の金正日は、日本人ととても関係が深いというのは、一部の世界ではとても有名な話です。



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「金正日(二代目)の父親は、金日成ではなく旧日本軍の諜報員、右翼団体の黒龍会の畑中理(金策)であり、旧日本軍が北朝鮮を建国した」

「金正恩(三代目)の母親は、高英姫ではなく拉致された横田めぐみさんである。横田さんは皇族の血を引く」




以前より、こんな都市伝説のような噂が飛び交っており、普通なら「トンデモ話」として片付けられそうですが、自分が知る限りにおいては、これらの話はかなり真実に近い部分があるように思えます。



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1392年から1910年までの約520年間27代続いた李氏朝鮮。



その朝鮮王朝最後の「李 垠(り ぎん)皇太子」に嫁いだのが、元日本の皇族(梨本宮方子女王)である「李 方子(り まさこ)皇太子妃」であり、横田めぐみさんの母親である横田早紀江さんは、この李方子妃の娘であるといわれています。



確かに写真を見る限りでは、2人は単なるそっくりというレベルを超えてうり二つと表現してもおかしくはないほどよく似ています。



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そして、この横田早紀江さんの娘、李方子妃の孫となるのが横田めぐみさんであり、その息子が今の北朝鮮を率いる金正恩となります。



確かに父親ゆずりの骨格はありますが、鼻や口元は横田めぐみさんの似ている部分が多くあるようにも見えます。



仮にこれらが真実だとすれば、今の北朝鮮のトップは日本人と言っても過言ではなく、北朝鮮と日本の繋がりは非常に濃いものとなっています。



「なぜ、同じ日本人同士なのに喧嘩しているのか?」



そもそも、現代の日本そのものも明治維新、敗戦によって完全に作り変えられた別の国であり、この150年近くは、旧時代の支配勢力のコントロール下に置かれた状態でありました。



北朝鮮の拉致問題というのも、あらかじめ大きな意図を持った計画のもとに作られたシナリオであり、単純に北朝鮮と日本だけが絡んだ問題ではなく、その背後には、この世界をコントロールしている陰の世界政府が動いています。



聖書の預言に基づき、救世主の到来を信じる彼らは第三次世界大戦を勃発されることが悲願であり、数千年、それ以上とも言われる長い長い歴史の中、いよいよ彼らのプロジェクトも大詰めとなっています。



アメリカも創り、西の問題児イスラエル、東の問題児北朝鮮をも生み出し、一方で日本を潰して、彼らの目指す先は新たな理想郷「新満州国(ネオ・マンチュリア)」です。



満州人、日本人、朝鮮人、モンゴル人、ユダヤ人の五族によってモンゴルに新たな国を建国することを計画しており、これから消えゆくイスラエルの国、そして日本の大変革を経て、数千万人の民族移動を実現しようとしています。



欧米中心の世界統制からアジア圏を中心とした世界統制へのシフト。



その新満州の天皇は、現在の日本の皇族から輩出される計画となっており、いずれにしても平成30年に平成が終わり、2019年からの新たな日本の始まりから、アジア、ヨーロッパ、世界情勢も大きく今の形とは変わっていくことでしょう。



つい先日、いよいよ旧時代の権力者の象徴であるイギリス王室にも変化が出てきました。



エリザベス女王の夫フィリップ殿下が公務を引退する見解を出し、またエリザベス女王本人も、6月に催される国会の開会式で王冠などを被らず、伝統的な衣装を身に着けない方向であるそうです。



エリザベス女王の引退も、そう遠くはないことかと思います。



また、本日が決選投票となるフランス大統領選もどうなることか注目です。



圧倒的にルペン氏が不利となっていますが、ここでアメリカのトランプのように大逆転となればフランスをはじめ、ヨーロッパが大きく変わっていくかもしれません。



日本でも国の今後の行方を真剣に考えている右翼系の人々、左翼系の人々の動きが活発化してきておりますが、一方でどちらにも関心もなく、ただ日々の生活に追われて何も考えずに生きている人もいます。



自分のスタンスとしては、右翼でもなく左翼でもなく、また、ただ無関心というわけでもなく、日本の敵でも味方でもなく、ただ自由が好きなので、この八ヶ岳の地で淡々と生きるために必要なことを実践していくのみです。



日本が戦争に加担するのも嫌ですし、だからといって外国に侵略されるのも嫌ですが、いずれにしても身の回りから自由を剥奪されるのがもっとも嫌なので、日本がどちらに転ぼうにも、自分とは合わないと思えば、この地で自治州を作って楽しく自由に生きる道を選びます。



いずれにしても、5月からは国内外でも様々なことがもう少し具体的に動いてくることでしょう。

 

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2017年02月24日

安倍体制下の日本は戦後最大の危機に陥っている:国民からの受信料で成り立っているNHKは昔のNHKスペシャルを復活させて、天皇制国家主義の危険性を国民に伝えるべき

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2017/2/23(木) 午後 4:49
日米関係
軍事
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新ベンチャー革命2017年2月23日 No.1619



タイトル:安倍体制下の日本は戦後最大の危機に陥っている:国民からの受信料で成り立っているNHKは昔のNHKスペシャルを復活させて、天皇制国家主義の危険性を国民に伝えるべき



1.日本のマスコミがキムジョンナム暗殺事件を報道すればするほど、安倍氏夫妻の関与疑惑のある大阪の軍国小学校創設事件の重大性が浮き彫りになる



 本ブログでは今、安倍氏夫妻が関与していると疑われる大阪の軍国小学校創設・開校問題を取り上げています(注1、注2、注3、注4、注5)。



 ネットでは、この問題がもっとも重視されていますが、日本を乗っ取る米国戦争屋と彼らの傀儡・安倍官邸に監視支配されている大手マスコミはキムジョンナム暗殺事件をもっとも重視しています。本ブログでは、日本のマスコミはスピン・コントロール(注6)をやらされていると観ています。すなわち、上記、安倍夫妻事件に国民の関心が向かわないよう報道自主規制していると言うことです。



 2017年2月23日朝のテレビ報道番組はそろって、キムジョンナム暗殺事件を集中的にやっていましたが、過去に報道されたことのある陳腐な内容を繰り返し流しています。よほど隠したいことがあるようです。それは言うまでもなく、上記、安倍氏夫妻の軍国小学校創設関与疑惑事件でしょう。



 日本国民にとっては、上記の北朝鮮問題より、安倍氏夫妻事件の方がはるかに重大です。そのことを安倍官邸もマスコミもわかっているからこそ、この事件の真相を国民に知られたくないのです。



 さて、本ブログでは、上記の事件から、安倍氏夫妻は、戦前の天皇制国家主義体制の復活を目論んでいると観ています。そして、それは、安倍氏夫妻独自の意思では必ずしもなく、戦後日本を乗っ取って、属国日本の国民の米軍傭兵化を企む米国戦争屋の意向でもあると観ています(注2)。



なお、上記、日本を乗っ取ってきた米国戦争屋(世界的寡頭勢力の主要構成メンバー)およびそのロボット・悪徳ペンタゴンまたは悪徳ヘキサゴンを構成する日本人勢力の定義は本ブログNo.816の注記をご覧ください。



ちなみに、上記、米戦争屋は今、旧・戦争屋から新・戦争屋に移行しつつあると本ブログでは観ています。そして、新・米国戦争屋(世界的寡頭勢力の主要構成メンバー)およびそのロボット・悪徳ペンタゴンまたは悪徳ヘキサゴンを構成する日本人勢力の定義は本ブログNo.1560の注記を合わせてご覧ください。



2.安倍氏夫妻が復活させようと企んでいるのは戦前の天皇制国家主義体制であるとみんな気付くべき



 1945年、日本は米国に無条件降伏し、戦勝国・米国の命令で、戦後日本が、現在の民主主義国家となって早、70年以上経っています。したがって、民主主義体制しか知らない世代はすでに引退時期に到達しています。ということは、戦前の天皇制国家主義体制下で育った日本人はごく少数になっているのです。



さて、安倍氏夫妻が復活させようと企んでいる戦前の天皇制国家主義が、当時の日本国民にもたらしたものは何だったのでしょうか。当時の日本政府は天皇制国家主義体制の下で、日本国民を召集令状(赤紙)一枚で、戦地に追いやったのみならず、敵国・米国による本土空襲をもたらし、300万人超もの日本国民の犠牲を出しました。さらに、日本軍が海外でもたらした非・日本人犠牲者は500万人超にのぼったと言われています(注7)。そのような悲劇を体験した日本人が今は激減しています。



このような状態に置かれた現在の日本は今後、どうなるか、二通りのシナリオが想定されます。



シナリオA:戦前の天皇制国家主義体制下の日本の実態を知らない国民はあっさり、安倍自民党の企みを受け入れる



シナリオB:戦前の天皇制国家主義体制の危険性を知る日本人が安倍自民党の戦前回帰主義に反対して、安倍自民の支持率が激減する



 本ブログは、上記、シナリオBを強く希望しますが、現実には、安倍内閣支持率は50%以上あり、シナリオAが国民世論的には優勢です、残念ながら・・・・



 一方、ネット住民は政治意識が高く、シナリオBを期待する人が多数派であり、マスコミの世論調査に協力する多数派日本人とは真逆となっています、ただし、マスコミの世論調査に不正がないとしての話ですが・・・。



3.世論調査国民はネット世論ではなく、マスコミの報道に影響される



 かつてのNHKは、NHKスペシャルなど、国民側に立った良質の番組を放映していたのですが、安倍政権になって、ほとんど消えてしまいました。



 本ブログでは、かつての小泉氏も今の安倍氏も、ともに、米戦争屋の傀儡であり、その政権は対・米戦争屋の隷米政権と観ていますが、安倍政権は、小泉政権よりも、さらに劣化していると観ています。その違いはどこから生まれたのでしょうか。



 本ブログの見方では、小泉政権時代、自民党には、野中氏や古賀氏など戦中派が健在で、戦前の天皇制国家主義の危険性に精通していて、米戦争屋の対日要求(日本を戦争国家に戻す)をかたくなに拒否していました。ところが、自民から戦中派が消えた今、安倍自民には、天皇制国家主義体制の危険性を認識している政治家がいなくなったのです。



 そこで、再度、重要になったのが、マスコミの役割です。



 まずは、国民からの受信料で成り立っているNHKが率先して、再度、昔に放映したNHKスペシャルを復活させて、天皇制国家主義の危険性を国民に伝える義務があります。いかに、米戦争屋や安倍官邸からの圧力が掛かっても、昔のNHKスペシャルのような国民側に立つ番組を復活させるべきです。



注1:本ブログNo.1614『安倍氏を認めないネット住人が我慢の限界にきていること:大阪の時代錯誤小学校創設を巡る安倍氏スキャンダルを東京のマスコミが報道しないこと』2017年2月18日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36546049.html



注2:本ブログNo.1615『時代錯誤の軍国小学校開校に安倍氏が肩入れするのはなぜか:安倍氏を傀儡化する米国の戦争勢力が日本を米軍傭兵国家にしようしているからか』2017年2月19日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36548123.html



注3:本ブログNo.1616『時代錯誤の戦前回帰主義者の筆頭が日本国・首相に居座るとは絶句!:安倍氏は日本を乗っ取る米国の戦争勢力に日本人を洗脳して米軍傭兵としてタダで差し出そうとしている』2017年2月20日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36550193.html



注4:本ブログNo.1617『大阪の軍国小学校創設に関与していると疑われている安倍氏夫妻:国民はみんな、安倍氏が親米似非右翼の代表であることに早く気付くべき』2017年2月21日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36552176.html



注5:本ブログNo.1618『大阪の軍国小学校創設への安倍氏夫妻の関与疑惑:大手マスコミもこれ以上は無視できなくなった、テレビ朝日が2017年2月22日朝、遂にこの事件を報道した!』2017年2月22日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36554110.html



注6:スピン・コントロール

http://www.jiten.com/dicmi/docs/k13/24789s.htm



注7:第二次世界大戦の犠牲者

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85



ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm



テックベンチャー投稿の過去ログ

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285/column-top.html


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2017年02月22日

雪のサムハラ神社奥の宮と光のスポットライト

2017年02月19日


 




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2月18日の朝、岡山県津山市賀茂町にある「サムハラ神社奥の宮」へ参拝。



これで3度目の参拝となるサムハラ奥の宮ですが、今となっては全国各地から参拝客が多く訪れ、いつの間にか案内看板までも立っていました。



でも、津山市の地元の人々にはほとんど認知されていない神社であり、100人に聞いても1人、2人知っているかどうかのマイナーな神社となっているようです。



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1月末からハワイへと旅たっている期間、日本全体は寒波に見舞われていたようで中国地方も大雪となり、サムハラ奥の宮へ続く道中も雪が多く積もっていました。



境内に入る道も雪に覆われているだけでなく、大雪の影響で倒木が多くあって中まで進めないようになっていましたので、仕方なく車を置いて歩いて進みました。



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雪に覆われたサムハラ奥の宮の敷地。



左の足跡を辿ると階段があって、その上にサムハラ奥の宮がありますが、本当に大切な場所は階段の上ではなく、この階段下の広場の中にあり、このまま写真中央の木の右を正面に行った先にある結界の貼られた特殊なエリアとなります。



ここで過去2回、大事な神事をさせて頂きましたが、2回とも不思議な現象に見舞われたことがあります。



1度目は、参拝中に「バラバラバラッ」と天気でもあったのに大雨が降っているかのような“音”だけが敷地内に響き渡り、その場にいた全員がはっきり聞いていたのでビックリしました。



2度目の訪問の際は、同じく結界のスポットを参拝後、今度は風も吹かないのに大量の木の葉が回転しながら舞い降りてきて、とても幻想的であり、また祝福されているかのような現象を魅せてくれました。



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3度目の今回。曇り空の中、静まり返った雪景色の中での静かな参拝でしたが、参拝した直後に結界エリアに雲と森の合間から光が差し込み、これまでに見たことのないほど美しい景色を魅せてくれました。



その幻想的なスポットライトの光の時間はわずかに1分か2分の間。明らかに別次元の世界に入り込んだような不思議な感覚が続いていました。



直後に別の参拝客が姿を現すと、照明が全部つけられた舞台のように光は普通の太陽の光に戻って日常の世界へ。



サムハラ奥の宮。高次元の世界の意識が、三次元の世界に出力されて出てくるゲート(出力点)となっている数少ない地球の大事な場所だけあり、やはり、とても不思議な神社です。



個人的には、ここは人が神の意識を少しだけ体験できる貴重なスポットだとも思っています。



結界の貼られたエリアは、行かれればすぐにわかると思いますが、地元の方が大切に管理されているので静かに参拝されると良いと思います。お近くに来た際には是非どうぞ。



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2017年01月02日

波照間島の英雄オヤケアカハチ

 



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―オヤケアカハチの乱―
15世紀末



八重山の各地の豪族が集結し、宮古の勢力と戦うことになる。



■戦前

当時、宮古島全土を統一し、首長になっていた空広(仲宗根豊見親)は、八重山にも力を及ぼそうとしていた。八重山ではまだ按司たちがばらばらで、各地で対等しており、空広に対抗できる力はなかった。首里への入貢に従わない按司たちに、空広は圧力をかけていく。



そこで、オヤケアカハチは按司たちを束ね大きな勢力を作っていく。空広に従おうとする勢力は排除していった。空広味方する獅子嘉殿や仲間満慶山は討伐され、石垣の長田大主の弟たちは殺され、長田大主は古見に逃げていった。

こうしてオヤケアカハチは石垣島全土をほぼ手中にした。竹富や波照間、小浜島なども勢力下にあった。また、オヤケアカハチは貢物をせまる空広に対して、宮古を攻めようともしたという。



■戦争開始

1500年、空広は琉球王府の力をかり、琉球王府の援軍とともに石垣島を攻め、オヤケアカハチと戦う。

首里の軍団は、筆頭大里親雲上や安波根里主直張などを頭とし、久米島の君南風(ノロ)をのせ、46艘、3000人の軍団であった。



2月12日に石垣沖に到着。古見に逃げていた長田大主は先導役となって、空広と首里王府の官軍を誘導していった。

そうして戦いが始まる。

しかし、海岸沿いに陣取るアカハチ軍を前に、上陸することもできず、官軍は苦慮した。当初はオヤケアカハチ軍は優勢であった。



しかし2月19日、夜を狙って首里王府軍が登野城と新川の二手に分かれ上陸する。

オヤケアカハチはこの多勢の作戦に応じることができず、2日間の攻防の末、ついには負けてしまう。

オヤケアカハチは、底原山に逃んこんだところを、討たれてしまった。



この戦いは先島諸島の島々では、日本の戦国時代と同じように、熱く語り継がれている。



今回の波照間島滞在では、ムーの叡智を感じる他にもう1つ重要な訪れる意味がありました。



それは波照間島にたどり着いて初めて耳にした「オヤケアカハチ」という言葉。



「オヤケアカハチ?」



歴史に疎い自分は、これが人名ということもわからず、また人名と聞いても「アカハチ」という響きから昭和頃の近代の人物かと思っていましたが、この人物は今から500年も前、15世紀末から16世紀にかけて活躍した八重山諸島の伝説の英雄の名前でありました。



波照間島生まれのオヤケアカハチ。



海岸に捨てられていた捨て子であり、生まれつき赤髪であったそうです。



その赤髪が不気味に思われて捨てられたとも言われていますが、波照間島の現地で聞いた話では、アカハチは波照間の神職を務める司(つかさ)とオランダ系の西洋人の間に生まれたいわくつきの子供であり、生み落とすことだけが役割であった司は生まれたてのアカハチを捨て、その捨てられたアカハチを拾って育てたのも別の司であったとも言います。



「神の子」と呼ばれたアカハチ。



赤髪の化け物どころか、幼い頃から優れた知恵と能力を発揮していたアカハチはすぐに皆のリーダーともなり、それを幼馴染で憧れながらもライバル心を常に持って一緒に波照間島で育ったのが、後にお互いが本当に戦い合うことになる親友の「長田大主(ナータフーズ)」であります。



波照間島で生まれ育った2人は、やがて石垣島へと渡り、ナータフーズは石垣村の長となり、アカハチは大浜村を拠点に活動することになります。



500年前の当時、今のように日本の一部になっていなかった沖縄諸島はいくつかの豪族に分かれて勢力を持っており、中心は首里王府を構える琉球王朝でありますが、宮古島諸島は空広(仲宗根豊見親)という人物が治め、この2つの勢力が八重山諸島にまで支配を拡大し、年貢の取り立てで八重山諸島の農民達の生活は困窮していたようです。



この圧政に立ち上がったのがアカハチであり、農民の1人という立場でありながらも、自由と平等を訴えて国賊となり、当時の琉球諸島にとって大国である王朝に刃向かったのでした。



そんな国賊討伐に王府から派遣された軍隊は、46隻の軍艦と3000人の兵士であり、戦闘において武器も持たない素人の集まりである300人足らずの農民集団ではまったく歯が立たないレベルの戦争でした。



この討伐の際、八重山側にいる王府軍の総大将であったのが、王府軍についた同郷の親友「長田大主(ナータフーズ)」でありました。



長田大主に追い詰められたアカハチは、底原山の大きな榕樹(がじまる)の木の下で、死に物狂いに抵抗するも多勢に無勢で遂に討ち取られてしまい、最期は首を刎ねられて「オヤケアカハチの乱」は終焉を迎えたそうです。



こうして国賊討伐に貢献した長田大主は英雄ともなって語り継がれることにもなりましたが、一方で八重山側の人々からすれば権力に対して勇気を持って立ち向かったアカハチこそが英雄でもあり、波照間島は異なる立場にある2人の伝説的な英雄の出生地でもあります。



ただ、近年になってからは「オヤケアカハチの乱」の歴史も見直され、本当に単なる国賊であったか疑問の声もあがり、アカハチが民を想って起こした活動を自由と平等を取り戻す独立運動の先駆けとして捉える見解もあります。



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また、波照間島には長田大主を祀る御嶽があります。



波照間滞在では、この長田大主の御嶽が宿泊場所の目の前であり、そこから話が突如「オヤケアカハチの乱」となって2人の英雄の話を地元の人から聞くことになりました。



最大のライバルであり、敵同士であった長田大主とアカハチですが、実際は最後の最期まで親友同士であり、すべてを理解し合っての討伐だったとも言われています。なにせ、長田大主は大切な妹をアカハチの妻に差し出しているほど親密な関係でもあります。



一方で、身柄を捕えるだけで処刑までする約束ではなかったのに、王府が約束を破って処刑したとも現地では逸話があり、アカハチを救えなかった長田大主は、それを晩年まで悔やんで波照間島で生涯を過ごしたようです。



まるで、朝廷の将軍坂上田村麻呂と蝦夷の英雄アテルイのような話でもあり、歴史は場所と時代を移して同じような出来事が繰り返されるだけでなく、同じような魂や宿命を持った人が降ろされ、後世にまで伝わる伝説を残すものだと改めて思います。



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500年前に「神の子」と呼ばれた神童アカハチ。



2000年前に「神の子」と呼ばれたヨシュア(イエス・キリスト)とどこか似た気質と生涯でもあり、イエスもまた納税を強いる役人にたて付き、やがては国を陥れる反逆者して処刑される道を歩みます。



赤髪のアカハチには、どこか渡来人であるユダヤの血が混じっていたのかもしれません。



その霊統や血統は、革命家を輩出する流れを持っていると思います。



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そんな東方の小さな島のイエスとも重なるアカハチの話を聞いたのがクリスマス前の波照間島であり、その後25日のクリスマスには石垣島で子供達の舞台演劇である「オヤケアカハチ」の公演があったので参加してきました。



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この子供達の衣装は、うさとが一部衣装提供を10年以上も前からしており、今回も新たな衣装を40点以上も提供されたので、それを見るのが今回の石垣訪問の1つの予定でもありました。



でもその舞台が「オヤケアカハチ」とはまったく知らなかったので、アカハチと長田大主生誕の波照間島で話を聞いた後、それもクリスマスにアカハチの舞台を見るのは本当に深い意味があったと思います。



今、日本では南の地から再び革命のエネルギーが芽生え始めています。



沖縄が日本から、日本がアメリカから、血の革命ではなく無血革命による大きな維新が再び始まろうとしています。

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2016年11月26日

失われた福音 −『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける衝撃の暗号解読

 



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失われた福音 −『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける衝撃の暗号解読
【内容紹介】

アメリカで大論争を巻き起こした問題作。初邦訳! 2016年最大の衝撃!



「イエスには妻と子供がいた」



神格化されたイエス像を打ち砕いた推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける古文書が、英国図書館に眠っていた。



それは、古代シリア語で書かれた『ヨセフとアセナト』。添え状には、「この秘密に触れることは、命を危険にさらしかねない…」と書かれていた。旧約聖書の登場人物に見せかけたこの物語には、ミステリアスなシンボル、謎めいた祈りや描写が散りばめられている。蜂の巣に血でなぞられた十字架、寝室に現れる天の男、息を呑むほど美しい「神の花嫁」、彼女を狙う「ファラオの息子」…。そして著者は偶然にも謎解きの鍵を見つける。これは、暗号化されたイエスとマグダラのマリアの物語だ…!

イエスの死後、「異端」とされた数々の教派は迫害され、排除された。聖書には書かれていないイエスの人生30年間の空白の真相とは?



闇に葬られた二千年前の信仰の叫びが、ダ・ヴィンチ・コードを上回る衝撃の内容をここに明かす!



アメリカで出版前から大論争を巻き起こした大ベストセラー『ロストゴスペル(失われた福音書)』(THE LOST GOSPEL ~ Decoding the Ancient Text that Reveals Jesus' Marriage to Mary the Magdalene、シンハ・ヤコボビッチ、バリー・ウィルソン共著、2014年)の初邦訳本。(シリア語原文と添え状の翻訳を含む。古文書や関連遺跡など27枚のカラー写真掲載)



序文より引用:

「これからあなたは推理小説を読むようにこの本を読むことになるだろう。我々は、暗号化され、隠された意味を持つ古文書を発見した。これを読み解きながら、我々は読者を謎めいた古文書の世界にお連れしたいと思う。バチカンが恐れていたことは現実となってしまったのだ。『ダ・ヴィンチ・コード』の著者、ダン・ブラウンも薄々気づいていたことだが、イエスがマグダラのマリアと結婚し、子供ももうけていたことが、今ここに、文書の形で証拠としてある。さらには、この新たな発見によって、初期イエス運動とはどのようなものだったか、そしてその中で男女の性的関係が意外な役割を果たしていたことなども、わかってきた。そして、イエスの磔刑の裏にあった政治的策略や、それに関係する事件や人物像までも浮かび上がってきたのである。…」





ダ・ヴィンチ・コードシリーズの第3弾となる話題の映画「インフェルノ」が上映されている最中、あのダ・ヴィンチ・コードのフィクション小説が現実ともなる証拠を解読した本が日本でも翻訳されて登場しました。



その名も「失われた福音」という本。



原文を直訳したタイトルは『失われた福音書 ー イエスとマグダラのマリアとの結婚の秘密を明かす古代の文書の解読 ー 』となっており、ずばり内容はイエス・キリストとマグダラのマリアが夫婦であったことを証明する暴露本であります。



詳しくは本著を是非ご一読頂けたらと思いますが、かねてより、イエスとマグダラのマリアは、イサヤとナザレという本名があって二人は夫婦で子供もいたことを伝えてきましたが、ようやく世間一般でも、それが単なる都市伝説や夢物語でもなく、現実的に過去の歴史上であり得た実話であることが認識されつつあります。



イエス・キリストを神の子とした一神教中心の時代から、新しい時代に入った今は1人ひとりの内側に神が存在していることに多くの人々が気づき始めており、その流れが近い将来に現代の宗教文明の時代に終止符を打ち、その中枢にあるバチカンの崩壊が差し迫っていることを予感させます。



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「イエスに妻がいた」という見解は、何も今に始まったことでなく、近年では2012年にローマで開かれた学会の中で、ハーバード大学のカレン・キング教授が「キリストは彼らに、私の妻だと言いました」と書かれた古い文献を発見したことを発表しています。



この文献は古いパピルス紙にコプト語という古代文字で文章が書かれており、2年間にもおよぶ厳密な調査をもとに書かれた時代を調べると、この紙片が書かれたのは6世紀から9世紀であると認定され、現代に書かれた偽造の文献ではないことが証明されています。



この内容が、それまで信じられてきた「イエス・キリストは生涯独身であった」という事実を覆すものとなり、この文献は「イエスの妻の福音」という名がつけられて世界中で大きな話題となりました。



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そして、そのイエスの妻はマグダラのマリアであるという結論になっています。



いよいよ小説や映画の世界だけでなく、この現実世界の中で着実に今までの常識が覆されようとする流れが始まっています。



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天下泰平:「ダ・ヴィンチ・コード」とキリストの末裔



「ダ・ヴィンチ・コード」では、イエス・キリストは人の子でありユダヤ人の1人の男性であって妻がマグダラのマリアであったことを伝えていますが、この「失われた福音」では、もっと踏み込んで、さらには伴侶となるマグダラのマリアとの男女の交わりを通して、宇宙の不調和を調和させる役割を果たしていたとも伝えています。



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陰陽統合の時代の最たるものである男女の融合。



その真実は性のタブーが明らかになる時であり、歪められたり封印された男女の性の真実が表に出て、祈りや神事であった性行為の本質が世の中にも認知される時が来たのだと思います。


ソフィアという神が、男性と関わることなくヤルダバオトという子供を作ることによって、男女を対とする根源法則である宇宙のバランスを乱した。

宇宙を救うには、人間の姿をしたイエスと人間の姿をしたソフィア(マグダラのマリア)の性的関係が必要だった。

『魂の解釈』というグノーシス主義の書物では、男女が性的関係を持つと、それは1つの生命となると言っている。つまり、二人は象徴的に、男と女に分かれる前の元の人間の姿、神が最初に創造した形に戻るのである。この意味で、聖なるセックスとは、男女の間に出来た亀裂だけでなく、人間と神の間にできてしまった亀裂も直す方法なのだ。(「失われた福音 第十一章 史上最高の結婚式」より転載))



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※グノーシス主義のシンボルマーク(太陽十字)



ここで登場する「グノーシス主義」とは、現在のキリスト教を信仰するパウロ派とは正反対の信仰を持っている宗教の一派であり、キリスト教初期の頃に多くの人々に影響を与えていた「もう1つのキリスト教」であります。



グノーシス主義
イエスとマグダラのマリアの信仰的な意味合いは何だったのだろう?



信者にとってどのような意味があったのか理解するためには、もう一つのキリスト教の形態、つまりグノーシス主義を知る必要がある。



「グノーシス」とは、ギリシア語で「知識」や「洞察力」という意味だ。

グノーシス主義は「正統派」や「カトリック」について行かなかった教派だ。



キリスト教の主流の教会はイエスと結婚については深追いせず、マグダラのマリアをないがしろにした(6世紀には、マリアは回心した娼婦という事になっていた)。



一方グノーシス主義にとって、世界で一番重要なことは、イエスとマグダラのマリアの結婚だった。

それが、人類救済の基礎だった
のだ。



これは、「キリストの受難」、つまりイエスの苦しみと死に焦点を合わせた、人々によりなじみ深いパウロの教えとは全く対照的なので、奇妙に思う人もいるかもしれない。



言い換えると、キリスト教初期には、イエスの信者には少なくとも二つの選択があった。



グノーシス派、あるいはパウロ派だ。



グノーシス派にとって、イエスの結婚と性生活は彼の伝道の中心的役割を果たしていた。



パウロ派にとっては、イエスの禁欲、苦しみ、死と復活が鍵だったのだ
(「失われた福音 第十一章 史上最高の結婚式」より転載)



もちろん今の西暦に象徴されるキリスト文明は、真逆のパウロ派が実権を握っており、グノーシス主義は異端であるとされていますが、日本でも古事記や日本書紀が真実ではないことが明らかになりつつある今、世界20億人以上の信仰のもとであるキリスト教もまた本当のことがこれから明らかになることでしょう。



また、本著では、当ブログでも伝えてきたように、イエスはローマ兵とマリアの子だった可能性があるという分析も示しています。


パンテラという男がマリアを妊娠させたのであり、この男はローマ兵だったとされているのだ。

つまり、イエスはマリアとパンテラというローマ兵の不義の交わりから生まれた子供だという事だ。



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ところで、本著を読んでいて興味深いと思ったのは、イエスとマグダラのマリアの結婚式のことであり、その場所が先日に訪れて自分たちも思わぬ展開で予定していなかった結婚式が執り行われたイスラエル北部の「ガリラヤ」であると書かれていた点であります。タイミングといい、偶然にしては面白いものです。


新約聖書で、二人が結婚していることが読み取れるのは、マリアが処刑の場と、埋葬の場に居合わせたという二箇所だ。聖書の全ての福音書によれば、マグダラのマリアはイエスの家族の他の女性たちと、磔刑の場にいた。もしマリアが妻でないのなら、なぜそこにいたのか?



さらに4つのうちの3つの福音書によれば、処刑後、マグダラのマリアは、埋葬のためイエスの裸体を洗い香油を塗りに行く。もし妻でないなら、彼の裸体に触るなどという事ができるだろうか?



1世紀のユダヤ教の習慣では、男性がいない場合は、家族だけが死体に近づくことが出来た。



つまり、おそらく紀元15年あたり、イエスがおよそ20歳、マグダラのマリアがおよそ18歳の頃に、二人は結婚したに違いない。



恐らく、二人が住んでいたガリラヤ、そして、『福音書』に唯一婚礼の場面が書かれその舞台となったカナで婚礼が行われたのかもしれない。他の婚礼のように、村中の人が集まる、喜びに満ちた出来事だったに違いない。(「失われた福音 第十一章 史上最高の結婚式」より転載))



今年に入ってからのテーマはとにかく陰陽統合、男女融合であり、さらに9月9日に木星の天秤座入りとなってからは、地球は来年10月10日までスピリットメイトとの出会いや融合が加速する大恋愛時代となっています。



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スピリットメイトの象徴であった2000年前のイエスとマリア。



「失われた福音」は、新約聖書では出てこないイエスの30歳までの人生について触れていますが、さすがに処刑後の人生については深くは触れていません。



まさかイエスは生き延びていて、その先に二人は落ち合って、それぞれ別ルートで日本を目指しており、そして実際にイエスが日本までたどり着いていたとは夢にも思っていない人々が多いと思いますが、この流れでいくと、そんなこともバチカンが公式に認める日が来るのも遠くないかもしれません。



ただ、その前にファティマの第三の予言のようにバチカンの崩壊、宗教の時代の終わりが来るかもしれませんが・・・。



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天下泰平:前前前世からのスピリットメイトの出会いを描いた映画「君の名は。」



映画「君の名は。」は、まさにこの2000年越しの二人のスピリットメイトが現代で巡り合って1つになったことを表現したストーリーであったことは以前にもお伝えしました。



今年は、春にカラヴァッジョ展で「法悦のマグダラのマリア」が世界で最初に日本で公開され、夏にヒロイン映画「君の名は。」が大ブームとなり、そして秋にはイエスの妻の証拠となる「失われた福音」が日本で発売。



次々に封印された女神が今このタイミングで日本から表に飛び出し、このエネルギーのもとにはセオリツヒメなど古代の神々が深く関わっています。



一見何も変わっていないような世の中ですが、着実に見えない形での変化が急ピッチに起こっており、臨界点を突破した時にリアルな現実も大きく変わる時がきます。



激動が予想される2017年は一体どういった真実が明らかになってくるのでしょうか。



まずはイエス・キリストとマグダラのマリア。この2人の真実の行方がこれから先どうなっていくかを注目しておくと時代の流れがよくわかってくると思います。

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2016年07月14日

守りたまえ、ダビデの王統を

     
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徳川家康を祀る日光東照宮。



かの有名な「眠り猫」の門をくぐると奥社へと続く階段があります。



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奥社の裏には、重厚な青銅の門があり、その奥に八角(八芒星)に組まれた石段の家康の墓があって、そして、その前には、亀の上に乗る鶴の像があります。



夜明けの晩に鶴と亀がすべった鶴亀統合の「鶴亀(つるき)=剣」



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ただ、ここには鶴亀像以外にも興味深い像があり、鶴亀像と対の反対側には「壺」の像があり、そして両者の間には「箱」のような台の像があって、その上には「獅子」“玉”を持ってたたずんでいます。



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古代ユダヤの契約の箱「失われたアーク(聖櫃)」「獅子」



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獅子はユダヤ12支族の中心部族である「ユダ族」のシンボルであり、ユダ族はダビデ王の系統、ユダ族のいた南ユダ王国はエルサレム(現在も市章は獅子)もあり、アークが保管されていた神殿もあった場所です。



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そして、アークの中に入っているユダヤ三種の神器の1つ「マナの壺」



イザナギは古代ヘブライ語で「イシュァナギ」

その意味は「守りたまえ、ダビデの王統を」



イザナミは古代ヘブライ語で「イシュァナミ」

その意味は「守りたまえナミ(ダビデの祖母)の血筋を」



ユダヤ王家ダビデの血筋は、日本人へと引き継がれていると言われています。



鶴と亀、日本とユダヤ、秦氏と物部氏。すべての統合が終わった今、日本から世界の統合が始まります。 

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2016年05月28日

キリストは「時は近づけり」と申しましたが、今は既に時は「来た」のであります

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キリストは「時は近づけり」と申しましたが、今は既に時は「来た」のであります



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テーマ:地上天国・神の国

みなさん、おはようございます。今朝の神界に佇立される現人神大塚寛一先生の「深遠な御教え」は、「ロニ如是我聞」ではなく、昭和11年に発刊され、現在国会図書館で閲覧可能な「暗夜の光明」の原文ロニ写経版(本邦初公開)でございます。「心の眼」で拝読くださいませ。皆さまの心が神の座に戻られておられる大塚先生に通じますれば、素晴らしい体験があると確信しております。


人類の大救世主大塚寛一先生のお写真はこちらから!
http://www.nsfs.jp/sousai_sousai.htm
★暗夜の光明:昭和11年4月20日発行
★7-10ページ:救世主出現:地上の人類が、永い間待ちに待った、大親が地上にお降りになりました。もう之で、如何なる罪深い者でも立所に救われ、一人残らず弥陀の人となる事ができます。今迄「縁なき衆生は度し難し」と申しまして、一切のものが救われることができませんでしたが、釈迦の預言せられし弥勒菩薩や、キリストの言われた天国の父に相当する、最高最大の御力で、一切の衆生済度に来られました。片時も早く此の御力に浴し、無明の闇より救われん事をお勧め申します。今や地下の準備なり、光明の世界に出んとしての鳴動は、世界の非常時となり、全般に渉りて、一大動揺を来しつつあります。此の非常時、此の動揺は、丁度、母体内の闇から光明の世界に生まれ出んとしての悩みであります。生まれ出でて最高の御力に照らしてみるときは、今迄の悪の世界、苦の世界、闘争の世界と、苦しみ逢ふてゐた此の世界其のままが、大親の御懐であったのであります。現在までの生活状態は、左に進むも、亦、右に行くも、不合理にして不得己ざる行動でした。真の自由は完全に束縛されて居たのです。それは、胎内の子供が成長するに従い不自由になるが如く、今の世の人々は極度の束縛を受けてゐます。然し、神は真善にして少しの悪も造り出す事なく、此の不自由なる束縛と世のあらゆる矛盾は、光明の世に生まれ出でしめんとする前のしるしであります。が、それを気付く人のないのは、丁度母胎内に居て母を知ることが出来ぬ様に、此の暗路でどうして神を見ることが出来ましょう。神は愚か真の自己を知る事さへ出来ないのですもの、其の無明の暗路に迷ってゐるのが、現在の社会です。之れが、此の世ながらの地獄です。而して神は至善でありますから、地獄といえど、真の悪は何處にも造られてゐないのです。が、暗路に迷う人々には順逆を誤って、一切のものが悪化してゐるのみです。光明が照らして、迷いが醒めても、周囲の事情に変わりはありませんが、迷える者と醒めたる者とは、黒白の差より甚だしい違いで、此のままで地獄が一転して、忽ち天国となり、極楽となるので在ります。母の母胎より出でて、懐に抱きあげられる時、自由と光明とが得られるのであります。斯様にし、胎児が母を知る如く、真に目覚めたる時始めて、大神を知り、自己を知ることができるのであります。その抱きあげるのが、天国の父であり、弥勒菩薩なのであります。一口に申せば世界の大親なのであります。大親なる故に、世の一切のものを造り出す無限の力によって、一切の悪を立所に善化し尽くすのであります。昔、キリストは「時は近づけり」と申しましたが、今は既に時は「来た」のであります。此の時、此の際、醒めざる者は、不浄埃芥として永遠に葬り去られる時が来たのであります。今の世に存在せるものに、一物として悪なるものはありませんが、しかし一旦不要なものとなれば、立所に此の世より取り去られるのであります。迷える者は速やかに醒めなければなりません。早く醒められよ。而して、大親の懐にいだかれて、真の生命に生くることこそ急務であります。急務どころではない、最も楽しいもっとも意義あることなのであります。普通世間に於いて慈母の愛に勝る愛はありませんが、それにも勝る絶対無限大の愛に満ちたる此の大親にいだかれる事を措いて、何處に、安き道がありえましょうか。
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2016年04月29日

御師と伊雑宮の真実

     
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特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・ 宿泊などの世話をする「御師(おし)」と呼ばれる人々。



古くは平安時代が原点であり、明治4年に明治政府の令によって廃止されるまでは全国各地に御師はいましたが、今は伊勢を中心に一部の地域にしか御師は残っていません。



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その御師の始まりとも言われる伊勢神宮内宮の別宮の一社である伊雑宮(いぞうぐう)



ここに現代に生きる伊雑宮の御師の森さんという方がいます。



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83歳で盲目でありながらも、先祖代々より受け継がれてきた伊勢の本当の歴史、伊雑宮の真実を言葉を通して力強く伝えています。



今から1500年以上も前、倭姫(やまとひめ)と呼ばれる人物が、ヤマト(奈良)の地を離れて各地を巡り、27番目の最後に祖神アマテラスを鎮座させたのが、この伊雑宮であり、ここで倭姫も最期を迎えたと森さんは伝えています。



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実際、大正末期に伊雑宮近くにある大きな楠が伐採されて地面を掘ると、そこから石棺が出土して中に勾玉や鏡などの神器が出てきてしまい、これが倭姫の遺蹟ではないかと地元住民の間で大騒ぎとなったそうです。



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ところが、そこへ警察が駆けつけ、ここで見たもの、聞いたものはすべて口に出さないように指示し、厳戒令ひいて住民を石棺に近づけず、中身の神器を持ち出して再び埋めてしまったそうです。



古くから伊雑宮の信仰者は、伊雑宮こそ本当に天照大神が鎮座された場所であり、伊勢の始まりの大元であることを主張してきたそうですが、江戸時代に強い弾圧があり口封じさせられ打ち首となり、この大正末期の騒動でも、この石棺のことを口に出した者は処刑されたそうです。



そこで誰もが黙ってしまって、伊勢や伊雑宮の真実を口にする人は誰もいなく、御師の家系が代々長男から長男へと口伝で伝え、外へは一切情報を漏らさなかったのが、戦後に国家体制が変わり、天皇の現人神も終えて、ようやく森さんも御師として真実を語れるようになったそうです。



日本全国の神社のトップに君臨する伊勢神宮。



その背後には日本建国から現代日本に隠された多くの真実や謎が隠されています。



夜明けの晩となった今、鶴(伊雑宮)と亀(籠神社)が統べり、これから日本の本当の夜明けが始まります。



スサノオ、ニギハヤヒの出雲、物部氏と蘇我氏、仏教と神道の背後にある古代ユダヤ教とキリスト教の国であるヤマト(ヤー・ウマト=神の民)



日本とユダヤ、元は同じ民族の和合により、大元の神の封印が解かれて新しい時代が始まりますが、同時に世の中の立て直し・立て替えも本番を迎えることになります。  

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2016年03月26日

グッドフライデーとイースター(復活祭) 天下泰平様

     
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2016年3月25日(金)は「グッドフライデー」



2000年前、イエス・キリストと呼ばれたユダヤ人がエルサレムにあるゴルゴダの丘で磔となって処刑された日です。



そして、3日後に復活した日を「イースター(復活祭)」としてキリスト教の中では1年でも最も大事な日として世界中で祝われています。



イースターは、毎年「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」となっており、今年は3月27日となります。



偶然なのか意図的なのか、奇しくも今年のイースターは「もう隠してはおけない!日本とイスラエルの超むすび」というタイトルのユダヤセミナーに登壇する予定であり、講演内容は「イエスの軌跡」となっています。



ところで、磔にされたイエスの十字架の上に書かれた「INRI」という言葉。



INRIは、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳され、これは罪状書きの文であるそうです。



このINRI。実は日本全国にある稲荷神社の語源とも言われており、稲荷神社はキリストを祀っているという見解もあります。



稲荷神社は主に白狐を祀っており、確かにイエスを導いたのも白狐とも言われています。



それが真実かどうか分かりませんが、確かに自分自身もまた、昨年にイエスが布教活動をしていた中心地ガリラヤ湖において真夜中に岩山の山頂で九尾の白狐に遭遇したことがあります。



いずれにしても今日から3日間は、イエス・キリストが密接に関わる日。



そんなタイミングに、昨日より2週間ぶりに再上陸した沖縄本島。



今回の目的は沖縄県最北端の有人島である伊平屋島(いへやじま)を訪れることです。



沖縄の聖地である久高島と陰陽関係にもあり、さらに古い歴史もあるという伊平屋島。



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50年近く前に岩戸開きの祭祀が執り行われて以来、今年に入って再び様々なシャーマンや巡礼者が訪れて伊平屋島の岩戸開きをやっています。



ここは沖縄の中でも古代ユダヤと最も縁が深い場所の1つ。



イヘヤとイサヤ。イエス・キリストの再臨とも関係する重要なポイント。



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伊平屋は、反対から読めば「ヤヘイ」であり、聖書の中の絶対神「ヤハウェ」で、実際に「ヤヘー岩」と呼ばれる巨石が伊平屋島では祀られています。



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実際に見るヤヘー(ヤハウェ)岩は、想像の10倍くらい大きな巨石というか岩山でありました。



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スペインで見た「ジブラルタルの岩(ヘラクレスの柱)」のような強烈なエネルギーを発している岩山であり、よく見るとバベルの塔のように螺旋状のスパイラルに岩が渦巻いています。



ついつい岩山を見ると衝動的に登りたくなる性分であり、引き潮のタイミングを狙って麓まで行き下駄でよじ登ってきました。



そして現地まで行ってハッキリ感じました。この装置はまだ生きている(稼働している)と・・・。





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また、伊平屋島の中でも最大の聖地「クマヤ洞窟」も訪れました。



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江戸時代の学者が「天の岩戸」伝説の舞台である提唱したことから数ある岩戸の中でも大元の岩戸の1つに数えられている場所です。



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ここでお祈りをした後、不思議な磁場になっており、そこで写真を撮るとピントが合わずに謎の発光体が映りこみました。



「また地図・・・?」



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今度行く予定のアメリカ大陸とも思えるような、それとも別の地域なのか何なのかもよくわかりませんが、CGのようにハッキリと光の模様が出ていました。



クマヤ洞窟は非常に重要なポイントなので、また明朝にもゆっくり訪れてみます。  

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2016年03月19日

四国の剣山上に「モーセの契約の箱」あるのではないのか?

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◎四国山中に遺る皇室に関わる封印された真相◎

●大嘗祭に欠かせぬ神具「麁服」は徳島県木屋平村でのみ作られる
 四国山中には皇室についての隠された事実が多くある。その内の二つだけを取上げてみる。
 その第一は、大嘗祭に欠かす事の出来ない麁服、そして第二は皇祖についての事である。
 まず第一に麁服。これは大嘗宮内陣の第一の神座に供えられるものである。平安時代の現天皇の大嘗祭の時にも用意された。
 これを貢ぐ事が出来るのは徳島県木屋平村の「三木家」に限るとされている。5万分の一の地図で木屋平村を見るならば、等高線が非常に緻密になっていて、山また山のなおまた山の奥にその木屋平村がある事が分る。
 三木家はその木屋平村の山の、なお頂上近くにある。三木家の裏に、それこそ山の尾根を走る古代の幹線道路を見付ける事が出来るし、そこに昭和39年まで公立三ツ木小学校があったという石碑が立てられている。
 この小学校は明治12年に建てられたものであった。その頃は未だ木屋平村の中心が山の頂上近くにあったという事が分るのである。
 今日、三木家を尋ねるならば、その山頂近くの前庭に切開かれた、竹垣をして鉄条網が張られ、入口には鳥居が設けられた一地区がある。ここで大嘗祭の為の麁服の大麻?が栽培されるのである。
 大麻が盗難されたり、悪戯されたりしたら困るので、畑の周りを竹垣と鉄条網で二重に囲んであるわけである。そして種蒔きから刈入れまでの約3ヶ月間、24時間体制で監視が続けられるのであった。それも僅か4反の麻布をつくる為にである。
 いわゆる平成の今日においてでさえ、大嘗祭の儀式に使われる麁服は、かくも厳重にしてかくも心を入れたものとして作られたのであった。
 四国、中でも徳島県以外の人々からするならば、何故この様な儀式物が、いわばかくも山奥で作られているのだろうかと、不思議に思うものである。
 麁服は古来から阿波国の忌部氏が調進するものと定められていたという。それが平安時代になると明確な文書として残っている。
 『貞観儀式』(859年)や『延喜式』(927年)には大嘗祭に関する式文が定められていて、麁服については阿波忌部氏が御殿人に指名され、麁服を織って神祇官に調進する方法が、細かく定められていた。
 忌部氏は中臣氏と共に朝廷を司る氏集団として歴史的に知られている。
 平成天皇の時にも麁服を織ったこの徳島県木屋平村の三木家は、将に古来からの忌部氏の末裔なのである。だからこの三木家でなければ、麁服を織る事は不可能なのである。

●麁服に見る四国山中に隠された”日本を支える力”
 三木家には多くの古文書が残されている。麁服についての古文書も多く残されている。 最も古いものとされるのが、文応元年(1260)11月のもので、当時の三木宗時が亀山天皇の大嘗祭に奉仕した時のものである。
 しかも大切な事は亀山天皇から三木宗時に命令が出され、その古文書には「先例にならって早く麁服を出すように」という意味の事が書かれているのである。
 という事は三木宗時以前から、三木家はずっと麁服を用意してきた事が分る。
 永仁6年(1299)11月、後伏見天皇。延慶2年(1309)6月の花園天皇。文保2年(1318)11月の後醍醐天皇。正慶元年(1332)11月の光厳天皇。これら各大嘗祭に麁服を調進した事が、古文書によって確認出来るのである。
 大嘗祭について研究した文書によると、朝廷はこれら阿波の国の三木家から麁服が都に運ばれる際、通過する各国の国司に道路を清掃する事を命じ、うやうやしく見送るようにという命令を出している。
 しかし三木家から麁服の献上する事が中断せざるをえなくなる時が来た。それは南北朝の騒乱である。
 南北朝の騒乱の時、阿波忌部氏は南朝方につき、三木家の当主は南朝軍として従軍したが戦死した。そして多くの迫害を受けた後、阿波忌部氏族は四散した。南北朝合体の後、朝廷はその勢力を失い、麁服の献上は途絶えてしまったのである。
 それ故に麁服が復活するまでには600年間の歳月が必要であった。即ち大正天皇の大嘗祭において再び阿波忌部氏の麁服が献上されたのであった。

●徳島・気延山麓・八倉比売神社にある皇室の祖の神陵!?
 第二に、皇祖についても又四国山中に隠されている。
 かって阿波の国に国司が遣わされていた所は、今日のJR徳島線府中あたりであった。 かっての国府跡に立てば真っ直ぐ西に気延山を仰ぐ事が出来るし、その山麓に天石門別八倉比売神社がある。
 この山陵は古来、矢野神山といわれ、山全体が御神体とされている神社なのである。
 江戸中期に古墳が削られて社殿がつくられた。そしてその残れる古墳の上に五角形の祭壇が作られたのであった。
 「阿波国国史研究会」によると、「祭神は大日霊女命(天照大御神の別名)」である。徳島藩の史書『阿波志』は天照皇太神、『入田村史』(大正2年)には大日霊女命を祀ると記されている。又京都押小路家所蔵の延喜式神名帳の阿波国八倉比売神社の項には、「祭神が大宮売神と注記されているが、これも天照大神の尊称である」と発表されている。 この八倉比売神社の社格は式内大社である。延喜式というのは律令の施行細目にあたるものであって、927年に作られた。
 平安時代当時、神社の数は三万社ともいわれていた。その内から国家祭祀に組入れられた神社が『延喜式』の中に登録され、それは3132に及んだ。この神社が、延喜式内社又は式内社と呼ばれたのであった。
 八倉比売神社はその式内大社なのである。そこで行われていた祭祀の起源の説明等をひもといていくならば、延喜式に取上げられる遥か以前の7世紀末期には、既に存在した神社である事が分る。

●徳川幕府も探っていた「阿波の本当の歴史」
 徳川幕府は本当の阿波の歴史を知っていたらしい。それ故に江戸時代を通じて多くの注文を、阿波藩につけてきた。
 松原元康が天下に名をあげるや、自らの家系は鴨族の末裔であると称して、その名を松平から徳川に改めた。その後、阿波の蜂須賀藩に、阿波藩を徳島藩に改名せよとの命令を出した。それ以降、初めて阿波の国に徳島という地名が現れだしたのである。
 更に時代は下って徳川光圀は江戸に修史局を開き、元禄10年(1697)、突然徳島藩江戸留守居役であった老中土屋相模守を呼びつけ、覚書を手渡し、阿波及び淡路両国にある古代天皇葬場の調査が続けられたのであった(阿波国国史研究会編『道は阿波より始る』に詳しく述べられている)。
 四国、中でも阿波の国には隠された歴史があるらしい。それが又日本歴史の根幹をなすものようである事が分る。
 それらの事を明らかにするのは『阿波風土記』であろう。しかし『阿波風土記』は現在、現存しないとされているのである。
 しかし『阿波風土記』から百数十年前に引用されたとされるものが、多くの本に取上げられている。それらを継ぎ合せるだけでも阿波国の不思議が浮び上がってくるのである。『阿波風土記』は徳川家が持っていた事が分っているし、明治初年まで徳島藩自体もそれを持っていた事が明確になっている。
 しかし明治5年、小杉椙邨氏が『阿波古風土記考証』を出版した時点で、それらが一斉に消えてしまったのである(これが、今現在も行われている。例えば、国際連合に対する論文を発表した雑誌が今、消えているのです。『阿波風土記』に何かを隠されているのです。皇室の問題が書いて在るのではないでしょうか!忍)。勿論『阿波古風土記考証』も同じ運命を辿った。
 今日、学校教育の場で、四国、中でも徳島県が詳しく取り上げられることはない。いわんや四国山中の不思議についても取上げられることはないのである。
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●気延山悲願寺の灯台が照らす皇室と四国山中の結びつき
 その阿波藩についても不思議な事がある。
 先ほどの気延山のなお奥に、神山神領という所がある。それは全く山の中である。しかし、山の中とは雖も数千人が生活する事が出来る程に平らに開かれた場所がある。
 その中心が悲願寺で、その寺の庭に灯台の建物がある。江戸時代のつくりで、当時はその灯台の灯火は1日として消される事はなかったという。勿論江戸時代には、今の場所よりももっと山の中の、切立った崖の上にそれを立っていた。
 その灯火は遥か吉野川流域からも見る事が出来ただろうし、徳島の町からもそれを望む事が出来た。
 徳島藩は密かに阿波の国の歴史を探る事によって、日本国家の根幹に関わる事を発見したのではないだろうか。
 神山神領という名前だけでも荘厳である。徳川家に隠れて、自分達が知った何かを暗示せずにはおられない衝動に駆られたのではないだろうか。
 繰返すようであるが、その灯台は海上を行く船とは何の関係もない。只山の上で約250年間、光り輝き続けたのであった。しかも灯火を守る為に数家が選ばれ、1日たりともそれを絶やせば斬首刑にあったと聞く。
 数年前、皇室に関わる重要な人物がおつきの者と徳島県を訪れ、気延山山麓を訪れた。 気延山には先に述べたように、天照大御神の神陵である天石門別八倉比売神社がある。いわば皇室の皇祖墳墓の地である?
 彼は、その神社そのものを訪れる事は無かった。その神社のなお平地に至った所、かって阿波国の国司がいた所に、国分寺と国分尼寺が建てられている。彼は国分寺から静かに車を走らせて国分尼寺跡に向ったのである。彼の左には八倉比売神社が見えた事は間違いない。

●古代ユダヤ王国であった日本が首都置いた四国徳島県
 四国山上に首都あった古代ユダヤ王国が、山を下り、奈良の大和に向わなければならない時が来た。そのリーダー(聖徳太子を意味している。ユダヤの神エホバ(エル・ランティ様が、悪魔ダビデから守る為にユダヤ本国から「日本」と生れ変えた。詳しくはJI出版『古代日本と七大天使』を参照!忍)達は率先して大和に行ったが、その山中に残された人々も多くいた事だろう。
 同時に彼等が四国山上を去る時、自分達のルーツを隠匿した形跡がある。なぜ隠匿しようとしたのか。恐らく自分達にとって最も大切なもの、即ち「モーセ契約の箱」をカムフラージュする爲ではなかっただろうか(それと悪魔ルシファを使って操った悪魔ダビデの悪業から守る為!忍)。
 その隠匿の方法は、将に巧みであった。
 紀伊水道を挟んで、四国、中でも阿波及び四国山上にあった地名をそのまま奈良県及び和歌山県北部に作ったのであった。
 その代表的なものは吉野川である。吉野川は四国の中心を流れている。阿波の生命を支える川といっても過言ではないだろう。その吉野川は真っ直ぐ東へ進むならば、又吉野川が奈良の山奥から同じ紀伊水道に流れ込んでいる事に気が付く。
 勿論近畿地方にある吉野川は、下流に行って紀ノ川とその名を変える。しかし吉野川である事は変りはない。
 古代ユダヤの人々は四国山上において東祖谷村、西祖谷村等で生活していたように、奈良県南部の同じような地形の所に十津川村を作った。
 十津川村の郷土達の歴史は不思議である。南北朝動乱が起きると直ちに南朝につく。又南朝の武将達も、その十津川村を慕って吉野川上流を訪れ、そこを自分達の安全地帯と心得ていた。
 十津川村郷士は勤王の志士として京都動乱の地に馳せ下っていったのであった(真の南北朝問題は、沖縄王族と現王朝が南北朝問題なのです。「保元の乱」が真の意味の南北朝問題が発生させたのです!忍)。
 

●淡海、香具山・・・地名で覆い隠そうとした四国山上の世界最高の宝
 更に徳島県に那賀郡があるように、対岸の和歌山にも那賀郡がある。
 徳島県から今日の香川県にいくと、大阪があり、奈良街道がある。その奈良街道の果てに難波津があるのである。
 阿波国国史研究会によれば、『万葉集』歌われている難波津の歌はここで詠まれたというのである。
 しかもその歌に詠まれた淡海は、文字通り今日の徳島県と淡路島の間の淡海を指す。決して近江国の海、即ち琵琶湖ではないという。
 例えば『万葉集』273の歌を近江海即ち琵琶湖として考えるならば意味が通らない。
 「磯の崎こぎたみ行けば 淡海の海
  八十の淡にたづさわに鳴く」
 これを徳島県と淡路島の間の淡海とするならば、自然と理解する事が出来る。磯崎山と高島に狭まれた小鳴門海峡をこぎ抜けると淡海に入る。船上からは多くの島々や淡が見えた事であろう。「八十の淡」とは阿波を海上から眺めた光景なのである。
 そのような事は多くある。
 香具山についてはどうであろうか。
 私達は天香具山といえば直ぐに大和三山の1つであると思う。しかし今日の小松島湾の所に香具山がある。
 遥かなる昔、即ち『万葉集』が詠まれた時、阿波の国は「倭(和)」と言われ、大和の国の奈良県は大倭と呼ばれていたのである。

 「やまとには郡山あれど、とりよろふ天乃香具山 登り立ち、国見をすれば
 国原は 煙り立ち立つ 海原は かもめ立ち立つ うまし国ぞ やまとの国は」

 倭(ユダ)の国には数多くの山があるが、海原はない。かもめが飛立つ事もありえないのである。
 そして天香具山も、阿波国の天香具山を指している事になる。
 本来、阿波国にあった地名が主に近畿地方に多く作られ、その他にも作られていった。このようにして阿波の国が隠匿されていっただけでなく、本来の『万葉集』の歌の意味も日本人には分らなくなってしまったのである。言葉を換えればそれほどに阿波の地を隠し、四国山上の世界最高の宝を覆い隠そうとしたのではないか。

(「万葉集」は、悪魔ダビデによって改竄された旧約聖書の中身を真の意味の旧約聖書の内容を伝えているヘブライ語聖書を日本語文法にそって表現された歌謡集。基本的にはヘブライ語で表現されている。内容の中身はJI出版「古代日本と七大天使」に詳述している。そこからヘブライ語の和歌から、標準日本語がどの様に発展、発達していったか、細部に渡っての問題は、研究課題の一つである。そしてもう一つ問題を提起しますと、万葉集の中に語られる地名や山の名には、被実在のものがある事が知られている。これはどう言うことを示すかと申すと、即ち、地名や山の名は、万葉集の中で、ヘブライ文が隠蔽されていく中で作られ、そして、隠蔽された後のその作られた地名や山の名が、日本国内に、それぞれの山や地名として名付けられ、振分けられた、と考える事が出来るわけです。万葉集の中に今も残された非実在の地名や山の名は、その選に漏れたという事である。つまり、万葉集に語られた地名、山の名、河の名を、日本国中に名付ける事、これもヘブライ隠蔽政策一掃政策と新しい日本国へ向けた倭奴(ユダ)国、大和朝廷の新しい政策の一環でもあったと考える事が出来る。勿論、それ以前の古くから存在した地名や、山の名はそのまま、漢字に当字され残された。実例が今まで上文で説明出来る事である!忍)


●剣山を一切見せないようにした空海の遍路設定
 弘法大師・空海はその事の為に大いに貢献したと云われる。
 四国・吉野川の上流には、古代ユダヤ小国家があった四国の山々があると共に、その真ん中に剣山が控えている。弘法大師は近畿地方の吉野川の上流に剣山を隠匿する場所として高野山を開いたと云われている。
 弘法大師は剣山の重要性を心得ていた。
 四国の吉野川沿いから剣山を見る事の出来る場所は僅か100mである。ほんの僅かな所からしか剣山を臨むことが出来ない。
 それが出来る貞光町のある場所に立って、晴れた日、遥かに剣山を臨むと、あたかもその剣山の前の山が切取られて、わざと剣山が見えるように作られているかのような山の佇まいを臨む事が出来る。
 弘法大師といえば四国88カ所礼所を定めた人物である。
 その第一の礼所は鳴門から始る。しかし88礼所に至るまで、如何なる所からでも剣山を見る事は出来ない。
 いや見る事が出来ない様に作られているかの様である。
 この事を特に研究したのが先述の大杉博である。
 大杉博氏は『四国は死国にされていた』の著作の中で、日本文芸社 宇野正美著『古代ユダヤは日本で復活する』P4696〜97頁に示したような図を掲げている。一の礼所から始って、十までは、そのまま西に進んで行くだけである。更に西に進むならば、貞光町の剣山を見る事が出来る地点に行く筈である。
 しかし十の切幡寺の名の通り、そこで切れていて、11番目の礼所は西ではなく南に下るようになっている。剣山は一切見る事は出来ない。
 更に礼所は南に下り、剣山から剰りにも遠い所を迂回して行く事になる。
 しかし大杉氏は、その10番の礼所である切幡寺の、なお奥の院から、僅かではあるが剣山を臨む事が出来るというのである。そして第88番礼所の奥の院からも、剣山を少し見る事が出来るという。
 この第10、第88番礼所から剣山を臨む事が出来るのは、弘法大師の温情ではないかと云われている。裏返せば弘法大師は全てを知っていて、剣山という聖所を隠匿する為に、88カ所の礼所を定める様にと命じられていたかもしれない。

●イエス誕生の時に現れた「東方の三博士」は四国から出発した
 更に年月は流れ、紀元前4年、パレスチナではイエス様が誕生した。
 このイエス様誕生について『新約聖書』は克明に記録しているが、特に『新約聖書』「マタイ伝」には、東方から3人の博士達がやって来た事について述べられている。博士という言葉はギリシャ語ではマゴスなるが故に、正確には「知恵者」と訳すべきであろう。 この東方からきたマゴス達は、欧米では今日のイラクかイラン辺りから来た人々であるとされている。
 どうしてこのマゴス達が日本からやって来たと思えないのであろうか。
 欧米の人々には日本からという概念は100%ない。しかしイザヤの子孫である(ヘフジバ(天照大神)、シャルヤシュブ(月夜見尊)、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(素盞鳴尊、又は午(馬)頭大王)達[イザヤ祭政主は日本に来ていない!忍]が日本に「契約の箱」を運び込み、約2000年前にはそのイザヤの精神が未だ残っていた四国の小国家から、『旧約聖書』の預言の成就(悪魔ダビデの計画!忍)ともいうべきイエス様の誕生を確かめるかのように、一群の人達が西亜細亜のユダヤ国家を訪問したとは考えられないだろうか。
 この東方からのマゴス達は、まずエルサレムに向った。そしてエルサレムで当時の王ヘロデに会って次の様に尋ねた。彼等は救世主の事を「ユダヤ人の王」と呼んだのであった。
 「ユダヤ人の王として生れた方はは何処にお出でになられるのか。私達
 は東の方でその方の星を見たので、拝みにやって来たのである」

 これを聞いたヘロデ王は恐れた。エルサレム中の人々も同様であったという。
 なぜヘロデ王は恐れたのか。ヘロデ王はユダヤ人ではなかった。イドマヤ人だったのである。此の頃ユダヤ国家はローマ帝国の属国であった。それ故ローマ人はイドマヤ人をユダヤの王として立て、ユダヤ人を統治していたのであった。将に巧みな植民地政策というべきであろう。
 ユダヤの新しい王が生れたとなれば、自らの立場が危うくなる。ユダヤ人による反乱が起きるかも分らないと、ヘロデは恐れたのであった。
 ヘロデ王は『旧約聖書』の学者達を呼んで「キリスト(救世主、ギリシャ語では『クリスト』)は、どこで生れるのか」と尋ねた。彼等は『旧約聖書』の中の「ミカ書」を聞いて「キリスト(クリスト)はベツレヘムである」と答えたのであった。
 直ちにヘロデ王は東方から来たマゴス達を呼んで、彼等から星の出現の時間を聞き出し、
 「ベツレヘムに行ってその幼子の事を詳しく調べ、わかったら自分にも教えて頂きたい。自分も行って拝まなければならないから」と言った。
 勿論ヘロデ王は拝む爲ではない、その幼子を亡き者にする爲であった。
 東方から来たマゴス達は、直ちにベチレヘムへ向った。星が再び彼等を先導して行ったと「マタイ伝」は記録している。
 彼等はベツレヘムに着き、イエスがいる家を訪ね当てた。そして母と共にいる幼子イエスを見、ひれ伏して拝んだ。そして彼等は肌身話さず持ってきた宝の箱を開けて、その中から黄金、良い香りのでる乳香、藥である没藥を出して、贈物として捧げた。
 東方から来たマゴス達は、其後、夢のお告げでエルサレムに戻る事なく、ヘロデには会わず、別の道から東方へと帰っていったのであった。同時その夜に天使がヨセフに危機を伝え、そのヨセフが母マリヤに伝えて、イエス様と母マリヤと一緒にエジプトへ脱出していったのであった。
 怒り狂ったヘロデ王が、ベツレヘムの2歳以下の男子を全て剣で殺したのは、それから数日後の事であった。


●徳島・東祖谷村の栗枝渡神社の名はイエス・キリストに由来する!?
 剣山、その中でも日本のチベットと云われる東祖谷村には、不思議な神社がある。
 その神社には鳥居がないのである。普通、神社の象徴は鳥居であるが、遥かなる昔からこの神社には鳥居がない。
 加えて天皇家の家紋、即ち16菊紋が使われている。瓦や、ハッピの背にもあざやかな16菊紋が染抜かれているのである。
 安徳天皇が屋島の戦いで生延びて、四国山上そして東祖谷村にやって来たという話が伝わっているが、それは恐らく東祖谷村の人々が平家の落人の子孫であるという事に話を合わせたのではなかっただろうか。
 言い換えれば源平合戦を境に、その村の歴史を誰かが隠匿してしまったのである(それは、悪魔ダビデが歴史を隠匿した可能性がある。源平合戦の前の、「保元の乱」が実質的な悪魔と神との戦争を意味しているから。その歴史を隠す為に悪魔ダビデが隠匿したと思う!忍)。**********。
 この不思議な神社の名を栗枝渡神社という。
 この栗枝渡神社に掲げられている由来書には、元は栗須渡神社といったと明記されている。
 これは江戸時代の禁教令の頃に付けられた名前ではない。もっと以前からの事である。
 東祖谷村の栗枝渡神社とは何なのか。
 因みに「クリスト」とはキリストのギリシャ語読みの救世主の意味である。
 将に日本離れした神社の名前である。全世界に通用する救世主という言葉が、その神社の名前になっている。そして神社の象徴である鳥居もない。
 先の『新約聖書』中の「マタイ伝」のイエス様誕生の記録と、東祖谷村の栗枝渡神社を考え合わせるならば、何かを彷彿させないだろうか。
 栗枝渡神社から目を上げると、遥か彼方に剣山山系が見える。場所によっては剣山そのものが見えるのである。
 将にその辺りは古代ユダヤ国家があった所なのである。
 この栗枝渡神社の記録書には次の様に書かれている。
 「剣山参拝者は栗枝渡神社を参拝しなければその意味がない、と
 毎年5月頃より11月頃までの間、白衣の行者姿が、毎日のよう
 に『六根清浄(法華經)』を高らかに唱えて長蛇の列が続いていた」

 この事からも分るように剣山と栗枝渡神社は一体なのである。
 ではなぜ東祖谷村のこの神社が栗枝渡神社と名付けられたのだろうか。
 それは「マタイ伝」の東方から来たというマゴス達のベツレヘム訪問と併せて考えれば解ける。
 彼等はベツレヘムで幼子イエスに会った。当時のユダヤ国家ではアラム語と共にギリシャ語が、一般の人々の言葉として使われていたのである。
 恐らく彼等はエルサレムそしてベツレヘムを訪ねる内に、アラム語と共にクリストという言葉を耳にした事だろう。彼等は救世主イエス様を訪ねて、旅していたからである(もし、正統なる天上界が守っている場所であるならば、基本的にギリシャ語は広まっていると考えられる。ギリシャ文化の基本的なゼウス・アリストテレスを通して、神ヘホバが直接、地球人に法を説いたから、宇野氏が自覚していないのは、日本国家は「神の国」天帝(エホバ)が存在している国であるという自覚がない。「モーセの契約の箱」が日本に在るのもその証の1つに過ぎない事である!忍)。
 そして彼等はイザヤの遺言通り、ベツレヘムで生誕したばかりのクリスト即ちイエス・キリスト自身に出会った。
 彼等は十分に目的を果すと共に、彼等が持っていった非常に高価な黄金、乳香、没藥を、クリストに捧げたのであった。そして彼等は元来た道を、再び東方に向って帰っていったのである。
 即ち彼等の出発点が、この東祖谷村の栗枝渡神社の辺りだったのであろう。
 彼等の帰りを待ちわびる多くの人々がいた。当時はイザヤが没して以降、700年しかたっていない(その間に、イザヤの計画が遂行出来る環境を悪魔ダビデが行ったのである。イザヤ書の計画は、神エホバの双子の弟悪魔ダビデの計画であり、天上界は心からは支持する事は無かった。今、現在もイスラエルは、ダビデ王の再来を待っているが、神天上界は、千乃裕子先生を中心に世界の宗教を統一する事を考えている。悪に対して戦いは、許されるけれど、調和のある社会に、わざわざ破壊の道を計画するのは許されないのである。神の言葉を聞きたいならば、今現在は、神の言葉は日本語だけになったのである。イスラエル人は、日本の文化を学び、日本人になる事が救いの道になるのです。それは、キリスト教の正しさとイスラム教の正しさをも学ぶ必要があるのです。あくまでも「宇宙の法」に添っての調和のある社会なのです!忍)。
 この剣山山系において、イザヤの精神はまだ生きていたのであった。
 このように日本離れした神社も、古代ユダヤとの関係で見るとき、その名の重要性が鮮明なものとなるのである。




モーセの契約の箱「アーク」に関して

●「かごめ、かごめ」のわらべ歌に秘められた驚異の暗号
 日本人の誰もが知っている童歌。しかしそのままではどのような意味なのか分からない。何か、暗号が秘めている様に思える。
「かごめ かごめ
 かごの中の 鳥は
 いついつ 出やる
 夜明けの 暁に
 鶴と亀が すべった
 後ろの正面 だーれ」

 昔、四国・剣山は「鶴亀山」と書いた。
 現に剣山山頂に登り、すぐ崖の下を見るならば、自然石で作られた大きな鶴と亀を見つける事が出きる。長い歳月の内に、鶴の首は落ちているが、亀はそのままの形を保っている。
 この童歌にも「鶴と亀」が出てくる。その鶴と亀が崩落した時、後ろの正面からそれまで隠されていた物が登場するというのである。
 昔、物を覆う時に竹で籠を作り、それを被せた。竹で籠を編むが故に、多くの籠目模様が出来上がる。
 鶴と亀が崩落した時、その中から大切なものが登場する。
 それはいつの事なのか。
 「夜明けの晩に」とある。これは将に不思議な言葉である。夜明けと云えば朝日が昇る時であるから、ますます光が溢れてしかるべきである。しかし夜明けにも関わらず、晩のように暗い状態を指している。
 全世界が夜明けを待っているのに、夜明けが来ない状態の時に、鶴と亀は崩落すると言っているのだろうか。
 これを剣山に古代ユダヤ最高の秘宝、「モーセ契約の箱」が隠されているとしたならばどうであろうか。

 後で詳しく述べる事であるが、その「契約の箱」の上には、金の打ち物作りで出来た翼を広げた二つの天使「ケルビム」があった。これまで日本人の思想には、天使というものはなかった。それ故に遥かなる昔、それを見た人が子孫に伝える時、ケルビムが分からず、翼を広げているが故に鳥と表現したのではないだろうか。
 確かに日本の神輿の上には鳳凰が大きな翼を広げている。
「モーセ契約の箱」が剣山に隠されているならば、しかもそれを登場したならば、どれほど世界的発見となり、世界歴史を変える事になるだろうか。

 

●四国・剣山は「モーセ契約の箱」が隠された
人工の山であるという噂は、昔からあった。剣山から西に広がる山々と谷それは東祖谷村、西祖谷村である。この村では昔から剣山は人工の山であると言伝えられて来たという。
 昭和初期、高値正教氏という人物が3年間に亘ってこの剣山に登り、しかもそこに数ヶ月滞在して、剣山が人工的な山であるかどうかを探ろうとした。
 当時の新聞はそれを指して「ソロモンの秘宝を検索」等と云ったが、それは単なる噂であって、本人は只剣山が人工的な山であるかどうかを検索していたのであった。
 高値正教氏自身は次の様に書き残している。
 「筆者は自己の研究の学術的価値を実証の爲、昭和11年7月、四
 国剣山に登山し、果たして人工なりや否やを実証すべく、その調査を
 着手し、その年の12月10日までその研究を継続して帰京し、翌
 12年7月に再度登山してその研究を続け、同年12月10日まで
 にて打切りとなして帰京、翌13年7月に3回目の登山をなし研究
 を継続し、同年12月29日まで山に留まりて、これが実証に没頭
 したり。
  その同調査の為に地下の発掘延べ485尺(147m)の長さに
 及びたり。この研究の内容発表は省略する事とするが、その人工な
 る1点の確証は完全に把握したのである」(『四国剣山千古の謎』
 四剣山顕彰学会刊)

 剣山は標高1955mの山である。それもその山だけではなく、多くの山が連なり、その中の1つとして剣山があるのである。
 昔、人々が剣山に近づくだけでも大変な努力を要した事だろう。
 この高い剣山は夏であっても夜には気温が下がり、非常に寒くなる。高根氏は夏だけではなく、秋から冬にかけてもこの山頂近くに留っていたのである。しかもそれは数ヶ月に及んだ。
 冬の剣山には多くの雪が降る。如何なる自然の苛酷な条件であっても、高根氏の執念を挫折させる事は出来なかった。
 彼はその当時、剣山を奥へ奥へと掘っていったのである。血の滲むような労苦、そして多くの費用は費やされた事だろう。そして彼はその目的を果す事が出来た。「その人工なる1点の確証は完全に把握した」のである。
 高根氏は続けてこう書いている。

 「しかしこの発掘は決して内臓物の発掘の為に非ずして、徹頭徹尾『人工』
 の確証であった事をここに名言しておく必要があると思う」(前掲書)


●人工の山・剣山の内部に創られた巨大な水溜
 剣山が人工の山であるとするならば、何が分るのだろうか。その中に大きな水溜が掘られているのではないだろうか。
 そこに水溜があるとするならば、洞窟が掘られ、かつ水が溜まると共に、それを覆う岩も残っている事になる。それ故その内部は温度と湿度が一定である。そうすると木製品であっても、長き歳月に亘ってそのまま保存する事が出来るのである。
 剣山の内部に大きな水溜があって、温度と湿度が一定に保たれているとするならば、そこに古代ユダヤの「モーセ契約の箱」が安置されているかもしれないのである。
日本文芸社 宇野正美著『古代ユダヤは日本で復活する』P24に掲げた不思議な写真を見て頂きたい。これは東祖谷村のある神社で見付けたものである。剣山内部の水溜めを暗示しているのではないだろうか。不思議というより、非常に思慮深く創られている事に気が付く。
 中央の大きな水溜に水が溜る。そしてそこからあふれた水は土手から外の溝に流れ込み、留る様になっている。そして溝の1カ所を切っておけば、そこから水抜きをする事が出来るのである。
 剣山内部に水溜を作り、その水抜きを作る為に外部のある処に穴を空けて作業するものが入ったとしよう。そしてものの見事に水抜き装置を作り、再び自分達が入った穴から外へ出る。更に水抜き装置が作られている事は分らなくなるのである。
 しかし歳月が立てば、幾ら巧みに作られた物であっても、ひび割れ等が生じるだろう。 剣山頂上付近にはそれを象徴するかの如く、同じ高さの所から、幾筋もの水が噴出し、滝が流れているのである。
 しかも平成6年(1994年)夏と云えば、四国全土が水不足の最中であった。7月17日、例年行われているように、御輿が剣山頂上を目指して駆け上がっていったのである。
 この7月17日にぼ、剣山山頂近く、正確には山頂から200メートル下った同じ高さの所から、数筋の滝が音を立てて流れていた。
 更に、おそらくは水抜き装置として作られていたのであろうか、既に自然石が崩壊した「行者の滝」と云われている洞窟の内部には音を立ててとうとうと水が流れていたのである。
 常識的に考えても、頂上近くから幾筋もの滝が溢れ続けるという事は起り得ない事である。その頃高松市では、既に1日19時間の断水指令が出されていた。
 この1点を見ても、剣山内部は人工的に作られ、しかもその中に大きな水溜のある事が分る。
●ノアの箱船漂着の日に由来する剣山の「7月17日」の祭り
 毎年、剣山山頂に向って神興が担上げられていくのが、7月17日であるが、この7月17日には特別な日である。それは『旧約聖書』によれば、ノアの箱船がアララテ(アララト)山腹に漂着し、新しい時代が始った時とされている。
 この話は『旧約聖書』中の「創世記」に書かれているものである。全世界は神に反逆し、罪に溢れた。そこで神はこの世界を滅ぼそうとした。しかし神は、神に従うノア及びその家族を救おうとし、箱船を作る事を命じた。その箱船は巨大なもので、今日でいえば50万トン級のタンカーに匹敵するものであった。しかもその内部は三階建になっていた。 箱船が出来た時、ノア及びその家族と動物1つがいずつが、その中に入ったという。全てが入り終った後、大雨が降続き大洪水が起きた。(基本的に、日本以外の神話は、大洪水神話が世界中に残っている!忍)
 「それから大洪水が40日間、地の上にあった。水かさが増していき、
 箱船を押上げたので、それは地から浮び上がった。水はみなぎり、地の
 上に大いに増し、箱船は水面を漂った」(「創世記」7章17節、18
 節)

 箱船は何日も水の上を漂い続けた。そしてやがて雨は止み、水は引出した。箱船が到着したのは、今日トルコとアルメニアとの国境にあるアララテ山腹であった。ノアはその後、新天地で人類の始りを体験する事になる。

 それ故7月17日とは、新しい時代の始りを指している。剣山山頂で神輿がかつぎ上げられる7月17日に行う(因みに、八坂神社が7月17日に山鉾巡業が行われているが、それは悪魔ダビデが、わざと京都で昔は、悪霊が人々に病気させて、多くの人が死んで、ノアの箱船の日に疫病が止む様にさせた。そして真のノアの箱船の儀式である剣山山頂での神輿が担上げる儀式を無にさせる目的で行われた。八坂神社が祀っているのは、牛頭大王であり、それはパール神信仰であり、悪魔ダビデを指している。陰陽道で、牛頭大王は、残虐な悪神である事を教えられている。これを著した宇野正美氏は八坂神社が秦氏が行われている事を気付いてユダヤ教と繋げたが、これはユダヤ教でなく、聖書で禁止されているパール神信仰である。同じ神主の秦氏が祀っている伏見稲荷神宮が、素盞鳴尊を正確に午(馬)頭大王として祀っているのでユダヤ教系列である!忍)。

 7月17日、剣山山頂に向って神輿は古代ユダヤとどのような関係があるのであろうか。
 世界広しと雖も、多くの人々が御神体を担いで練り歩くという習慣がどこにあるのだろうか。そればかりか日本の神輿は、今から3500年前、モーセが『出エジプト記』に書留めた形と大きさがほぼ一致し、飾付けも非常によく似ているのである。
 かって古代ユダヤ人達が日本に来ていたと云う事は、今日でも神輿が日本各地でかつぎ上げられ、古代ヘブライ語「エンヤラヤー」(我こそは神を誉め讃えまつらんの意味)」がかけられ、練り歩かれているのを見ても、証明する事が出来るのではないだろうか。


●”かつぎ””金で覆う”神輿の謎は「契約の箱」(アーク)に起因していた
 3500年前のモーセの言葉を『旧約聖書』から引用しよう。
 「幕屋の型と幕屋の全ての用具の型とを、私があなたに示すのと全く同
 じように作らなければならない。
  アカシヤ材の箱を作らなければならない。長さは2キュビト半、幅は
 1キュビト半、高さは1キュビト半」(「出エジプト記」25章9、10
 節)

 ここでいうアカシヤ材とは私達が並木等で見かけるアカシヤではない。砂漠アカシヤである。砂漠アカシヤは多くの棘を持っている。素手で掴む事は難しい。しかし一旦その皮を剥ぐならば、硬質の白い木材を得る事が出来る。
 1キュピトとは約44cmである。従って長さ110cm、幅及び高さが66cm。このアカシヤ材で作られた箱は、神輿とほぼ同じ大きさになる事が分る。

 「これに純金を被せる。それはその内側と外側に被せなければならない。
 その回りには金の飾り縁を作る」(同25章11節)

 そのアカシヤ材の箱は純金で覆われていた。
 今日、日本で担がれている神輿の全ては、内も外も金で覆われているではないか。それを保存し、担ぐ人々に、神輿はなぜ金で覆わなければならないのかと尋ねてもそれは分らない。しかしハッキリ云える事は3500年前の「出エジプト記」の通り、神輿は金で覆われていると云う事である。
 しかもアカシヤ材の周りには、金の飾りぶちが作られているのである。
 将に日本の神輿はその通りではないか。
 更に神輿は、必ず”担ぐ”という習慣がある。本来、神輿を車に乗せると云う事はない。必ず担がなければならないのである。従って神輿の下には、担ぐ為の棒が縦横に組まれている。
 アカシヤ材で作られた「契約の箱」も担がれた。
 それ故にその箱の基部には4つの環に棒を通すだけでは担ぐ事が出来ない為、縦横に棒を組んで多くの人が担ぐ事が出来るようにされた神輿であった。しかし今では使っていないにも関わらず、4つの環はそのまま取付けられているのである。
 この事は神輿は元々4つの環、及びそこに通した棒で担がれていた事を暗示している。将に「モーセ契約の箱(Ark)」そのものだったのである。

 「箱の為に4つの金の環を鋳造し、それをその4隅の基部に取付ける。
 一方の側に二つの環を、他の側に他の二つの環を取付ける。
 アカシヤ材で棒を作り、それを金で被せる。
 その棒は、箱を担ぐ為に、箱の両側にある環に通す」(同上25章12
 〜14節)

 神輿は夏祭、秋祭に引出されて、担がれる。普通は神社の倉庫にしまい込まれているが、だからと云って神輿に差込まれた棒が抜かれているわけではない。殆どの場合、差込んだままの状態で保存されている。
 それと全く同じ様に「モーセ契約の箱」も、棒は箱の環に差込んだままにしておかなければならなかったのである。

 「棒は箱の環に差込んだままにしなければならない。抜いてはなら
 ない。
 私が与えるさとしをその箱に納める。
 また純金の『購いのふた』を作る。長さは2キュビト半、幅1キュビト
 半」(同上25章15〜17節)

 そしてその「契約の箱」の中には、神自身が「私が与える聡」といった10戒が書かれた契約の石板が2枚入れられ、マナという食べ物が入った壺と、モーセの兄のアロンの杖が入れられていたのである。
 更に「契約の箱」の上には、箱の上と同じ面積の純金の「購いのふた」というものが置かれていた。その購いのふたの両側に二つの金のケルビムが、打ち物づくりで置かれていたのである。


●神輿の鳳凰はケルビム(天使)の変身したもの
 上述したように、日本人の思想にはケルビム即ち天使という思想はない(日本は、直接天帝(エホバ)が直接、治めている国家なのである。天帝が居ない時は、お釈迦様が変りに日本を見ているのである。それを忘れては成らない。日本では、天使はずっと狐に化けて社会全体を見回した可能性が残っているのです。当然その報告が、天帝の所に情報が流れている可能性があるのです。これからは、狐ではなく、猫、猪、熊、カラスに化ける可能性があるのです。今現在は、千乃裕子先生の所にいますから。今、日本人は、テスラ波を用いて生物絶滅の政策を採っていると強い神の批判が載っている雑誌「LR」を読めば、今の言葉は理解出来ると思います!忍)。
 だが本来の「契約の箱」にはケルビム、今日の日本で担がれる神輿の上には、先にも述べた通り鳳凰が乗せられているのではないか。
 鳳凰は古来、中国では麒麟、亀、龍と共に四瑞として貴ばれ、嘴は鶏、顎は燕、背中が亀、尾は魚、首は蛇、前部が麒麟で後部は鹿に似ている、将に想像上の鳥である。しかも最も貴い鳥とされた(聖徳太子の時代に、日本ではヘブライ色を消して、新しい「日本国」を作ったのである。その時に中国での言葉で貴重されている「鳳凰」が使ったと考えられる!忍)。
 宇野説
 「ある時、ある人が「契約の箱」を見たのではないか。そして只大きく
 翼を広げた二つの天使を見た。しかしそれをどの様に表現したらよいか
 分らず、後世に伝える場合、翼を広げた鳳凰とした。」

 **********************************

 東祖谷村、西祖谷村は「平家落人部落」といわれる。
 そこには平家の旗なるものが伝わっている。世にいう平家の赤旗である。その平家の赤旗には、二羽のアゲハチョウが向い合い、かつ大きく羽根を広げている姿を描かれている(平家というと「平治の乱」を思い出すけれど、あの当時で本当の問題の戦争は、神との関わりの戦争は「保元の乱」であるのです。其の結果、崇徳上皇の恨みが日本に蔓延されたのです。神は源為朝を通して沖縄に琉球王国を作り、実質的にここから南北朝問題が発生したのです。「保元の乱」の時は、平家も源氏も分裂して戦った戦争なのです。でなぜこれを書いたのかというと東祖谷村、西祖谷村の平家は、桓武天皇の子孫が直接に伝えているのではないかと調べる必要があるのです。それは、平家の没落と無関係であるのではないかと考えているのです。桓武天皇と云えば、空海と深く関係があるのです!忍)。 はるかなる昔、「契約の箱」の二つのケルビムを見た人々は、そのままを表現する事が出来なかった。ある人は鳳凰として、ある人は二羽の羽根を広げたアゲハチョウとして伝えたのではないだろうか(自分は黙示として表現したのではないかと考えている!忍)。

 「槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。
  一つのケルプは一方の端に、他のケルプは他方の端に作る。ケルビム
 を『贖いのふた』を覆うようにする。互いに向い合って、ケルビムの頭
 が『贖いのふた』に向うようにしなければならない」(同25章18節
 〜20節)

 今から3500年前、古代ユダヤ人はエジプトを出て、砂漠の旅を続けていた。そしてシナイ山で宇宙の法則を預る天帝(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がいう唯一絶対の神を指している!忍)が、神と古代ユダヤ人との契約の印として、「契約の箱」を作るようにと命じたという。
 神はモーセにその原型を示した。モーセがその通りに作ったものが「モーセ契約の箱」と云われるものである。
 これに比べるものは他にはない。その原型となるものを、世界中何処においても見出す事は出来ないのである。しかし只日本においてのみ、昔から日本人が崇めてきた神輿にそれを見出す事が出来るのである。
 日本人が独自で神輿を考え出したのではなく、日本に伝えられた「モーセ契約の箱」(アーク)を模倣して作り、それが日本に広がっていったのであろう。
 古代ユダヤ人はその「契約の箱」を大切にした。モーセの命令通り、それを肩に担ぎ、力の限り神を誉め讃えつつ練り歩いたのであった。
 21世紀を迎えようとする今日、日本各地でそれと同じ様に光景を見る事が出来るのである。

 

●山の尾根を走る古代の幹線道が「死国」の不思議を明かす
 日本全体を見渡しても四国は非常に不思議な所である。それはあたかも忘れられた地とされているかのようである。
 ある人はそれを指して「四国は死国にされた」といった程である。
 しかし四国は死国にされたが故に、人目に触れられる事もなく「契約の箱」は剣山山中に、しかも人工的につくられた水留めの上で守られ続けた事になるのではないだろうか。『東祖谷山村誌』は剣山について次のように述べている。
 「剣山への素朴な信仰は、修験道の霊山(大日如来)と崇められ
 るずっと以前からのものだったと考えられる。つまり修験道の行
 場としての剣山の性格性、即ち厳しい自然を持つ登山困難な山と
 いう意味だが、それだけの理由で修験道がこの山を求めたとは考
 えにくい(修験道の修業は、神から霊能力を頂ける為に、そして
 仏法でいうと金剛力を頂けるための修行として実行しているので
 す。これはブッダ様が行者の寓として批判されているが、当時空
 海様が此の近くに霊界の結界を張ったので、それと霊現象を起し
 たのではなかろうか。今、霊現象を科学的に明かすのが、千乃裕
 子先生が出す『超物理現象を物理学解明』に証されるのです)。
 剣山の側で、既にある種の信仰を集め得たからこそ、修験道をも
 招く事が出来たと考える方がよいと思われる」

 剣山は修験道の霊山になる前から、非常に崇められていた山だったのである。
 四国は殆どが山である。しかも高い山々が連なっている。平野は少なく、盆地は殆どないといっても良いだろう。
 JR土讃線に乗って高知を出発して、間もなく列車は山間に入る。それもV字型の谷底をはうように走り続けていく。
 筆者も、今から20数年前、その土讃線に乗ったとき、車窓から見上げるようにしてV字型の切立った山肌を見上げた事があった。そこには家がへばりつく様に建てられているではないか。
 どうして人々はそのような場所に家を建てるのか、どの様にしてそこに行くのか、生活はどうしているのか、水はどの様にして得ているのか等と思い巡らしたものである。
 四国以外の人々は筆者と同じように、東祖谷村、西祖谷村の山肌に立つ家々を見てその様に考えるものである。
 ここで大切な事は四国を思う時、四国以外の人々はその考え方を逆転させなければならないという事である。
 即ち四国の人々は、遥か昔から山の尾根を古代の幹線道路が走っていたのである。
 当時、人々は山の尾根づたいに移動していた。山の尾根を古代の幹線道路が走っていたのである。
 東祖谷村、西祖谷村では、今は谷にそって道路が走っている。しかしその道路は大正年間に開通したに過ぎないのである。
 人々は尾根づたいに移動し、尾根にそって家を建て、焼畑等をして何不自由なく生活していたのである。
 例えば徳島県山城町の塩塚高原にはカヤ等の雑草が生茂っているだけで、木は一本も生えていない。展望台から塩塚峠(標高1043m)までの約1Kmに亘る道は、尾根づたいの道である。このような道が四国の山の頂上近くの至る所にある。これが古代の幹線道路だったのである。


●パレスチナの地形と酷似する四国山上の地形
 四国郷土史家である大杉博氏は次の様に書いている。
 「四国の山々は往古から明治の頃まで山焼き風習が続いていて、大体
 中原から上には木がなかったのである。そして山上に飲料水用の大き
 な溜池を無数に造り、人々は山上に住んでいた。四国の山上からは既
 に多数の遺跡や遺物が見つかっている。現在も山上に村落が多いのは、
 その余波なのである」(『四国は死国にされていた』倭国研究所刊)

 確かに四国山上には多くの池がある。それも一目で人工の池であると分るのである。
 日本文芸社 宇野正美著『古代ユダヤは日本で復活する』P46に掲げた写真は、剣山に至る見越峠近くにある夫婦池である。標高1000m以上の所になぜこの様な池を造る必要があったのか。とても水田の為に造ったとは思えない。現にこの様な山の上に池を造った所で、どのようにして水田に引く事が出来るだろうか。
 これは生活用水であると共に、身を清める為のものであったと思われる。
 大杉博氏によると四国山上には周囲が1Kmもある巨大な池跡から、小は30平方m程の池跡まで無数の池が存在するという。
 大杉氏は調べ尽した。そするとそのような池及び池の跡は四国山上に約200カ所程もあるという。そしてこれらの池は例外なく、山頂や尾根の頂上部、更には段丘の上等に存在している場合が多いのである。
 どの道も、造られたという言伝えを残してはいないが、弥生式土器が発掘されている事から、弥生時代以前に造られたものであると分る。
 四国では幹線道路を確保する為に山の上には木を植える事なく、山焼きの習慣をほぼ近年に至るまで保っていた。剣山もしかり、次郎笈もしかりである。
 今日でも祖谷地方の農村では焼畑でソバを栽培している。そのソバから作った純ソバ粉、干ソバ、生ソバ等、将に素朴な味で大好評である。
 そのような日、筆者(宇野正美氏)がスタッフと共に剣山山頂に上がった時、そのスタッフは思わず次のように言った。

 「これはパレスチナの地形と非常によく似ている」

 将にその通り、古代ユダヤ人達の古里パレスチナと四国山上は地形が非常によく似ているのである。
 今、問題となっているイスラエルのエルサレムは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地である。このエルサレムはどのような町であるのだろうか。
 エルサレムは800mの山上にある。パレスチナでは人々は皆山の上に住んでいる。
 約2000年前、イエス・キリストは次のように言った。

 「あなた方は、世界の光です。山の上にある町は隠れる事が出来ません。
 ・・・この様にあなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い
 行いを見て、天におられるあなた方の父を崇めるようにしなさい」(「マ
 タイ伝」5章14、15節)

 この後、宇野氏は「イヤサカ」について述べていますが、いけにえの儀式は悪魔ダビデ、大サタンが起させた儀式なので、この悪しき風習は無くすのが、賢明であるのです。ユダヤ人の象徴である割礼も同じです。
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2016年03月18日

約束の地カナン(河南)の大阪と栄光なる伊勢(イスラエル)天下泰平さま

       

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日本列島は世界大陸を寄せ集めた雛形(ミニチュア)である日本雛形論。



その説はいくつものタイプがあり、その中では「イスラエル=大阪」という雛形論もあります。



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確かにイスラエルがある地中海の地形と大阪湾の地形もなんとなく似ている部分もあり、地中海に浮かぶキプロス島の形もまた淡路島に似通っているようにも見えます。



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現在のイスラエルと大阪府の形もまた似ており、そしてパレスチナ地方の古代の名称「カナン」と同じ響きの「河南町(かなんちょう)」が大阪にはあります。



ちなみに日ユ同祖論を伝えている船井幸雄さん、飛鳥昭雄さんの2人は、この河南にある大阪府立河南高等学校の出身となります。



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また「カナン」については、大阪と同じ漢字で書く「河南省」というのが中国にはありますが、ここは“開封のユダヤ人”と呼ばれた数百年にも渡って存在したユダヤ人コミュニティがあった場所であり、河南省の地図もまた、大阪の河南町を逆さにすると非常に似通っており、古代ユダヤの音と地名に残された不思議なシンクロは世界中に多数あります。



そんなユダヤとの縁が深い大阪の地において、木内鶴彦さんの活動母体であるセカンドステージ企画の講演会が来月に開催されます。



【2016年4月9日】大阪 坂上玲子×滝沢泰平 講演会 

日本の地図上の場所が世界のどこにあたるのか。連動する二つの地域…。大阪が世界のどこにあたるのかを踏まえ、サムハラの第二の拠点となった場所での講演会です。



●日時:2016年4月9日(土)14:00〜16:00(13:30〜開場・受付)



※講演会の終了が少しオーバーする可能性があります。



●場所:マイドームおおさか 8階 第3会議室 (大阪市中央区本町橋2番5号)



●参加費:6,000円(全席自由席) ※事前お申込み・お振込み必要



・懇親会はございません。




▶︎ お申し込みはこちら





岡山に奥の院のあるサムハラ神社がある大阪の地において、木内さんが臨死体験で持ち帰ってきた生命の源の音「サムハラ・マザーソニック」の公開となります。



毎回話の内容が濃くなっており、初めてご参加される方は戸惑ってしまう部分もあるかもしれませんが、なるべく初参加の方もご理解頂けるようにお伝えしますので、どうぞお気軽にご参加くださいませ。



また、翌日には同じくイスラエルと縁が深い「伊勢」でも同団体の主催の講演会があります。



なお、木内さんは療養中のためどちらの講演会も登壇しないのでご注意くださいませ。



【2016年4月10日】三重県伊勢市 坂上玲子×滝沢泰平 講演会

「天に二つの太陽」について―



●日時:2016年4月10日(日)14:00〜16:00(13:30〜開場・受付)



※講演会の終了が少しオーバーする可能性があります。



●場所:伊勢市観光文化会館 大会議室4 (三重県伊勢市岩渕1丁目13−15)



●参加費:6,000円(全席自由席) ※事前お申込み・お振込み必要



・懇親会はございません。




▶︎ お申し込みはこちら





古代ヘブライ語で【イセラエル(イスラエル)】【栄光なる伊勢】という意味の言葉であるとか、とにかく古代ユダヤの失われた10支族とも縁が深い伊勢。



この伊勢の地には、1万5000年前の大洪水に登場した“ノア”の破片が隠されているという話もあり、旧約聖書のかなり古い時代の頃から伊勢とユダヤは縁が深い場所でもあるようです。



大阪と伊勢、やはりどちらもユダヤと繋がりの深いエリアであり、日ユ統合に向けてのクライマックスが近い2016年は、このテーマはどの講演会でもシンクロしてきそうです。



ちなみに約2週間後の4月25日(月)には、伊勢市内において鳴海周平さんと長典男さん達とのコラボ講演会も開催する予定です(近日予約開始)。



2016年5月26日〜27日には「伊勢志摩サミット」が開催されるのも意味があってのことであり、この伊勢の地が今年は大きく開かれることになると思います。



「天に二つの太陽」とは一体どういったものなのか。詳しいことは講演会にてお伝えしますので、是非ご参加くださいませ。  

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2016年03月12日

2016年03月10日

【「ソロモンの財宝は四国にあり説」】

t02200136_0530032811887460614.jpg【「ソロモンの財宝は四国にあり説」】
 高根は1936年、内田文吉という古神道の研究家と出会った。内田は剣山に鉱区採掘権を持っており、高根と意気投合するや、その年の7月から鉱区採掘の名目で高根の指揮により、発掘を開始した。その坑道からは、大きな玉石や鏡石が出てきたが、アークと関係のありそうな出土品はついに得られないまま、二人は1943.12月、発掘を中止せざるをえなくなった。高根と内田が発掘を再開したのは、敗戦後の1945.9だが、たちまち資金が底をついてまたも断念、49年には内田が貧窮の内に世を去った。

 なお、50年前後の頃、清水寛山という人物がやはりアークを捜して剣山に登ったが、岩穴で一夜を過ごす途中、岩の下敷きになって死んだという地元の人の証言もある(大塚駿之介「四国にあるソロモンの秘宝」『特集人物往来』昭和三十三年五月号、所収)。

 1951年、高根は徳島県に埋蔵文化財発掘許可申請書を提出したが、翌年、元海軍大将・山本英輔と映画監督の仲木貞一、新興宗教・宙光道教の幹部らが同様の申請書を提出、県ではそちらのみを取り上げて、高根の申請を黙殺した。

 山本、仲木とも太古史マニアともいうべき人物であり、山本はかつてソロモン群島にソロモンの埋蔵金を捜したことがあるという(ソロモン群島の名は、1576年、スペインの探検家がこの島を発見した際、島民が黄金の装飾品を身につけていたことから、ソロモンに黄金を供給した伝説の国オフィルかと疑われたことに由来する)。仲木は関東大学教授になったこともあるインテリだが、戦前には自ら青森県戸来村のキリスト伝説の映画を海外向けに制作したこともある。このように山っ気のある人物がそろうことで、剣山発掘の目的はアークから、時価八千億円のソロモンの埋蔵金にすりかえられてしまった。

 山本は新興宗教・宙光道の中村資山ら同志を伴って52.8.7日に剣山入り、17日から発掘を開始した。その発掘により、山本らは五十体以上のミイラを発見したと主張するが、それは風化のため、土と見分けがつかなくなっていたということで真偽不明である。途中から、竜宮教教主・伊藤妙照なる人物も剣山に入り、古代の土器や人体の化石を掘り出したと発表したが、その現物は公開されなかったらしい。9月に入ると山本らの発掘は資金難から次第に行き詰まり、残ったのは発掘口の穴と山本の借金、そして神域を荒らしたことに対する地元の怒りの声ばかりという有様となった。

 山本らの発掘挫折の後、剣山を御神体山とする大剣神社では剣山山頂の発掘を一切禁じるという立場をとった。その後、70年代においても、宮中要吉氏ら少数の有志による発掘は非公式に続けられていたが、地元の大多数の人々は、その話をもはや忘れさろうとしていた。

 ところが1,990年代に入ってから、この状況に変化が生じる。きっかけは国際文化新聞編集長(当時)の三浦大介氏が、高根三教『アレキサンダー大王は日本に来た』を編集した縁で剣山を訪ねたことである。三浦氏はそこで大杉博氏と知りあい、国際文化新聞紙面に、邪馬台国四国山上説の発表の場を設けることになった(大杉『邪馬台国はまちがいなく四国にあった』の推薦文は三浦氏が書いている)。

 かくして、剣山のアークは四国山上説とセットで三浦氏により広められることになった。真先にこれに注目したのは先述の宇野正美氏である。大杉博『邪馬台国の結論は四国山上説だ』の帯コピーには「宇野正美氏も絶賛」の文字が踊っている。宇野氏は「古代ユダヤは日本に封印された」(『歴史Eye』九四年七月号、日本文芸社、所収)において、次のように主張する。現在、ユダヤ人と呼ばれる人々の大多数は紀元後八〇〇年頃、ユダヤ教に改宗した中央アジアのカザール人の子孫、アシュケナジー・ユダヤ人である。本当のユダヤ人ともいうべきパレスチナのスファラディ・ユダヤ人はアシュケナジーにより虐げられてきた。

 スファラディ・ユダヤ人の中には日本に渡来して、大和朝廷の日本統一に協力した者もいた。日本の神輿は「契約の箱」にそっくりであり、古代ユダヤ人の日本到達の証拠となる。「契約の箱」を日本にもたらしたのは、おそらく預言者イザヤの一群であろう。イザヤはユダ王国が滅びるのも近いと見抜き、「契約の箱」をもってイスラエルを脱出、日本に向かった。大杉博氏のアドバイスによると四国山上には古代のハイウェーが走っている。剣山が人工の山であることは高根正教の発掘で証明された。四国が到着地となったのは、四国山上の地形がパレスチナの地形によく似ているからである云々。

 以上の主張は宇野氏の著書『古代ユダヤは日本で復活する』(日本文芸社、一九九四年)でも繰り返されている。なお、この著書によると、宇野氏が預言者イザヤに着目したのは、記紀神話のイザナギ・イザナミをイザヤとその妻のことだとする川守田英二の説(川守田『日本ヘブル詩歌の研究』上・下、一九五六・五七年)に基づいてのことだった。

 また、一九九四年九月八日から十一日にかけて、徳島県美馬郡貞光町の商工会青年部は宇野氏や大杉氏の主張を地域振興に利用するべく、日本探検協会会長・高橋良典氏を招き、剣山周辺の遺跡調査を行っている。

 その前日、同年九月七日付・徳島新聞は「古代史ロマンで活性化」という見出しでこのことを報じた。その記事では同商工会青年部の斎藤衛氏が「古代史ロマンは貞光町だけでなく、四国四県にまたがんている。今後は、他地域の有志らにも呼び掛けて情報ネットワークをつくり、面的な広がりを持つ地域振興を図りたい」とコメントし、同紙コラムでも乾道彦記者が「剣山に古代ユダヤ人が移住し、日本の基礎を確立。邪馬台国へとつながった−(中略)この仮説と地域振興をつなげ、滞在型の“古代史の里”の整備は、ユニークな構想だ。過疎化に悩む地域にとっては、一筋の光明ともいえる。いかに育て、広げていくか。活動に注目したい」と述べている。

 さて、『古語拾遺』は古代、天日鷲命(『新撰姓氏録』によると斎部氏=忌部氏の祖)の一族が四国の阿波に入り、さらに阿波の忌部氏が関東の安房へと移住したことを伝える。日本探検協会はこの斎部氏=忌部氏の伝承に特に深い関心を寄せたようだ。

 高橋氏の剣山調査に同行した有賀訓氏は、その直後に書いた「房総『笠石遺跡』の秘密がついに解けた!」(『weeklyプレイボーイ』一九九四年十月二五日号、所収)で、房総半島に「亀をモデルにした石造物」があるとして、昭和薬科大学教授(当時)・古田武彦氏の「縄文時代の航海者は亀を崇拝していた」という説を紹介し、「斎部の故郷・剣山周辺の古代遺跡を見て回ったが、予想どおり亀をモデルにした巨石を数多く確認できた。となると、海上のアワ・ルートを通じて房総へ巨石文化を持ち込んだ人々の正体はやはり斎部氏ということか?」と述べている。

 また、有賀氏のこの記事には、房総半島が大和朝廷の関東進出の足がかりになったことについて、「実際には、古くから黒潮潮流を利用していた斎部氏に案内されて、ようやく大和勢力の関東進出がスタートしたということでしょう」という高橋氏のコメントも引用されていた。

 その後も有賀氏は同じ週刊誌の記事で、剣山の財宝伝説について触れ、「この約半世紀前の発掘騒動は、剣山山麓に生まれ育った六十歳過ぎの人ならば大抵は記憶している。発掘現場に潜入した人も多く、“トンネルの中には海砂が厚く敷かれていて大人たちが首を傾げていたよ”といった当時の目撃談が聞かれた」と述べる。

 この記事では、有賀氏は、忌部氏族を約四七〇〇年前、初の石造ピラミッドを設計・建造したエジプトの宰相イムホテプの流れをくむ技術者集団であろうとしている(「古代エジプト民族が日本に上陸していた!!」『weeklyプレイボーイ』一九九七年六月三日号、所収)。

 さて、高橋氏の調査後、日本探検協会では、忌部氏の祖・天日鷲命はヴィマナ(古代インド叙事詩に登場する空艇)に乗って大空をかけめぐった太古の英雄であり、剣山には太古の地下都市シャンバラの宮殿とヴィマナが今も眠っているとして、「四国は日本太古史の究極の秘密の鍵を握るところ」であると主張する(日本探検協会編著『地球文明は太古日本の地下都市から生まれた!!』飛鳥新社、一九九五年。幸沙代子「失われた太古日本の世界文明」『日本超古代文明のすべて』日本文芸社、一九九六年、所収。幸氏は日本探検協会事務局長)。


 なお、高根や山本によるアークおよびソロモンの秘宝探索の波紋は剣山以外の場所にも波及している。故・浜本末造によると、「契約のヒツギ」はエルサレム陥落前にイスラエルの民によって神殿から運び出され、釈迦、秦始皇帝、新羅王家の手を渡って、神功皇后により、奈良県吉野の玉置山に隠されたという(浜本『万世一系の原理と般若心経の謎』霞ケ関書房、一九七三年)。もっともその後、浜本は「契約のヒツギ」は神功皇后が鳴門の渦の中に納めたとも述べている(浜本「神国日本の秘められた歴史と使命」『地球ロマン』復刊一号、一九七六年八月、所収)。

 沖縄の斎場御嶽にもソロモンの秘宝が隠されているという話がある(喜屋武照真『炎のめざめII 太古の琉球にユダヤの痕跡』月刊沖縄社、一九九七年)。同書に掲載された霊能者・石田博の手記によると山本英輔の剣山発掘は当時、「行者の間では問題になった」とあり、それに続けて斎場御嶽のことが出てくるので、この沖縄のソロモン秘宝の話が剣山から飛び火したことは間違いない。

 徳島県名西郡神山町で「日本超古代研究所チナカ」を主宰する地中孝氏は、ソロモンの財宝は剣山ではなく、その東の神山町神領方面にあるとする(地中『ソロモンの秘宝は阿波神山にある!』たま出版、一九九五年)。この地域は阿波邪馬台国論者によって卑弥呼=天照大神の本拠とされたあたりである。神山町内に立てられた「日本超古代研究所チナカ」の看板には「古代文字を解読してソロモンの秘宝の謎に迫り解読と発掘に賞金五億円ウガヤ王朝の京は神山にあった」というコピーが踊っている。

 神山の山村出身の地中氏は同書において、「庸の時代から三〇〇〇年変わることなく続けられた高地性山岳農法と生活の体験」を記している。地中氏は、小学校三年生の時、姉の下宿している徳島の町に出ただけで「山峡の谷あいで生れ育ち、外界の広さを知らぬ井の中の蛙であった子供心に、あくまで広大でまだ見ぬ世界のあることを、大人のさまざまな生き方があることを単純に開眼した」という。地中氏には申し訳ないが、同書で一番面白いのは、この山村生活の回想のくだりである。 

 さて、高根正教から日本探検協会まで、剣山のアーク(もしくはソロモン秘宝)について諸説あるが、なぜ、ソロモンゆかりの宝が遠く離れた四国にあるのか、その説明は様々である。高根はアークを日本にもたらしたのはアレキサンダー大王(=崇神天皇)と田島守と考えているが、山本の発掘に協力した中村資光は「ソロモン王家」という実際には存在しない王朝(ソロモンは人名であって家名ではない)が剣山にやってきたと説く。佐治芳彦氏はソロモンのタルシシ船団に着目するし、宇野正美氏はイザヤがアークを持ってきたという具合である。

 剣山のソロモン秘宝説、邪馬台国四国説、高天原の比定、太古日本世界文明説(木村鷹太郎の新史学、『竹内文献』、日本探検協会)の論法には類似点がある。

 宇野正美氏は、次のように述べる。「長きにわたって四国は“死国”とされてきた。四国について書かれた小説はほとんどないし、四国についての歴史教育はほとんど行われない。日本中に高速道路が張り廻らされたとはいえ、最後にそれが完成したのは四国の中でも阿波の国、徳島県だった」(前掲「古代ユダヤは日本に封印された」)。


【「神秘の剣山説」】
 大塚駿之介氏によると、山本の剣山発掘に同行した中村資山は霊媒であり、次のような剣山の秘史を霊視していたという。「剣山は、むかし、岩石が花の雄しべのように乱立していて、その真ン中に、雌しべのごとき一本の大きな石の柱があった。その残りが、根幹だけとなったいまの宝蔵山である。故国を脱出したユダヤのソロモン王家とその一族六、七千人がいまから三千七、八百年前に東進してきて、剣山のこの特異な姿にひかれ、室戸岬に上陸し、山頂において十四代八百余年に及ぶ文化生活をはじめた。頂上には王家と近親五百人くらいが残り、三代めの王のころは、大半が下山して祖谷地方に走り西に移動しながら伊予の奥に達した。頂上族は、信仰の象徴であり中心であった大石柱が倒壊したので、王は自殺し、嗣子がなかったため、十四代をもって解体した。そして、王宮と重宝を埋蔵し、すべての史跡を岩石化するために、約二カ年の歳月をついやし、現在のような姿の剣山とした。下山族は、この悲報を伝え聞き、王妃と姫を守って故国へ帰ろうと計り、さっそく実行に移ったが、途中、北陸の金沢付近まできたとき、王妃と姫が相次いで病死してしまった。その後、頂上族と下山族の間にしばしば対立と闘争が続いたが、やがて、伊予の奥地一帯にほとんどが定住し、帰国する者がなくなり、平和になった」(「四国にあるソロモンの秘宝」)。

 また、78年に剣山のソロモン秘宝伝説を現地取材した柞木田龍善氏は、「剣山が阿波の古代文化発祥地で、約四千年前も、室戸岬から約一万人のユダヤ人が北上して付近にすみついていた」、「平家落人部落で知られるこの祖谷山の住民は、世界各国でみたユダヤ民族の顔と共通点である。あそこにはユダヤの血が残っている」という山本英輔の言葉や「二千五百年前に十四万四千人のユダヤ人が日本に移住し、剣山にユダヤの三種の神宝を埋蔵し、新しいユダヤ国家を日本という名で創始した。神武維新とはほんとうはこれをいう」という第三文明会会長・小笠原孝次の説を伝えている(柞木田『日本超古代史の謎に挑む−日本・ユダヤ同祖論の深層−』風濤社、一九八四年)。

 武内裕氏(武田洋一)は、剣山は縄文時代以前の原日本人が遺したピラミッドであり、そこに埋められているのは原日本人の宝物であろうという(武内『日本のピラミッド』大陸書房、一九七五年)。

 佐治芳彦氏はソロモンのタルシシ船がインド、東南アジアまで至っていたとして、「おそらく、古代世界最大、最良質の真珠採取海域であった日本近海も彼らの視野に入っていたであろう。タルシシ船団は、ルソン島沖で日本海流(黒潮)にのれば、それこそ目をつぶっていても、日本列島に到着する。九州、大分で発見された前八世紀の縄文製鉄の遺跡は、この船団の仕業と見てよい。彼らは、わずかな鉄と大量の真珠や砂金とを交換して巨利をむさぼったのであろう。(中略)このようなソロモン時代にさかのぼれるユダヤ人の渡来が、四国の剣山に伝わるソロモンの財宝埋蔵伝説の集団無意識的背景となっているのではないだろうか」(佐治『謎の九鬼文書』徳間書店、一九八四年)と述べる。

 ちなみに前八世紀の大分県にソロモンの製鉄プラントがあったというのは、もともと鹿島昇氏の説である。なお、大分県の製鉄遺跡について、その年代を前八世紀とするのは九州大学助手の故・坂田武彦の鑑定によるものだが、現在の考古学的常識では日本列島で後三世紀より前の確実な製鉄遺跡はまだ見つかっていない。

 鹿島氏は『古事記』の大国主命(大物主命)の一族はソロモンの末裔だという。すなわち、『古事記』の因幡の白兎の話の原形と思われる説話がマレー半島にあり、そこではソロモン王の命令を受けたと称する鹿がワニをだましたという話になっている。したがって「マレー神話の“ソロモンの命令を受けた鹿”は『古事記』の“大物主命に助けられた兎 ”に対応するから、ソロモン・イコール・大物主命という図式が成立するのである。なるほど、大物−オーモン−ソロモンと考えれば、謎はとけてしまう」というのである。

 また、鹿島氏は、日本のいわゆる神代文字の中にフェニキア文字から発展したものかあるとも述べている(鹿島『日本ユダヤ王朝の謎』正・続、新国民社、一九八三・八四年、他)。
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2016年03月09日

「阿波国の秘密考」




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「阿波国の秘密考」



 (最新見直し2009.2.5日) 

 (目下、全く不十分です。引用、転載元は改めて確認する予定です)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「阿波国の秘密」は興味深い。「日ユ同祖論」から注目されているが、れんだいこは逆に「日ユ同祖論」汚染されぬ限りでの「阿波国の秘密」を探索しようと思っている。ただまだ緒についたばかりなので、とりあえず参考資料を蒐集寄せておくことにする。
勝子

 2003.9.12日、2007.1.10日再編集 れんだいこ拝





【「日猶同祖論」と四国の関わり】「失われたアーク」
 「邪馬台国四国山上説」に微妙な影を落としているのが「日猶同祖論」である。「日猶同祖論」とは概要「古代ユダヤの流浪の民が日本に渡来してきており、これが皇室の祖先となっている」とする説であるが、酒井勝軍がこれを唱え、宇野正美が継承した。曰く、遠い昔古代ユダヤ小王国が徳島にあり、剣山上に今も「モーゼのアーク(契約の聖櫃)」(アークは、ハリソンフォードの映画「レイダース 失われたアーク」で取り上げられている)が秘せられている。天皇家の菊花紋と聖地のヘロデ門にある菊模様が同じであり、東祖谷村にはキリストと読めないこともない「栗枝渡神社」がある云々。

 そもそもアークとは一体何か。なぜアークが四国にあるのか、これを見ておくことにする。旧約聖書によると、アークとは元々、モーゼが出エジプトの際にシナイ山で神から授かった十戒の石板を納めた箱のことを云う(「出エジプト記」第十九〜四十章)。

 ヘブライ(イスラエル)王国第3代目のソロモン王は、ツロ(テュロス)の王ヒラムの協力を得て、エルサレムに壮麗な神殿を建ててアークを安置した。その神殿建設には黄金、青銅、レバノン杉など高価な装飾や建材が惜しげもなく用いられた。ヒラムは偉大な航海民族・フェニキア人の王の一人だった。またソロモン自身もタルシシ船といわれるフェニキア人の船団のオーナーだった。ヒラムの船団とソロモンのタルシシ船団は、協力して紅海、地中海、そしてさらに遠い海の彼方へと交易に向かい、イスラエルに富をもたらしていたのだ。それが世に言う「ソロモンの栄華」である(旧約聖書の「列王紀上」第五〜十章)。

 ソロモンの死後内乱が起きて、その王国は北朝イスラエルと南朝ユダに分裂する。イスラエルは前721年アッシリアに滅ぼされ、ユダは前587年新バビロニア王ネブカデネザルに滅ぼされた。ユダ滅亡の際、バビロニア兵が首都エルサレムに乱入して、神殿も王宮も焼き払う。「列王紀下」25章には、財宝をすべて持ち去ったとある。

 だがアークに関する記述はない。神の栄光の象徴たるアークも、バビロニア人から見れば石板を入れたただの箱である。常識的には、アークはその時壊されたはずだ。しかし、信仰者とすれば認めたくはない。イスラエル人から見れば神の栄光の象徴たるアークも、バビロニア人から見れば、石板を入れたただの箱に過ぎない。彼らの関心はただその箱を飾る黄金にのみ向けられたはずであるとして、失われたアーク探索の試みが、史上幾度となく繰り返されることになった。ルーカス、スピルバーグ監督の映画「レイダース 失われたアーク」の国際的ヒットにはそのような歴史的背景がある。

 ところで、このソロモン王が実は死んではいなかったという説がある。3000年近く前、故国を脱出したユダヤのソロモン王家の一族は、なんと日本にやってきた。7000人というユダヤ人達一行は、四国の室戸岬に上陸して剣山に移り住んだ。以来この山頂において、14代800余年にも及ぶ生活をはじめたというのである。その集落が「倭」であり「和」であった。これこそが「邪馬台国」だという。

 ある時王達はこの和を出ることになる。奈良にたどり着いた一族はそこで国を造る。もっと大きな和、つまり「大和」である。だから天皇家の祖先はユダヤ人だということになる。一方、四国の和は「阿波」と変化する。淡路島はこの「阿波への路」からきている。そしてみんなを、奈良の大和へ連れて行ったリーダーこそが聖徳太子だというのだ。

 謎の多い「カゴメの歌」はソロモンの秘宝を歌ったものだともいう。剣山の頂上には宝蔵石、鶴石、亀石という3つの大巨岩があるが、歌詞の鶴と亀はこの石を指している。夜明けの晩とは、月と太陽がともに天にあろうとする時期をさし、伊勢神宮のシンボルに符合する。また、カゴメは籠目、籠目紋といえば、つまりソロモンの星と同じ六芒星を意味する。宝蔵石こそが財宝のありかを指す岩ということになる。


【「アークは四国にあり説」】

 最初にアークが剣山に隠されていると言い出したのは、神奈川県出身の元小学校校長・高根正教という人物である。高根は、「新約聖書」と「黙示録」、さらに「古事記」を比較研究して剣山に「契約の櫃」が隠されているという結論に達したという。高根は戦後の1952年、「四国剣山千古の謎−世界平和の鍵ここにあり」という小冊子を上宰している。また、その遺稿が御子息の高根三教氏により、「ソロモンの秘宝」(大陸書房、1979年)、「アレキサンダー大王は日本に来た」(システムレイアウト、1990年)という二冊の本にリライトされており、そこから高根の考えの道筋をたどることができる。

 それによると、「黙示録」第四章にある神の栄光を示す四つの生き物の記述(獅子、牛、人、鷲)と、「古事記の国産み神話」に、「四国は、面四つあり」とする記述が対応するものと考え、神の栄光の象徴たる「契約の櫃」が四国の剣山に隠されているということになり、「四国」とは「死国」であり、黄泉国であったとする。「アレキサンダー大王は日本に来た」によると、西洋史で早逝したとされるアレキサンダー大王(前326年没)は、実は自らの死を偽装して日本に渡来して、第10代崇神天皇となった。その後、アレキサンダーは田島守をエルサレムに派遣して「契約の櫃」をこっそり日本へと運ばせ、四国剣山に隠したのだという。田島守(田道間守)に関して万葉集に大伴家持の「橘の歌一首」がある。田道間守は、常世国から「トキジクカグノコノミ」を持ち帰ったと歌われている。

 また、剣山の麓、徳島県祖谷地方に伝わる次の民謡は、「契約の櫃」の所在を示すものだという。

  九里きて、九里行って、九里戻る。
  朝日輝き、夕日が照らす。
  ない椿の根に照らす。
  祖谷の谷から何がきた。
  恵比寿大黒、積みや降ろした。
  伊勢の御宝、積みや降ろした。
  三つの宝は、庭にある。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  先なる車に、何積んだ。
  恵比寿大黒、積みや降ろした、積みや降ろした。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  中なる車に、何積んだ。
  伊勢の宝も、積みや降ろした、積みや降ろした。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  後なる車に、何積んだ。
  諸国の宝を、積みや降ろした、積みや降ろした。
  三つの宝をおし合わせ、こなたの庭へ積みや降ろした、積みや降ろした。

 高根の説はあまりにも抽象的、神秘主義的であり、文脈を追うことさえ難しい。また、その発想には木村鷹太郎の新史学の影響が強く読み取れる。

 さて、大杉氏は「天皇家の大秘密政策」において、大秘密政策の理由について、意見の修正を行っている。大杉氏は述べる。「“天皇家の出自は四国の山上であるという噂が広まると、民衆に嘲笑されて大和朝廷を維持することができなくなるので隠した”というのは、天皇家の出自を隠した理由として弱いということは、私自身も感じていた。しかし、私としては当初、それ以上のことは脳裏に浮かばなかったのである」。

 ところが、大杉氏は、ユダヤ問題研究家として名高い宇野正美氏と邂逅し、剣山に登ってから新しい知見を得る。四国剣山の秘密にたどり着く。その秘密とは、単なる「日猶同祖論」ではない。概要「現在の世界を陰で支配しているといわれるユダヤ人は、実は本物のユダヤ人ではない。その決定的な証拠が、日本の、しかも四国の剣山に隠されている。その証拠が『契約の箱』であり、大秘密政策は『契約の箱』を隠し通すためのものであった。空海が四国八十八箇所を定めたのも、聖域に近づけないための『結界』にせんが為であり、この大秘密政策により四国は死国にされた、四国は黄泉国にされた」と主張するところとなった。

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2016年03月08日

四国に来た”古代ユダヤ人”


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今回は、我が四国に来た「古代ユダヤ人」の話題にさせて頂こうかと思うのですが、伝承では、約2000年前に彼らは四国に来たそうです。

尚、以下からは、文章能力のない私では正確に伝えられないと思いますので(ry、今回もまた、よそ様がネット上に公開して下さってる内容を、そのまままるっと転載させて頂こうかかなと思っておりまする…(vv;)←蹴っww

以下、http://e4.gofield.com/column/archives/000356.php 様から拝借。
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今回のガイド役である林氏(『日本の建国と阿波忌部』の著者)は、この忌部の里に散らばる大小の神社、古墳、この地方に産する青石(緑泥片岩)を用いたメンヒル(立石)などの分布を詳細に調査している。

 東北地方には、縄文時代中期に作られたストーンサークルが各地に存在し、さらにそれと関係する巨石遺構も残る。それらは、明らかに古代の太陽信仰をベースとしていて、冬至、夏至、春分秋分など一年の区切りの日の太陽の運行に合わせて配置されている。そして、それらの「聖地」は、後に東北地方で力を持ったアラハバキ神を信仰する鉱山技術の民(炭焼藤太や金売吉次は、まさにこの集団に属していた)にとっても聖地とされた。

 阿波忌部氏もメンヒルやドルメンを造り、それを各地に配置したと聞いて、東北の鉱山技術の民に繋がる何かがあるのではないかと感じた。

(中略)

メンヒルと神社が指し示すもの

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 今回のツアーでもっとも関心のあったメンヒルは、忌部の里全体では1000基以上も確認されているという。実際、集落の片隅にも庚申塚のように据えられた特徴的な青石があり、畑の隅には立石の上に蓋をしたような格好のいわゆるドルメン状のものまであって、これは地元では「山の神」や「かまどさん」 と呼ばれているという。

 急斜面に石垣を築いて棚畑を形作る技術を見れば、忌部の人たちが石を扱うことに長けていたことは一目瞭然だ。山地を渉猟して鉱物資源を探し、さらにはタタラを築いて金属を精錬していた民族ならば、石の扱いに慣れているのは当たり前ともいえる。

 だが、おびただしい数のメンヒルを築いた目的は何だろう。

 実際にそれを目にするまでは、ぼくはタタラを行う際に炉に吹き込む風を最大限にできるように山から吹き降ろす風の通り道を示した一種の道標のように用いられていたのではないかと想像していた。

 だが、集落に点在するメンヒルを見る限り、そうした法則性があるようには見えない。もっとも、後代にタタラを行わなくなって、その意味が忘れられ、一般的な道祖神や塞の神に姿を変えたとも考えられる。

 奥深い山中には、人の背丈を越える大規模なメンヒルが昔のままに残されているというが、残念ながら今回はそこまで調べることはできなかった。

* * * * * * * *

ツアーの最後に、忌部でももっとも古い集落の一つ、伊良原を訪ねた。ここには、忌部神社の里宮である「御所神社」と、典型的な巨石遺構の奥宮があるという。

 日の暮れる前に奥宮だけでも確認したいと、急斜面をあえぎながら上り詰める。

 そこには、むき出しになった岩盤の上に巨岩を据えた大規模なドルメンと、そこから西に向かって築かれた石垣があった。いずれも里で見たものとは異なる大きな岩を加工したもので、正確に南北線を指し示していた。

 里宮に当たる御所神社は方位角56°方向で、この地方の夏至の太陽が上る方向60°に近い。地形を考えると、ほぼぴったり、里宮方向から奥宮へ向かって夏至の太陽の朝日が差し込んできたのではないだろうか。

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ツアーの翌日、忌部にとっての総社がある種穂山を訪ねた。

 ここは、阿波忌部の祖神である天日鷲神(あめのひわしのみこと)が降臨したとされる山で、頂上には種穂忌部神社が鎮座する。

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(中略)

今回のツアーでは、いつもレイラインハンティングを行うときのように、GPSを持参して、各物件の正確な場所をプロットした。そのデータをデジタルマップに転送すると、面白い事実に気がついた。

 そこには、夏至の太陽を指す遺跡と神社の配置が浮かび上がっていた。

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上の図の白人神社と神明神社の部分をクローズアップすると......

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白人神社の南西に位置する神明神社。「神社」とされているが、その姿は古墳か巨石文化に関係する遺構のように見える。この長辺が白人神社を指し、同時に夏至の日の出方向を向いている....

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以上、転載はここまで。

尚、↑の写真の「神明神社」とは、下記の動画に登場するイスラエル大使が、

「これは、古代ユダヤの神殿の造りと同じだ」
http://www.youtube.com/watch?v=xoowLHXVTvI&feature=related

と言った場所になります(^^;)

さてさて、このように阿波の地(徳島)に「古代ユダヤ文明?」を築いた古代ユダヤの皆さんですが、今から約1400年前に、今度は近畿地方に移住して行き、その地に元々居たお仲間さん(古代ユダヤ人仲間ですね^^;)と共に、後に「平城京」を建都したのでありますが、この「平城京」も古代ユダヤの秘儀である「カバラ」を使っているのは有名でありますね(^^)v

ちなみに、余談になりますが、今回のテーマにさせて頂いた阿波の「忌部氏」ですが、何だか一般的には

「蘇我氏の手下だった」

みたいな事を言われているようで、とても残念でなりません…(T^T)
正確には、「蘇我氏」ではなくて、「聖徳太子」に仕えていたのでありまして、決して「蘇我氏の手下」などではなかったのです〜(><;)

尚、そう言えば前回、『先代旧事本紀』関連本につきまして書かせて頂きましたけども、この『先代旧事本紀』の中には忌部氏の子孫が書かれた『古語拾遺』から引用されている箇所があったりするそうで、そういった観点からも忌部氏と聖徳太子の繋がりは深いように思えます(vv)

そして、もう一つ、「忌部氏の誤解」としまして、「神代文字を否定した者」といったレッテルが貼られてしまっているようですが(ry、これも大きな誤解です…(><;)

以下、http://members3.jcom.home.ne.jp/shishoukaku/07sk/
160627fabrication/fabrication.html#507 様から拝借。
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『古事記(712)』、『日本書紀(720)』、『古語拾遺こごしゅうい(807)』 の意味

 ・このような時代的背景の下で、先代旧事本紀の後に編纂されたのが、古事記・日本書紀・古語拾遺で
あるから、古代の文字・文化・歴史に関して欺瞞的記載がなされているのは当然である。

 ・特に『古事記』は古代の皇室の行動を意図的に卑しめた作り話が多く、後述する神代のヲシテ文献と
  比較すると歴史の改竄が明確である。江戸期の優れた国学者である本居宣長が『古事記』に陶酔して
  道を誤ってしまったのは、無残という他はない。
  
 ・漢字渡来以前に日本に文字がなかったという神代文字否定論の原点は、『古語拾遺こごしゅうい(忌部広成いんべのひろなり撰)』
  に「上古に文字あらず」とあることにある。ところが、撰者である忌部広成いんべのひろなりの忌部いんべ氏は、太子・馬子
  の命によって古代文書を差し出した六家(内縁および吾道、物部、忌部、ト部、出雲、三輪)の一つ
  であり、また祖先天富命が遺し、神代文字が書かれていた「神魂土笥」を泡輪宮に粛奉してきた家で
  ある。即ち、忌部いんべ氏はヲシテ文献を守って来た家そのものなのである。

  このような家柄の忌部広成が、180年程前、その神魂土笥を聖徳太子に取り上げられた自家の重大事
  を知らなかったとは到底考えられない。考えられる理由は唯一つ、古代に文字が無かったことを強調
  しなければならない重大な理由があったということである。

・そもそも、よむ、かく、しるす、ふみ、したためる・・など、読み書きに関する言葉は全て訓読みで
  ある。漢字以前に文字がなかったというなら、これらは、全て音読みである筈である。

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以上、転載はここまで。

それにしましても、飛鳥時代は、いろいろ〜〜な意味におきまして、本当に怒涛の時代だったようですな…(vv;)
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posted by rio at 05:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「失われたアーク」伝説の剣山は、弘法大師・空海によって封印された(大和富士様より)





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 モーゼがヤーウェから授けられた「十戒が書かれた石板」が収められた古代ユダヤの秘宝「契約の箱」は、「失われたアーク」伝説として、ハリソン・フォード主演の映画「レイダース 失われたアーク」にも登場しましたが、四国の剣山に眠っているという古くからの言い伝えがあります。

 ノアの箱舟が、大洪水後に初めてアララト山の上に止まったとされる、ユダヤ暦の7月17日、古代イスラエルでは、「シオン祭」で巡行の祭りが行われ、地球に再び生命が蘇った、人類にとっての記念すべき聖なる日を、盛大に祝っていました。

 古代イスラエルから数千キロ離れた日本の京都では、数千年経った今でも、グレゴリオ暦の7月17日に、祇園祭で山鉾巡行が行われ、この古代ユダヤの聖なる記念日を、盛大に祝っています。
「祇園」とは「シオン」が訛ったものだとも言われています。
 祇園祭山鉾連合会・理事長が、テレビ番組の中で「祇園祭はユダヤの文明と同じ」であると仰っていたように、日本と古代ユダヤには、深く密接な繋がりがあります。

 そして、「契約の箱」が眠ると言われている、四国・徳島の剣山では、7月17日に剣山神社本宮大祭が行われ、お神輿を山頂まで運ぶ儀式が行われますが、お神輿は、「契約の箱」がモデルだとも言われています。

 弘法大師・空海が、四国八十八箇所霊場を開いたのは、剣山に人が近付かないように結界を張り巡らせたのだとも言われており、札所からは、剣山が見えないように配慮されているようです。

 四国は、「死国(しこく)」として、封印される運命にあったようです。
 また、剣山がある阿波の国・徳島も、それより以前に既に封印されて、歴史の表舞台から消えてしまいました。

 古代ユダヤの秘宝「契約の箱」が眠ると言われる剣山がある、阿波の国・徳島と、「死国(しこく)」として封印されてしまった四国が、長い年月に亘る眠りから覚めて、そろそろ蘇る時期を迎えているのかも知れません。
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2016年03月01日