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満州王朝の正当な後継者である張勝植氏が、日本の真の歴史を記した本を出版するということで、国家非常事態対策委員会に顏出し出演!あとで読む

2018/10/23(火) 午後 5:00

書庫日記

ナイス!2







    満州王朝の正当な後継者である張勝植氏が、日本の真の歴史
    記した本を出版するという。↓参考になれば、と貼り付けました。
    http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/china/karyu/manshu.htm
     まぼろしの満州国


    張勝植氏が、国家非常事態対策委員会に出演しました。
    動画をご覧ください。






       https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=177897
             シャンティフーラの時事ブログより





               画像の出典:pixabay [CC0]

   満州王朝の正当な後継者である張勝植氏が、日本の真の歴史
   を記した本を出版するということで、国家非常事態対策委員会に
   顔出し出演!




   竹下雅敏氏からの情報です。


   冒頭の動画は衝撃的。顏出しで、満州王朝の正当な後継者が、
   日本の真の歴史を記した本を出版するということで、出演してい
   ます。早速、本の予約注文をしました。


   この本の内容紹介と出版社からのコメントを見ると、著者の張勝植
   氏は、古庄團(ふるしょうだん)の7代目で、4代目は、大室寅之祐
   すなわち明治天皇だということです。BIS、FRBの基金の正当な
   後継者は、基元 (大室寅之祐、明治天皇) とその直系子孫だと書
   かれています。だとすれば、基金の正当な後継者は、今上天皇で
   はなくこの張勝植氏だということなのでしょうか。


   謎の多いMSA資金の大元のゴールドの所有権が誰にあるのかが、
   この本を読むとわかるのかも知れません。


                                    (竹下雅敏)


       https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%90%8D%E38D/dp/4864716935  この本の内容の紹介と出版社からのコメント
               を見ると・・・





   BISの金塊は日本のもの
   転載元) 嗚呼、悲しいではないか! 18/10/22
   http://jicchoku.muragon.com/entry/367.html


   満州王朝の末裔 「張勝植」 を招待した。





   ・ 本は出版した。明治天皇について10/30に出版した 『朝鮮名
   は張基元 朝鮮半島から [万人幸福の世界作り] を目指した明治
   天皇』




                    出典:Amazon
                            (出典はシャンティ・フーラが挿入)

    ・ 満州の金ではなく 、日本の金である (山梨と九州で作った)
    ・ 1947年に欧米のために使われた。
    ・ スイスの山の中に70万トン (天皇の金、日本の公の金)
    ・ 他国は18% ロスチャイルドは8%使える。
    ・ 明治天皇の朝鮮名 「張基元」 1971年に亡くなった。
    ・ 今年、その借用の期限がくる。
    ( この B I S の運用益の75%は日本の物と言うことか。板垣
    が言う M S A 資金の運用益と言っているのはこのことか )

    (以下略)




                     



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posted by rio at 13:23| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月31日

歴史的真実です!

<大東亜戦争の目的2…第二次河豚計画と横田めぐみさん>

1993年3月16日、ロシアの「ノーバヤ・ブレーミヤ」誌と、1998年6月26日の「トルネード7」紙が、「金正日の父は金日成ではなく、朝鮮名・金策(キムチャク)と名乗る日本人・畑中理(はたなかおさむ)である」と暴露しました。

「金策」は、京都皇統が朝鮮統治下の反体制運動の中に送り込んだ、陸軍中野学校出身の上級工作員(陸軍特務少佐)であり、1901年設立の「大亜細亜主義」を目指した国策遂行特務機関「黒龍会」のメンバーですが、日露戦争の勝利を諜報活動で促進した明石元二郎陸軍大佐系列の人物でもあるとされています。

金策には「金正日」と「金国泰」「金巳男」という三人の息子がいました。このうち金正日は、「お抱え料理人」だった藤本健二氏によれば大の親日家で、日本の「ラ王」や「力うどん」などのカップ麺を食べ、カラオケでは日本の軍歌を歌い、車はセンチュリーに乗り、パソコンはNECを使用し、日本のテレビ番組を好んだといいます。

金正日は日本のカップ麺を食べながら「日本の料理というのはインスタントも含めて、すべてカツオブシが基本になっているのだな」と、いつも感心していたそうです。

また、1982年当時、金正日は万景峰号で極秘来日し、赤坂高級クラブ「コンドルブルー」のショーを見てすっかり気に入り、北朝鮮にコンドルブルーの舞台を再現し「喜び組」にそっくり同じショーをやらせていました。プリンセス天功のイリュージョンを見たのもコンドルブルーで、その後たびたびプリンセス天功を北朝鮮に招くようになったと言います。

一方、当時9歳だった金正恩も、1992年頃、別人に成りすまして日本に入国。藤本健二氏によれば、正哲、正恩、ヨジョンの高英姫の子供たち3人も両親同様に日本好きで、日本のお菓子はもとより、日本食も抵抗なく食べていたし、日本語を勉強し、日本についての知識もある親日家であるということです。

そして、この「金正恩」は金正日と「横田めぐみ」さんの息子で、実際、めぐみさん似の顔立ちであり、金正恩には旧朝鮮王室と日本皇室の血が流れており、横田めぐみさんは現在、北朝鮮で最高権力者の地位にあるW国母Wとなっていると聞いています。

実際、横田めぐみさんは、2012年5月、7月、9月の3回、密かに日本に帰国して警察当局と交渉したが失敗、「今後は皇室関係者(京都皇統?)と相談する」と言い残して北朝鮮に戻っていったようです。

また、横田めぐみの母「横田早紀江」さんは、李氏朝鮮皇太子「李垠」と「梨本宮方子(まさこ)」の間に生まれた子で、「王朝」としての正当性を確保したい北朝鮮の金体制は、旧朝鮮王室と日本皇族の血を引くめぐみさんを、金正日の妻として欲しがり、これが拉致事件が起こされた理由とされています。

一方、金策を送り込み、金王朝による「擬似天皇制」を推進した國體政府・京都皇統の目的は、偏に「満鮮経略」、すなわち、満州から朝鮮半島を北方からの脅威に対するW絶対的国防ラインWとするとともに、東アジアの古代史を背景とする「大亜細亜主義」を推進して、「五族協和」「王道楽土」の実現を図ることにあります。

その具体的な動きの一つは「朝鮮戦争」です。敗戦で日本が武装解除されていた隙間を狙って、韓国の李承晩政権は一方的に「李承晩ライン」を宣言、竹島を占領します。更に対馬と九州全体までも狙って半島南部に軍を集結させたので、これを阻止するため金策は金日成を動かし「朝鮮戦争」が起きました。

一方、これに対し米国も朝鮮戦争に参戦、共産主義の進行を阻止するという建前の動きに出ます。が、これにより南主導で半島が統一され、「統一韓国」ができてもそれは米国の傀儡政権になり、アジア諸国の欧米支配からの解放を謳った「大東亜戦争」の理念に背理する。

しかし、日本の支国(傀儡国)である北朝鮮による統一であれば、日本にとってのW緩衝地帯Wを築けるとともに、「大亜細亜主義」の理念に叶うと金策は考えたのでした。

また、2010年10月20日に韓国が対馬侵攻を念頭に大部隊を集結した時も、これを知った北朝鮮軍が集結。同じく習近平政権に批判的で、日本の「満鮮経略」による満州独立を理解し、賛同する人民解放軍の「瀋陽軍」も中朝国境地帯に約30万人の兵力を集結。そして11月23日、北朝鮮は「延坪島」を砲撃しました。

以上の観点からいって、朝鮮戦争から現在の北朝鮮の核カードを使ったW外交ゲリラ戦Wは、「大東亜戦争の延長戦」と言うことができます。

したがって、北朝鮮が日本の「満鮮経略」が具体化された「第二次河豚(フグ)計画」に沿って半島統一に向け動き出せば、日本は「支国」である北朝鮮を軍事的にも支援することになります。が、それにはいまの憲法では、日本を攻撃してくる米国ネオコンの傀儡国家である韓国軍に対し、単独では即応できないため憲法改正が急がれているのです。
posted by rio at 06:25| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月25日

エデンの園であったヤマトの国





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【世界最古】不二阿祖山太神宮 もうこれ以上はない日本根本の秘密

“【内容紹介】
ここは世界鎮火の役割を担った宇宙神社
再建に傾くと富士は鎮まり、忘却に傾くと噴火する!
日本沈没から世界沈没へのシナリオをくつがえすため に消された歴史・伝統のすべてを「文献と科学」と共にここによみがえらせる!
富士(不二)こそがホンモノの高天原、人類と世界文明のホンモノの発祥地!


◉ 不二阿祖山太神宮は、宮下文書に書かれています。富士山は、平安時代に10回噴火して、大きい頂が2つになっていた。このときに不二阿祖山太神宮は焼けて消滅しているのですが、頼朝公が再建して、私の再建は4回目となります。

◉ 宝永の噴火のときもそうですが、富士山が噴火すると神奈川県が大打撃を受けます。鎌倉に幕府をつくろうとしている頼朝は、富士山の噴火があってはならないということで、太神宮を再建したのです。

◉ 徐福の一族の秦氏を使って、方術、方位学、今でいえば四柱推命学とか風水とかいろいろありますが、その元みたいなものを使って、富士山の鬼門の阿祖山太神宮を再建しないとダメだと、阿祖山太神宮を再建すると、富士山の噴火がおさまるということで再建します。

◉ 400年前は慶長の大地震ですが、このときにまた 不二阿祖山太神宮が復活し始めます。1435年に富
士山が噴火するのは、足利尊氏がここ(太神宮)をやっつけてしまうからです。これは南朝とかかわってい ます。後醍醐天皇が鎌倉を討つとき、太神宮に結集しました。

◉ 慶長の大地震のときは、富士山は噴火しませんでした。武田信玄とか豊臣秀吉とか、みんながここを何と かしようとして力を貸してくれていたから、噴火しなかったのです。再建に傾くと、富士山は鎮まる。逆になると爆発する。

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先日は、八ヶ岳に関して書かれた本のことをご紹介しましたが、今度は富士山について書かれた本が登場しました。

不二阿祖山太神宮(ふじあそやまだいじんぐう)。

富士山といえば、浅間神社(せんげんじんじゃ)が古来より有名ですが、最近になって少しずつ名前が知られてきたのが、この不二阿祖山太神宮です。

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この神社は、富士山に伝わる古文書である「宮下文書」に書かれていた世界最古と言われる神社を再建したもので、現在は富士吉田市の明見(あすみ)という地区の山の麓に実際に存在しています。

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古文書の記録に残っていた通り、富士山の鬼門(北東)、艮に鎮座していた場所を特定して、今もまだ再建途中ではあります。

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再建の大きな目的の1つとしては、近年ささやかれている富士山の噴火を鎮めるためにあるそうです。

ご存知の通り、富士山は地球の表面を取り巻く大陸プレートが4つ以上も重なりあった地球の中心ポイントであり、富士山は、この大陸プレートが動かないようにするための要石(かなめいし)の役割を担っています。

富士山の噴火は、ただの一般的な火山の噴火ではなく、世界の大陸プレートのせめぎあいが限界を迎えた証であり、それは規模によって文明のリセットとなる合図になります。

日本を東西に分断するフォッサマグナの断層が折れてしまい、日本が分断され、世界の大陸プレートがバラバラになると、日本列島も太平洋側から海中へと沈む可能性があると言われています。

もちろん、日本が沈む先は、世界も沈み、この文明はまたゼロからリセット。でも次はもうない最後のチャンスが今であるとも言われています。

世界の終わりを握る鍵となる富士山だからこそ、世界を創った大神が降り立った山でもあり、ここは天孫降臨ではなく、天祖降臨伝説が残る場所です。

富士山といえば、一般的にはコノハナサクヤヒメの女神様が祀られていますが、天祖として古代より崇拝されていたのは、国常立命(クニトコタチノミコト)であり、コノハナサクヤヒメは富士山の前宮であって、奥宮はクニトコタチノミコトが鎮座しているようです。

日本全国にクニトコタチノミコトを祀る神社は多数ありますが、その総本山は存在しておらず、不二阿祖山太神宮は、クニトコタチノミコトを祀る神社の総本山としての位置付けも担っているそうです。

そして、九州に伝わる天孫降臨は、この富士から天孫が降ったことを意味しており、ニニギノミコトの先祖のルーツは富士山にあるとされています。

縄文時代は、各地に原始的な集落民族もいたのでしょうが、一方でまた高度な知識と知恵、技術を持った皇族集団が王朝をすでに創って世界を管理しており、世界のすべてを治めていたのが、この富士山に存在していた富士王朝でありました。

彼らのルーツは、縄文時代よりも遥かまた昔、太平洋に「ムー」と呼ばれた巨大大陸が存在していた頃にまで遡り、当時の日本は「エデ」と呼ばれていたそうです。

地球は7万年前から1万年前までは、氷河期であり、世界大陸には文明や文化が発達する環境ではありませんでした。

ところが、日本は火山国であり、暖かく、海も暖流が入ってきて、世界が凍りついている時でも九州は気温が18度あり、日本の平均気温は7度あったそうです。

そのため、世界でも稀なほど食べ物も多く存在していた豊かな地域であったことが、1万年以上前の酸素量と花粉量を発掘調査して分かっているそうです。

太平洋のムーは“母”という意味であり、一方の日本列島のエデは“父”という意味であり、日本は聖書に出てくるエデンの園。神の国。

1万3000年ほど前、ムーが沈没したことがきっかけで、父なるエデの園へと皆が集まってきた。

世界が水に沈む中、高い山へと人々は向かい、その山にとどまった山止(ヤマト)人が、都をつくって「山都(ヤマト)」の和の世界が誕生したと、本著に書かれています。

ムーから引き継がれて来たヤマトの民は、様々な叡智と地球で生きるための術を持ち合わせており、稲作を中心とした農耕技術を持ってメソポタミアにやって来ました。

彼らはスメル人と呼ばれ、後にシュメール人、シュメール文明とも呼ばれましたが、その原点は極東の神の国、日本からやって来た天皇(スメラミコト)一族でした。

彼らは世界の文明を開き、ピラミッドを建設。世界のピラミッドのルーツもまた、日本から始まっているそうです。

そして、スメル人達は、やがてユダヤ人ともなり、ユダヤの世界も創っていきました。

そのユダヤ人たちが、里帰りをして再び日本に戻って来ており、日ユ同祖論は、ある意味正しいのかもしれませんが、日本人のルーツがユダヤ人であり、ユダヤ人のルーツもまた日本人であるというのが、より正確なのかもしれません。

ユダヤ人は、1万年前はすべて日本にいたことが遺伝子調査でも証明されているそうです。

今回出版された本著は、大部分は大宮司である渡邉聖主さんのインタビュー内容として、不二阿祖山太神宮に関わる歴史や再建の意味などが書かれていますが、一部でこういった日本の超古代史物語も書かれています。

自分自身、この不二阿祖山太神宮とのお付き合いは古く、今から6年以上も前に近所の富士河口湖町に住んでいた際に何度かお邪魔させて頂いております。

「不二阿祖山太神宮のことを世に出したい」

ということがあって、広報担当の一部の任務を担っておりましたが、当時、この不二阿祖山太神宮、および富士王朝の復活というのは、現在の文明を運営している権力者達にとってタブーのことであり、その頃はお互い命懸けのギリギリの活動でありました。

もちろん、個人的にはどの神様、どの神社、どこが大元という概念もなく、日本も世界のどこも地球であり、宇宙であって、ワンネスの世界だと思っていますが、少しずつこういった封印された情報が表に出てくることは面白い時代に入ったと実感して嬉しい限りです。

日月神示にも出てくる甲斐の仕組み。

八ヶ岳、富士山、甲斐の国に仕掛けられた封印が次々に開いていくのを日々感じています。
posted by rio at 06:19| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月22日

イスラエルの農村コミュニティ「キブツ」とビジネスコミュニティ「モシャブ」




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今回のイスラエルの旅では、イスラエルが世界に誇る農村コミュニティ「キブツ(kibbutz)」を訪問するのが1つの大きな目的でした。

最初に南部の砂漠のキブツを見学し、後半にはガリラヤ湖のキブツ経営のホテルに宿泊し、また北部の別のキブツも見学することができました。

イスラエルが独立して建国されたのは1948年。

最初のキブツがイスラエル国内に誕生したのは、ガリラヤ湖のキブツで1909年であり、まだイスラエルという国がない頃からユダヤ人による農村コミュニティが存在していました。

2000年近くも国がなく、流浪の民となって世界中に散ったユダヤ人。

各地で迫害を受け続け、再び祖国に戻る流れが始まり、キブツという共同体を作って、そこで個々の財産もすべて預け、

「わたしのものはキブツのもの、キブツのものはわたし(みんな)のもの」

として、新天地に来て、砂漠を緑地化しながら農業を中心に共同生活が始まったのでした。

1948年のイスラエル建国までに約130ヶ所もキブツは増え、現在も270ヶ所以上のキブツがイスラエルには存在しています。

人数の規模は100名以下の小さなキブツから、1000名近くもいるキブツもあり、昔の日本の集落のようなものです。

自由のない表面的な平等を掲げる社会主義や共産主義とも違い、個人の自由を尊重しているのが、キブツの特徴の1つ。

自由と平等の両方のバランスを大事にしながらコミュニティ文化を作り上げて来ましたが、1980年以降は、イスラエル全体が資本主義の流れにも組み込まれ、キブツのあり方も現代になるにつれて、共同体から個人主義に移り変わりつつあるようです。

そのため、今ではキブツ内においては、個人資産を持つ方が多く、貧富の差も存在しているようです。

また、キブツで生まれ育った若者も、今は外の世界の方が魅力的であり、成長したらキブツを出て大都会であるテルアビブなどでビジネスマンとなる人も少なくはないようです。

一昔前の日本と同じ状況であり、田舎よりも都会、地域コミュニティよりも核家族の個人生活へと変わっていき、キブツも徐々に高齢化、過疎化が進んでいます。

とはいえ、1980年以前のキブツは、本当に平等な社会が構築されており、今回我々が宿泊したキブツの中には、国会議員で副首相になった方もいたようですが、一歩国会からキブツに戻ると、彼はイスラエルという国では要人でも、キブツの中では村人のメンバーの1人。

外で稼いだ高給もすべてキブツに収め、普段は食堂で掃除をしたり、質素で偉ぶることなく他のメンバーと仲良く共同生活をしていたようです。

日本の国会の政治家も同じことができるでしょうか・・・。

そこはユダヤ人、キブツの平等さにおいては、本当に感心するところです。

スクリーンショット 2018-09-19 18.23.05

特別にお金持ちになれるわけでもないですが、一度キブツに入ってしまえば、食事も三食与えられ、住む場所も与えられ、農業や漁業、工場などの作業系の仕事をやっていれば、のたれ死ぬこともなく、食うに困らない生活ができるので、一昔前のヒッピー、現代においてはニートの人々からもキブツはパラダイスのような存在に思われています。

確かに日本の競争社会にも疲弊し、特にやりたい仕事やライフワークもなく、のんびり平穏な生活をしたい人からすれば、キブツはとても良い環境です。

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大きなキブツとなれば、病院も内部にあったり、小さなキブツでも毎週通いで医者がやってきたり、老人にもなれば、老人専用棟もあって、生涯キブツの中で安心して暮らせます。

結婚して子供も生まれたら、子供は4ヶ月頃から預けることができ、小学校や中学校も内部にあり、大きなキブツなら高校までもすべてキブツ内にあります。

1980年頃までは、子供は3歳からは子供棟で共同生活をしており、早くから親元を離れてユダヤ人として集団で生きて自立する道を歩んでいたそうです。

キブツの中では、女性も貴重な労働力であり、保育士や学校の先生、炊事係から洗濯係、掃除係や工場、農業に至るまで、女性も男性と変わらずに一緒に働くため、その代わりに育児と家事から解放されて、それらはキブツ内の仕事として他の専門メンバーがやってくれることになっています。

いずれにしても、皆でできることを持ち寄って協力していくのが、キブツのスタイル。

働けない人がいても、働ける人がサポートし、270ヶ所のキブツでは、270通りのキブツのスタイルがあり、1つの会社、1つの家族のような形でキブツはあります。

ただ、伝統的なユダヤ教の戒律を大事にして皆が繋がっているのがユダヤ人であり、この仕組みを日本にそのまま持ってきても、日本人は信仰で人々が繋がっているわけでもないので、宗教法人でもないと、ユダヤ型のキブツは実現が難しいと思います。

特に個々が資産を持たず、どんな仕事をしても平等であるのは、今の日本社会では簡単には受け入れられないかもしれません。

また、イスラエルの近代キブツもベースは“経営”であり、コミュニティという形の会社組織にもなっていて、皆が安心して暮らせるのも、キブツの経営あっての状況になっています。

農産物を生産しても、自給するためだけでなく、ほとんどが農業として国内外に出荷しており、工場などもすべて外部から資金を得るための生産施設として使われています。

キブツ内の食堂は社員食堂みたいなものであり、キブツ内のメンバーの自宅は、すべて社員寮みたいなものであり、法人コミュニティとして考えると、今後の日本でもキブツの仕組みは、十分に取り入れる余地はあると思います。

ただ、資産をキブツ(日本なら会社)に預けるとなると、やや共産主義っぽくなったり、宗教っぽくなってしまうので、個人の資産や収入はバラバラで、食べるものや住む場所など、生活に必要な環境を会社がサポートする程度に留めておくとバランスが取れるかもしれません。

もちろん、会社の中に託児所、保育園や幼稚園、学校から病院、老人ホームのような施設もあれば、なおキブツに近い環境であり、日本の中小企業が、農業も取り入れてそんなコミュニティスタイルを構築できると、食料自給率も上がり、農家の後継者問題、耕作放棄地問題も解決して、すべて良い方向へと進むように思えます。

八ヶ岳では、そんな法人コミュニティを小さくても良いかたら形にしようと、やつはではグループ会社に農業法人(八ヶ岳ピースファーム)も作り、食糧だけでなくエネルギー自給も研究し、シェアハウスなどの整備、また今後は学校設立なども目指しているのですが、実はイスラエルには、すでにキブツとは別にそれに近いコミュニティが存在していました。

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その名も「モシャブ(Moshav)」。

モシャブも、一見はキブツのような農村コミュニティに見えますが、キブツのような共同体ではなく、個人農家が一箇所に集まって村を作った農業協同組合のような存在です。

モシャブは、キブツよりも数が多く、イスラエル全土に600箇所以上もあると言われています。

モシャブは、キブツのようにコミュニティに資産を預けたり、共同生活をするわけではなく、こちらこそ昔の日本の地方集落のように、個々の家は独立してあり、それぞれ単独で家計も成り立っています。

ただ、農業においては、すべて共同で経営サポートがされており、農業資材の購入から農産物の販売まで共同で事業を皆が協力しています。

収入が多い農家もあれば、細々と家族経営をやっている農家もあり、当然貧富の差もありますが、それよりも自由と個人主義をキブツよりも尊重しているコミュニティとなります。

キブツとモシャブでイスラエル農業生産の8割を占めているそうなので、双方の農業ビジネスの規模は、日本の農家とは比べものにならないほど大きなものとなっています。

とはいえ、モシャブはキブツのように病院や学校、老人ホームなども完備されているわけではなく、あくまでもビジネスにおいて協力し合っているコミュニティなので、より日本にマッチしたコミュニティを作るなら、モシャブとキブツを足して二で割るくらいがちょうど良いのかもしれません。

今回、砂漠のエリアをバスが放浪中に偶然にも迷い込んだ村がモシャブであり、そこで自分はイスラエル訪問5回目にして初めてモシャブという名前を聞き、その存在を知ることになりました。

これは、今回の旅でもとても良い収穫でした。

ちなみにキブツとモシャブは、あまり仲が良くないとも聞きます。

それにはいくつか理由があるようですが、根本的なところに同じユダヤ人であっても、ルーツの違いがあり、キブツは白人系ユダヤ人のアシュケナージが中心で、モシャブは褐色系ユダヤ人のスファラディが中心であるそうです。

白人のアシュケナージは、DNAのルーツとしては古代ユダヤとはあまり関係がない人が多く、途中からユダヤ教に改宗した白人がユダヤ人となっており、一般的に改宗ユダヤと呼ばれています。

彼らはヨーロッパや東欧で迫害されたユダヤ人でもあり、それが故にイスラエルに戻って、民族同士で結託し、共同生活をしてでも、自分たちの居場所を作っていくという信念を持っています。

褐色系のスファラディは、DNAのルーツとしては、古代ユダヤの血をそのまま受け継いだ人々が多く、主にアフリカなどに散ったユダヤ人のようですが、彼らはイスラエルが建国された後に各地から集まってきており、そのままキブツにも入らず、個々が独立したまま集まってビジネスをやるモシャブへと発展したようです。

それはさておき、次回訪問の際には、このモシャブをもう少し見ていたいと思います。

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ちなみにイスラエルのキブツのオーガニック農法は、ただ農薬を使わない、化学肥料を使わないというものではなく、自然の生態系をうまく取り入れた農法であります。

例えば、畑での獣害対策のおいては、獣害をする動物の天敵を畑で飼育することで、その被害を防いています。

畑には鳥の巣箱が点在しており、その中にはフクロウが寝ているそうです。

フクロウが、畑のネズミやモグラを獲ってくれるとか。

また、フクロウは日中は寝ているので、日中は日中でまた別の鳥がパトロールに出ているそうです。

フクロウ(天敵)農業?これはまた画期的でした。

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ナツメヤシ(デーツ)の畑には、ロバが飼育されています。

ロバは雑草を食べてくれるそうなので、これもまた循環農法の一環です。

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また、虫対策にも天敵を活用しており、害虫となる虫を食べる虫を培養しており、その卵の入ったパウダーを作物にふりかけると、卵からダニのようなクモのような虫が出てきて、害虫を食べてくれるそうです。

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そうやって、薬や化学物質を使わず、自然の仕組みを上手に活かして農業を円滑にするのもイスラエルの発想と技術。

これらは大学教授などが、綿密に研究して編み出した農法であり、ユダヤ人は国を含めて、こういった技術に力を入れています。

日本が学ぶことは、まだまだたくさんあるイスラエル。

訪れる度に多くのインスピレーションをもらえます。 .


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2018年09月15日

移動式神殿「幕屋(まくや)」





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南のイスラエルの旅は、今から3300年前ほど前の古代イスラエルのモーセの時代から。

モーセに率いれられ、エジプトから奴隷の民として解放されたユダヤ人達は、砂漠の荒野を40年間もさまよって約束の地カナンを目指しました。

その時、ユダヤの民は神様と一緒に民族移動しており、神が住まう移動式の神殿を「幕屋(まくや)」と呼びました。

「会見の天幕」とも呼ばれる幕屋は、その大きさやデザイン、何をどこに置くなど、すべて神の信託としてモーセが受け取った設計図によって出来上がっています。

まるで結界を張るかのように長方形の敷地には、上級神官しか入れず、さらにテントのような聖所の中には、一部の身を清めた祭司しか入れません。

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それはまるで、神社における鳥居をくぐった境内の中であり、水のためられた身を清める場所は、神社の手水舍そのものです。

日本のルーツは古代ユダヤにあり、神社・神道のルーツが古代ユダヤ教の中にあると言われていますが、モーセの舞台を訪れると、それをダイレクトに感じます。

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幕屋の中を除くと、中は2つの部屋に構成されており、入ってすぐの大部屋は「聖所(せいじょ)」と呼ばれる部屋で、奥の垂れ幕で区切られた小部屋は「至聖所(しせいじょ)」と呼ばれる最大の聖地です。

聖所ですら、大祭司しか入ることができず、奥の至聖所は大祭司さえも簡単に入ることはできません。

年に一度の大祭の日のみ、ユダヤ部族の最高ランクの大祭司が入れ、そこは神との会見の間であります。

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ユダヤ教トップの大祭司は、ユダヤ12部族の名前と12部族の象徴の石を身につけていますが、奥の至聖所に入る際には、それらの宝飾類から衣装もすべて取り外し、白いリネンにまとって神との会見に臨みます。

リネンと言われていましたが、実際は大麻(ヘンプ)である可能性は十分にあり、これもまた日本の古神道における天皇との繋がりを深く感じます。

間違いなく、大祭司(大神官)=天皇のルーツであり、民族を代表して神と会見、一体化する任務を担っていたのでしょう。

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さて、幕屋は東に門があり、中の神殿も東に入り口があって聖所に入り、幕屋内部も西の奥が神の世界である至聖所。

そこの中には、何があるのでしょうか。

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ご存知の方も多いように、ここに「契約の箱(アーク)」があります。

ユダヤ民族の最大の秘宝であり、このアークがユダヤ王国が崩壊する直前に10部族とともに行方不明となって歴史から姿を消し、やがてイスラエルが再建されてから、その行方の行き先として候補となったのが、日本でありました。

日本の神輿は、アークそのものであると。

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アークの中を覗くと、そこにはモーセが神から授かった10個の約束「モーセの十戒(石板)」があり、またユダヤの民を飢餓を救った天からの恵み(マナ)の入った壺、そしてモーセの兄である大司祭のアロンの杖の「三種の神器」が納められています。

日本の天皇家の象徴もまた三種の神器。12部族のガド族が、ミカド(帝)の原点であり、天皇家のルーツとも言われています。

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そして、幕屋といえば、日本で有名なのは、諏訪大社上社前宮の「十間廊(じっけんろう)」とう神殿。

その寸法から東西南北の配置、アークの代わりとなる神輿を置く場所もすべて一致。

おまけに諏訪大社上社の御神体は、裏にあるモリヤ山であり、古代エルサレムの名称はモリヤの地。

神道ではタブーのはずである血の生贄の儀式ですが、ユダヤ教と同じように諏訪大社上社では、御頭祭という大祭が年に一度あり、その神事の内容もすべてユダヤ式であることが知られています。

もちろん、今の神道や神社のすべてがユダヤ系ではありませんが、古い神社の多くは古代ユダヤの影響を強く受けています。

やがて、この移動式神殿がたどり着いたのが、エルサレムであり、そこで大神殿が建設され、崩壊し、ユダヤ民族そのものも完全に解体されてしまう歴史を辿るのでした。

3300年前、モーセから始まったユダヤの神との歴史から始まり、いきなり今日にはユダヤ最期の地であるマサダへと向かいます。
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2018年09月11日

イスラエルにお前の希望はあるよ





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成田からイスタンブールまで12時間。

さらにイスタンブールから2時間かけて、ようやくたどり着いたアジアの西の果てイスラエル。

まず、最初に向かったのは、空港のある大都市テルアビブからバスで30分ほどの距離にあるヤッファという港町。

4000年以上も前から港町であったと言われる、世界でも非常に古い歴史のあるヤッファですが、ここは聖書の中でも非常に重要な出来事のあった場所の1つ。

今でこそ、世界最大の影響力を持つキリスト教ですが、もともとは世界の中でも小さな国の少数民族であるユダヤ人だけへの教えでありました。

ユダヤ教における律法は、神から選ばれた民のユダヤ人と神との約束であり、その神との約束を守っているユダヤ人は綺麗な存在であり、異邦人は汚れている、不浄であるという選民思想が古代ユダヤ教の中にはありました。

その神との約束の中に食べ物に関わる記載があって、それは今も「コーシャ」と呼ばれるユダヤ人が食べても良いとされる清浄な食品リストとして厳格に規定されています。


“草食動物の4つ足の獣のうち蹄が全く分かれ反芻をするものは食べてもよい
水中生物でヒレと鱗のあるものは食べてもよい
鳥類で猛禽類、カラス、ダチョウ、フクロウカモメ、ハクチョウ以外は食べても良い
昆虫はイナゴ、バッタは食べても良い
肉類と乳製品を一緒に食べてはいけない
(レビ記 11)

ユダヤ人以外の異邦人は、何でもかんでも好きなものを食べる野蛮な存在であり、我々とは違う不浄者というのが、キリストの時代である2000年前にもユダヤ人の価値観としてあったのですが、それが、このヤッファの地をきっかけに、小さなユダヤ教イエス派から世界のキリスト教へと切り替わったのです。

それが、イエス・キリストの弟子ペテロに起こった、ヤッファの地での神霊体験であります。


“「彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」 すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」 こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけて、「ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか」と尋ねた。ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」 ペトロは、その人々のところへ降りて行って、「あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここへ来られたのですか」 と言った。すると、彼らは言った。「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。」それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた。翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。」
(使徒言行録:10章10〜23節)

この神との神霊体験をきっかけに、ペテロは

「異邦人を汚れていると見なしてはならない」

とスイッチが切り替わり、ここから異邦人へもイエスの教えを伝えていくこととなり、後にペテロはローマへ布教活動をしたことで、キリスト教は世界の治めたローマ帝国の公認宗教となり、世界中の人々へと広まっていきます。

その功績からも、ペテロはカトリック教会における初代ローマ法王とされており、今のキリスト教は、イエスそのものよりも、ペテロが生み出した宗教といっても過言ではありません。

ユダヤ教の一宗派であったキリストの教えが、2000年も続くキリスト文明に発展した、そのきっかけの人物であるペテロと、きっかけの地であったヤッファ。

今回の旅の始まりにとてもふさわしい場所であったように思えます。

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ヤッファを後にして、そこから最南端にある砂漠の港町エイラットへ向かいます。

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国土の60%が砂漠のイスラエルは、北部から中央までは緑もあったり、大きな都市も点在していますが、南のゲネブ砂漠からは、果てしない荒野の世界。





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旅のガイドは、もちろんイスラエルでもっとも有名な日本人のバラさん(榊原さん)。

今から50年近くも前、20代の頃に日本で「希望」を失った若者の1人であったバラさんが、それこそペテロと同じように神霊体験を通して、突如としてイスラエルへと導かれることになったのでした。

「イスラエルにお前の希望はあるよ」

銀座の町で人生に絶望を感じ、夢も希望も見出せなかったバラさんに、突如として聞こえた天の声。

それが神の声なのか、未来の自分からのメッセージなのか、その真相はわかりませんが、この一声だけで

「イスラエルに行こう」

とバラさんは決めたそうです。

イスラエルがどこにあるのか、どんな国なのか、そもそもどうやって行くのか、イスラエルのどこに行くのかもわからずに。

それこそ、現実主義で頭でしっかり計画や計算するタイプのバラさんであったのが、自分でも理由がわからずに、頭ではないハートの声に従って直感的にイスラエルへ行くことにしたのだとか。

それから知人からの助言で、駐日イスラエル大使館へと足を運び、イスラエルに行くにはどうしたら良いか尋ねると、

「24万円ほどあれば行けます」

と教えてもらい、一生懸命働いて、そのお金を稼いだそうです。

ところで、お金がたまって再び大使館へ行くと、今度は別の担当者に窓口が変わっていて

「36万円かかります」

と話が変わっていたそうです。

そこで激怒したバラさんは、必死に抗議をすると、そこで窓口から副大使との面会チャンスをもらい、必死に自分がイスラエルへ行きたいことを熱弁すると、ラッキーなことに、貨物船に乗せてタダでイスラエルへと行けることになったのです。

こうして、貨物船に乗り込み、大嵐にもあってなんとか1ヶ月もかけてたどり着いたイスラエル。

その最初の上陸地が、今回の旅で訪れる最南端の港エイラットであったそうです。

バラさんにとっても、イスラエルとの始まりの場所のエイラット。

とても思い出深い場所のようであり、いろいろなことがシンクロしています。

さて、50年近くも前に、古代ユダヤ人とは逆に、神からのメッセージで西の果てであるイスラエルの地へ船でやってきた日本人のバラさんですが、上陸したところで予定はノープラン。

その日にどこに泊まるのか、仕事はどうするのか、言葉もわからない。

そんな呆然と立ち尽くしたところに、貨物船で仲良くなったユダヤ人が

「お前は一体どこへ行くんだ?」

と声をかけてきたそうです。

「どこへ行くかもわからない」

その答えにユダヤ人も驚いた顔をしたようですが、そこでふとバラさんは、大使館のスタッフの方から、こちらの知り合いへお土産を渡して欲しいと頼まれたことを思い出し、その話をそのユダヤ人に伝えたそうな。

そのお土産の渡し先は、イスラエルにあるキブツと呼ばれる農村共同体に住む人物であり、またまたラッキーなことに、その声をかけてきたユダヤ人の住んでいる家のすぐ近くであったそうです。

そこで、そのユダヤ人の自宅に泊めてもらい、そのままキブツに送ってもらってお土産も渡すと、そのキブツで部屋も与えられて働かせてもらえることに。

こうして、バラさんは導かれるようにしてイスラエルに自分の居場所を見つけ出し、そして希望を取り戻していったのでした。

偶然にも、イスラエルの国家は「希望(ハティクヴァ)」というタイトル。



「希望(ハティクヴァ)」

“心の中に、その中に、

ユダヤの魂が恋い焦がれる限り、

前に、東の果てに、

まなざしはシオンにそそがれる。

私たちの希望は今も失われることはない。

二千年の希望が(今も失われることはない。)

私たちの地において、

シオンの地とエルサレムにおいて、

自由な民となることに。

50年近く前、銀座で絶望の淵に聞いた内なる声に従い、そこに唯一の希望を見出してイスラエルに飛び込んで来てくれたので、今この時代で自分もバラさんと出逢うことができ、そしてイスラエルに導かれました。

そして、イスラエルに来る度に思うのが、ここに日本と世界の希望がたくさん眠っていること。

今回もその希望の種を少しでも多く持ち帰って来れたらと思います。
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2018年09月04日

紛れもなく世界最古の文明は縄文10000年





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糸魚川のヒスイを訪ねてから、すっかり縄文モード。

まったく知りませんでしたが、この夏は東京上野の国立博物館で「縄文特別展」が開催されているとか・・・。

この日本が大きく変わろうとしている節目の年、このタイミングで日本一の博物館で縄文がテーマに扱われるのは、やはり時代は縄文回帰。

開催期間をみると、9月2日で終了とあり、慌てて東京まで足を運びました。

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行ってみての感想は、本当に良かったです。

小さな頃には、こんな古代人の土器など見ても、まったく関心もなかったですが、今だからこそ、見て受けるインスピレーションは計り知れないものがあります。

中国4000年、エジプト6000年の歴史と言われますが、紛れもなく世界最古の文明は縄文10000年。

数千年も前の先祖達が生み出した数々のアート作品に触れると、何か時代を超えて魂に響くものがあります。

ただ、土器にしろ土偶にしろ、見ればみるほど

「これはエイリアン?」

と思わざるを得ないデザインがチラホラ。

どう見ても、爬虫類人のような姿が描かれていたり、どう見ても宇宙服として思えない土偶さんがいたり・・・アートにしても想像もつかない斬新で個性豊かなキャラクターだらけで、まるでアニメの世界のようです。

これが物質的な関わりを持って実在していた存在なのか、ビジョンやエネルギー体としてコンタクトして来た存在なのか、いずれにしても、縄文時代は「神」と呼ばれた、人類とはちょっと違った存在と密接に関わっていた時代であったように思えます。

今よりもずっと、神や異星人、神霊や精霊、高次元の存在と呼ばれるものとの距離が近かったような。

そして、縄文人にはいくつかのタイプの人類がいて、より原始的な人類に近い縄文人と、いわゆるハイブリッドで何かの存在と掛け合わせの人類と大きく2種類がいたのでは。

そのハイブリッドな縄文人は、ごく少数ながらも、原始的な縄文人が持っていない様々な知識や技術、叡智や能力を持ち、その中にはヒマラヤ聖者のごとく、空を飛んだり、消えたり、魔術のようなサイキック能力も多く兼ね備えていたのかもしれません。

龍蛇族。

縄文という言葉は、縄(なわ)によって土器に施した文様から生まれたそうですが、縄やロープといえば、よく畑では蛇と間違われる存在。

蛇は不老不死や死と再生の象徴とも言われますが、縄文人が爬虫類系をテーマにしたり、縄を使っていたのは、彼らの背後にしてコンタクトしていた存在が、蛇と強い関係性のある存在だったのだと思います。

ふと、縄文展を見ていたら、そんなイメージが湧き上がってきました。

ただ、渡来人がやってくる時代の流れもあり、日本の縄文を管理していた龍蛇族もまた、縄文人が歴史から姿を消すのと同時に、岩戸隠れのように表舞台から姿を消したのでしょう。

そして、地球や日本の周波数も大きく変わってきた今、その古代の神々や女神と呼ばれた存在達も、また表舞台に引き戻されて、その力を大きく発揮しているタイミングなのかもしれません。

だからこそ、縄文首都であった八ヶ岳エリアも、また新たな文明が始まりそうなエネルギーが動き出し、DNAなのか分け御魂なのか、古代の神々と呼ばれた存在達の意思を引き継ぐ人々を呼び集め、縄文回帰の流れが始まっているのだと思います。
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2017年05月11日

北朝鮮と日本、そして新満州国

 



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何かと騒がしい朝鮮半島ですが、いよいよ5月中に「核戦争?」とまで囁かれており、平和な日本列島の春の陽気の裏で開戦前夜の緊迫したムードが漂っています。



正直、一般的な日本の歴史にさえ疎い自分にとって北朝鮮の歴史はもっとさっぱりであり、これまでの三世代トップ「金日成(キムイルソン)」「金正日(キムジョンイル)」「金正恩(キムジョンウン)」の名前を聞いても、いつも名前と顔が混乱するほどあまり興味も持っていません。



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少し調べると、近代の朝鮮半島は日本が統治しており、それが第二次世界大戦で日本が敗戦となると南北に分かれて統治され、南をアメリカ、北をソ連が管理したそうです。



なので、北朝鮮を作り出したのはソ連というのが一般的に知られている歴史のようです。



そして、初代総書記の金日成の孫にあたる金正恩が今は代表となって北朝鮮を率いてますが、表のニュースにはまだほとんど出てこないものの、この三代目の金正恩と父親の金正日は、日本人ととても関係が深いというのは、一部の世界ではとても有名な話です。



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「金正日(二代目)の父親は、金日成ではなく旧日本軍の諜報員、右翼団体の黒龍会の畑中理(金策)であり、旧日本軍が北朝鮮を建国した」

「金正恩(三代目)の母親は、高英姫ではなく拉致された横田めぐみさんである。横田さんは皇族の血を引く」




以前より、こんな都市伝説のような噂が飛び交っており、普通なら「トンデモ話」として片付けられそうですが、自分が知る限りにおいては、これらの話はかなり真実に近い部分があるように思えます。



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1392年から1910年までの約520年間27代続いた李氏朝鮮。



その朝鮮王朝最後の「李 垠(り ぎん)皇太子」に嫁いだのが、元日本の皇族(梨本宮方子女王)である「李 方子(り まさこ)皇太子妃」であり、横田めぐみさんの母親である横田早紀江さんは、この李方子妃の娘であるといわれています。



確かに写真を見る限りでは、2人は単なるそっくりというレベルを超えてうり二つと表現してもおかしくはないほどよく似ています。



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そして、この横田早紀江さんの娘、李方子妃の孫となるのが横田めぐみさんであり、その息子が今の北朝鮮を率いる金正恩となります。



確かに父親ゆずりの骨格はありますが、鼻や口元は横田めぐみさんの似ている部分が多くあるようにも見えます。



仮にこれらが真実だとすれば、今の北朝鮮のトップは日本人と言っても過言ではなく、北朝鮮と日本の繋がりは非常に濃いものとなっています。



「なぜ、同じ日本人同士なのに喧嘩しているのか?」



そもそも、現代の日本そのものも明治維新、敗戦によって完全に作り変えられた別の国であり、この150年近くは、旧時代の支配勢力のコントロール下に置かれた状態でありました。



北朝鮮の拉致問題というのも、あらかじめ大きな意図を持った計画のもとに作られたシナリオであり、単純に北朝鮮と日本だけが絡んだ問題ではなく、その背後には、この世界をコントロールしている陰の世界政府が動いています。



聖書の預言に基づき、救世主の到来を信じる彼らは第三次世界大戦を勃発されることが悲願であり、数千年、それ以上とも言われる長い長い歴史の中、いよいよ彼らのプロジェクトも大詰めとなっています。



アメリカも創り、西の問題児イスラエル、東の問題児北朝鮮をも生み出し、一方で日本を潰して、彼らの目指す先は新たな理想郷「新満州国(ネオ・マンチュリア)」です。



満州人、日本人、朝鮮人、モンゴル人、ユダヤ人の五族によってモンゴルに新たな国を建国することを計画しており、これから消えゆくイスラエルの国、そして日本の大変革を経て、数千万人の民族移動を実現しようとしています。



欧米中心の世界統制からアジア圏を中心とした世界統制へのシフト。



その新満州の天皇は、現在の日本の皇族から輩出される計画となっており、いずれにしても平成30年に平成が終わり、2019年からの新たな日本の始まりから、アジア、ヨーロッパ、世界情勢も大きく今の形とは変わっていくことでしょう。



つい先日、いよいよ旧時代の権力者の象徴であるイギリス王室にも変化が出てきました。



エリザベス女王の夫フィリップ殿下が公務を引退する見解を出し、またエリザベス女王本人も、6月に催される国会の開会式で王冠などを被らず、伝統的な衣装を身に着けない方向であるそうです。



エリザベス女王の引退も、そう遠くはないことかと思います。



また、本日が決選投票となるフランス大統領選もどうなることか注目です。



圧倒的にルペン氏が不利となっていますが、ここでアメリカのトランプのように大逆転となればフランスをはじめ、ヨーロッパが大きく変わっていくかもしれません。



日本でも国の今後の行方を真剣に考えている右翼系の人々、左翼系の人々の動きが活発化してきておりますが、一方でどちらにも関心もなく、ただ日々の生活に追われて何も考えずに生きている人もいます。



自分のスタンスとしては、右翼でもなく左翼でもなく、また、ただ無関心というわけでもなく、日本の敵でも味方でもなく、ただ自由が好きなので、この八ヶ岳の地で淡々と生きるために必要なことを実践していくのみです。



日本が戦争に加担するのも嫌ですし、だからといって外国に侵略されるのも嫌ですが、いずれにしても身の回りから自由を剥奪されるのがもっとも嫌なので、日本がどちらに転ぼうにも、自分とは合わないと思えば、この地で自治州を作って楽しく自由に生きる道を選びます。



いずれにしても、5月からは国内外でも様々なことがもう少し具体的に動いてくることでしょう。

 

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2017年02月24日

安倍体制下の日本は戦後最大の危機に陥っている:国民からの受信料で成り立っているNHKは昔のNHKスペシャルを復活させて、天皇制国家主義の危険性を国民に伝えるべき

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2017/2/23(木) 午後 4:49
日米関係
軍事
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新ベンチャー革命2017年2月23日 No.1619



タイトル:安倍体制下の日本は戦後最大の危機に陥っている:国民からの受信料で成り立っているNHKは昔のNHKスペシャルを復活させて、天皇制国家主義の危険性を国民に伝えるべき



1.日本のマスコミがキムジョンナム暗殺事件を報道すればするほど、安倍氏夫妻の関与疑惑のある大阪の軍国小学校創設事件の重大性が浮き彫りになる



 本ブログでは今、安倍氏夫妻が関与していると疑われる大阪の軍国小学校創設・開校問題を取り上げています(注1、注2、注3、注4、注5)。



 ネットでは、この問題がもっとも重視されていますが、日本を乗っ取る米国戦争屋と彼らの傀儡・安倍官邸に監視支配されている大手マスコミはキムジョンナム暗殺事件をもっとも重視しています。本ブログでは、日本のマスコミはスピン・コントロール(注6)をやらされていると観ています。すなわち、上記、安倍夫妻事件に国民の関心が向かわないよう報道自主規制していると言うことです。



 2017年2月23日朝のテレビ報道番組はそろって、キムジョンナム暗殺事件を集中的にやっていましたが、過去に報道されたことのある陳腐な内容を繰り返し流しています。よほど隠したいことがあるようです。それは言うまでもなく、上記、安倍氏夫妻の軍国小学校創設関与疑惑事件でしょう。



 日本国民にとっては、上記の北朝鮮問題より、安倍氏夫妻事件の方がはるかに重大です。そのことを安倍官邸もマスコミもわかっているからこそ、この事件の真相を国民に知られたくないのです。



 さて、本ブログでは、上記の事件から、安倍氏夫妻は、戦前の天皇制国家主義体制の復活を目論んでいると観ています。そして、それは、安倍氏夫妻独自の意思では必ずしもなく、戦後日本を乗っ取って、属国日本の国民の米軍傭兵化を企む米国戦争屋の意向でもあると観ています(注2)。



なお、上記、日本を乗っ取ってきた米国戦争屋(世界的寡頭勢力の主要構成メンバー)およびそのロボット・悪徳ペンタゴンまたは悪徳ヘキサゴンを構成する日本人勢力の定義は本ブログNo.816の注記をご覧ください。



ちなみに、上記、米戦争屋は今、旧・戦争屋から新・戦争屋に移行しつつあると本ブログでは観ています。そして、新・米国戦争屋(世界的寡頭勢力の主要構成メンバー)およびそのロボット・悪徳ペンタゴンまたは悪徳ヘキサゴンを構成する日本人勢力の定義は本ブログNo.1560の注記を合わせてご覧ください。



2.安倍氏夫妻が復活させようと企んでいるのは戦前の天皇制国家主義体制であるとみんな気付くべき



 1945年、日本は米国に無条件降伏し、戦勝国・米国の命令で、戦後日本が、現在の民主主義国家となって早、70年以上経っています。したがって、民主主義体制しか知らない世代はすでに引退時期に到達しています。ということは、戦前の天皇制国家主義体制下で育った日本人はごく少数になっているのです。



さて、安倍氏夫妻が復活させようと企んでいる戦前の天皇制国家主義が、当時の日本国民にもたらしたものは何だったのでしょうか。当時の日本政府は天皇制国家主義体制の下で、日本国民を召集令状(赤紙)一枚で、戦地に追いやったのみならず、敵国・米国による本土空襲をもたらし、300万人超もの日本国民の犠牲を出しました。さらに、日本軍が海外でもたらした非・日本人犠牲者は500万人超にのぼったと言われています(注7)。そのような悲劇を体験した日本人が今は激減しています。



このような状態に置かれた現在の日本は今後、どうなるか、二通りのシナリオが想定されます。



シナリオA:戦前の天皇制国家主義体制下の日本の実態を知らない国民はあっさり、安倍自民党の企みを受け入れる



シナリオB:戦前の天皇制国家主義体制の危険性を知る日本人が安倍自民党の戦前回帰主義に反対して、安倍自民の支持率が激減する



 本ブログは、上記、シナリオBを強く希望しますが、現実には、安倍内閣支持率は50%以上あり、シナリオAが国民世論的には優勢です、残念ながら・・・・



 一方、ネット住民は政治意識が高く、シナリオBを期待する人が多数派であり、マスコミの世論調査に協力する多数派日本人とは真逆となっています、ただし、マスコミの世論調査に不正がないとしての話ですが・・・。



3.世論調査国民はネット世論ではなく、マスコミの報道に影響される



 かつてのNHKは、NHKスペシャルなど、国民側に立った良質の番組を放映していたのですが、安倍政権になって、ほとんど消えてしまいました。



 本ブログでは、かつての小泉氏も今の安倍氏も、ともに、米戦争屋の傀儡であり、その政権は対・米戦争屋の隷米政権と観ていますが、安倍政権は、小泉政権よりも、さらに劣化していると観ています。その違いはどこから生まれたのでしょうか。



 本ブログの見方では、小泉政権時代、自民党には、野中氏や古賀氏など戦中派が健在で、戦前の天皇制国家主義の危険性に精通していて、米戦争屋の対日要求(日本を戦争国家に戻す)をかたくなに拒否していました。ところが、自民から戦中派が消えた今、安倍自民には、天皇制国家主義体制の危険性を認識している政治家がいなくなったのです。



 そこで、再度、重要になったのが、マスコミの役割です。



 まずは、国民からの受信料で成り立っているNHKが率先して、再度、昔に放映したNHKスペシャルを復活させて、天皇制国家主義の危険性を国民に伝える義務があります。いかに、米戦争屋や安倍官邸からの圧力が掛かっても、昔のNHKスペシャルのような国民側に立つ番組を復活させるべきです。



注1:本ブログNo.1614『安倍氏を認めないネット住人が我慢の限界にきていること:大阪の時代錯誤小学校創設を巡る安倍氏スキャンダルを東京のマスコミが報道しないこと』2017年2月18日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36546049.html



注2:本ブログNo.1615『時代錯誤の軍国小学校開校に安倍氏が肩入れするのはなぜか:安倍氏を傀儡化する米国の戦争勢力が日本を米軍傭兵国家にしようしているからか』2017年2月19日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36548123.html



注3:本ブログNo.1616『時代錯誤の戦前回帰主義者の筆頭が日本国・首相に居座るとは絶句!:安倍氏は日本を乗っ取る米国の戦争勢力に日本人を洗脳して米軍傭兵としてタダで差し出そうとしている』2017年2月20日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36550193.html



注4:本ブログNo.1617『大阪の軍国小学校創設に関与していると疑われている安倍氏夫妻:国民はみんな、安倍氏が親米似非右翼の代表であることに早く気付くべき』2017年2月21日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36552176.html



注5:本ブログNo.1618『大阪の軍国小学校創設への安倍氏夫妻の関与疑惑:大手マスコミもこれ以上は無視できなくなった、テレビ朝日が2017年2月22日朝、遂にこの事件を報道した!』2017年2月22日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36554110.html



注6:スピン・コントロール

http://www.jiten.com/dicmi/docs/k13/24789s.htm



注7:第二次世界大戦の犠牲者

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85



ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm



テックベンチャー投稿の過去ログ

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285/column-top.html


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2017年02月22日

雪のサムハラ神社奥の宮と光のスポットライト

2017年02月19日


 




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2月18日の朝、岡山県津山市賀茂町にある「サムハラ神社奥の宮」へ参拝。



これで3度目の参拝となるサムハラ奥の宮ですが、今となっては全国各地から参拝客が多く訪れ、いつの間にか案内看板までも立っていました。



でも、津山市の地元の人々にはほとんど認知されていない神社であり、100人に聞いても1人、2人知っているかどうかのマイナーな神社となっているようです。



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1月末からハワイへと旅たっている期間、日本全体は寒波に見舞われていたようで中国地方も大雪となり、サムハラ奥の宮へ続く道中も雪が多く積もっていました。



境内に入る道も雪に覆われているだけでなく、大雪の影響で倒木が多くあって中まで進めないようになっていましたので、仕方なく車を置いて歩いて進みました。



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雪に覆われたサムハラ奥の宮の敷地。



左の足跡を辿ると階段があって、その上にサムハラ奥の宮がありますが、本当に大切な場所は階段の上ではなく、この階段下の広場の中にあり、このまま写真中央の木の右を正面に行った先にある結界の貼られた特殊なエリアとなります。



ここで過去2回、大事な神事をさせて頂きましたが、2回とも不思議な現象に見舞われたことがあります。



1度目は、参拝中に「バラバラバラッ」と天気でもあったのに大雨が降っているかのような“音”だけが敷地内に響き渡り、その場にいた全員がはっきり聞いていたのでビックリしました。



2度目の訪問の際は、同じく結界のスポットを参拝後、今度は風も吹かないのに大量の木の葉が回転しながら舞い降りてきて、とても幻想的であり、また祝福されているかのような現象を魅せてくれました。



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3度目の今回。曇り空の中、静まり返った雪景色の中での静かな参拝でしたが、参拝した直後に結界エリアに雲と森の合間から光が差し込み、これまでに見たことのないほど美しい景色を魅せてくれました。



その幻想的なスポットライトの光の時間はわずかに1分か2分の間。明らかに別次元の世界に入り込んだような不思議な感覚が続いていました。



直後に別の参拝客が姿を現すと、照明が全部つけられた舞台のように光は普通の太陽の光に戻って日常の世界へ。



サムハラ奥の宮。高次元の世界の意識が、三次元の世界に出力されて出てくるゲート(出力点)となっている数少ない地球の大事な場所だけあり、やはり、とても不思議な神社です。



個人的には、ここは人が神の意識を少しだけ体験できる貴重なスポットだとも思っています。



結界の貼られたエリアは、行かれればすぐにわかると思いますが、地元の方が大切に管理されているので静かに参拝されると良いと思います。お近くに来た際には是非どうぞ。



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2017年01月02日

波照間島の英雄オヤケアカハチ

 



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―オヤケアカハチの乱―
15世紀末



八重山の各地の豪族が集結し、宮古の勢力と戦うことになる。



■戦前

当時、宮古島全土を統一し、首長になっていた空広(仲宗根豊見親)は、八重山にも力を及ぼそうとしていた。八重山ではまだ按司たちがばらばらで、各地で対等しており、空広に対抗できる力はなかった。首里への入貢に従わない按司たちに、空広は圧力をかけていく。



そこで、オヤケアカハチは按司たちを束ね大きな勢力を作っていく。空広に従おうとする勢力は排除していった。空広味方する獅子嘉殿や仲間満慶山は討伐され、石垣の長田大主の弟たちは殺され、長田大主は古見に逃げていった。

こうしてオヤケアカハチは石垣島全土をほぼ手中にした。竹富や波照間、小浜島なども勢力下にあった。また、オヤケアカハチは貢物をせまる空広に対して、宮古を攻めようともしたという。



■戦争開始

1500年、空広は琉球王府の力をかり、琉球王府の援軍とともに石垣島を攻め、オヤケアカハチと戦う。

首里の軍団は、筆頭大里親雲上や安波根里主直張などを頭とし、久米島の君南風(ノロ)をのせ、46艘、3000人の軍団であった。



2月12日に石垣沖に到着。古見に逃げていた長田大主は先導役となって、空広と首里王府の官軍を誘導していった。

そうして戦いが始まる。

しかし、海岸沿いに陣取るアカハチ軍を前に、上陸することもできず、官軍は苦慮した。当初はオヤケアカハチ軍は優勢であった。



しかし2月19日、夜を狙って首里王府軍が登野城と新川の二手に分かれ上陸する。

オヤケアカハチはこの多勢の作戦に応じることができず、2日間の攻防の末、ついには負けてしまう。

オヤケアカハチは、底原山に逃んこんだところを、討たれてしまった。



この戦いは先島諸島の島々では、日本の戦国時代と同じように、熱く語り継がれている。



今回の波照間島滞在では、ムーの叡智を感じる他にもう1つ重要な訪れる意味がありました。



それは波照間島にたどり着いて初めて耳にした「オヤケアカハチ」という言葉。



「オヤケアカハチ?」



歴史に疎い自分は、これが人名ということもわからず、また人名と聞いても「アカハチ」という響きから昭和頃の近代の人物かと思っていましたが、この人物は今から500年も前、15世紀末から16世紀にかけて活躍した八重山諸島の伝説の英雄の名前でありました。



波照間島生まれのオヤケアカハチ。



海岸に捨てられていた捨て子であり、生まれつき赤髪であったそうです。



その赤髪が不気味に思われて捨てられたとも言われていますが、波照間島の現地で聞いた話では、アカハチは波照間の神職を務める司(つかさ)とオランダ系の西洋人の間に生まれたいわくつきの子供であり、生み落とすことだけが役割であった司は生まれたてのアカハチを捨て、その捨てられたアカハチを拾って育てたのも別の司であったとも言います。



「神の子」と呼ばれたアカハチ。



赤髪の化け物どころか、幼い頃から優れた知恵と能力を発揮していたアカハチはすぐに皆のリーダーともなり、それを幼馴染で憧れながらもライバル心を常に持って一緒に波照間島で育ったのが、後にお互いが本当に戦い合うことになる親友の「長田大主(ナータフーズ)」であります。



波照間島で生まれ育った2人は、やがて石垣島へと渡り、ナータフーズは石垣村の長となり、アカハチは大浜村を拠点に活動することになります。



500年前の当時、今のように日本の一部になっていなかった沖縄諸島はいくつかの豪族に分かれて勢力を持っており、中心は首里王府を構える琉球王朝でありますが、宮古島諸島は空広(仲宗根豊見親)という人物が治め、この2つの勢力が八重山諸島にまで支配を拡大し、年貢の取り立てで八重山諸島の農民達の生活は困窮していたようです。



この圧政に立ち上がったのがアカハチであり、農民の1人という立場でありながらも、自由と平等を訴えて国賊となり、当時の琉球諸島にとって大国である王朝に刃向かったのでした。



そんな国賊討伐に王府から派遣された軍隊は、46隻の軍艦と3000人の兵士であり、戦闘において武器も持たない素人の集まりである300人足らずの農民集団ではまったく歯が立たないレベルの戦争でした。



この討伐の際、八重山側にいる王府軍の総大将であったのが、王府軍についた同郷の親友「長田大主(ナータフーズ)」でありました。



長田大主に追い詰められたアカハチは、底原山の大きな榕樹(がじまる)の木の下で、死に物狂いに抵抗するも多勢に無勢で遂に討ち取られてしまい、最期は首を刎ねられて「オヤケアカハチの乱」は終焉を迎えたそうです。



こうして国賊討伐に貢献した長田大主は英雄ともなって語り継がれることにもなりましたが、一方で八重山側の人々からすれば権力に対して勇気を持って立ち向かったアカハチこそが英雄でもあり、波照間島は異なる立場にある2人の伝説的な英雄の出生地でもあります。



ただ、近年になってからは「オヤケアカハチの乱」の歴史も見直され、本当に単なる国賊であったか疑問の声もあがり、アカハチが民を想って起こした活動を自由と平等を取り戻す独立運動の先駆けとして捉える見解もあります。



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また、波照間島には長田大主を祀る御嶽があります。



波照間滞在では、この長田大主の御嶽が宿泊場所の目の前であり、そこから話が突如「オヤケアカハチの乱」となって2人の英雄の話を地元の人から聞くことになりました。



最大のライバルであり、敵同士であった長田大主とアカハチですが、実際は最後の最期まで親友同士であり、すべてを理解し合っての討伐だったとも言われています。なにせ、長田大主は大切な妹をアカハチの妻に差し出しているほど親密な関係でもあります。



一方で、身柄を捕えるだけで処刑までする約束ではなかったのに、王府が約束を破って処刑したとも現地では逸話があり、アカハチを救えなかった長田大主は、それを晩年まで悔やんで波照間島で生涯を過ごしたようです。



まるで、朝廷の将軍坂上田村麻呂と蝦夷の英雄アテルイのような話でもあり、歴史は場所と時代を移して同じような出来事が繰り返されるだけでなく、同じような魂や宿命を持った人が降ろされ、後世にまで伝わる伝説を残すものだと改めて思います。



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500年前に「神の子」と呼ばれた神童アカハチ。



2000年前に「神の子」と呼ばれたヨシュア(イエス・キリスト)とどこか似た気質と生涯でもあり、イエスもまた納税を強いる役人にたて付き、やがては国を陥れる反逆者して処刑される道を歩みます。



赤髪のアカハチには、どこか渡来人であるユダヤの血が混じっていたのかもしれません。



その霊統や血統は、革命家を輩出する流れを持っていると思います。



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そんな東方の小さな島のイエスとも重なるアカハチの話を聞いたのがクリスマス前の波照間島であり、その後25日のクリスマスには石垣島で子供達の舞台演劇である「オヤケアカハチ」の公演があったので参加してきました。



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この子供達の衣装は、うさとが一部衣装提供を10年以上も前からしており、今回も新たな衣装を40点以上も提供されたので、それを見るのが今回の石垣訪問の1つの予定でもありました。



でもその舞台が「オヤケアカハチ」とはまったく知らなかったので、アカハチと長田大主生誕の波照間島で話を聞いた後、それもクリスマスにアカハチの舞台を見るのは本当に深い意味があったと思います。



今、日本では南の地から再び革命のエネルギーが芽生え始めています。



沖縄が日本から、日本がアメリカから、血の革命ではなく無血革命による大きな維新が再び始まろうとしています。

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2016年11月26日

失われた福音 −『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける衝撃の暗号解読

 



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失われた福音 −『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける衝撃の暗号解読
【内容紹介】

アメリカで大論争を巻き起こした問題作。初邦訳! 2016年最大の衝撃!



「イエスには妻と子供がいた」



神格化されたイエス像を打ち砕いた推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける古文書が、英国図書館に眠っていた。



それは、古代シリア語で書かれた『ヨセフとアセナト』。添え状には、「この秘密に触れることは、命を危険にさらしかねない…」と書かれていた。旧約聖書の登場人物に見せかけたこの物語には、ミステリアスなシンボル、謎めいた祈りや描写が散りばめられている。蜂の巣に血でなぞられた十字架、寝室に現れる天の男、息を呑むほど美しい「神の花嫁」、彼女を狙う「ファラオの息子」…。そして著者は偶然にも謎解きの鍵を見つける。これは、暗号化されたイエスとマグダラのマリアの物語だ…!

イエスの死後、「異端」とされた数々の教派は迫害され、排除された。聖書には書かれていないイエスの人生30年間の空白の真相とは?



闇に葬られた二千年前の信仰の叫びが、ダ・ヴィンチ・コードを上回る衝撃の内容をここに明かす!



アメリカで出版前から大論争を巻き起こした大ベストセラー『ロストゴスペル(失われた福音書)』(THE LOST GOSPEL ~ Decoding the Ancient Text that Reveals Jesus' Marriage to Mary the Magdalene、シンハ・ヤコボビッチ、バリー・ウィルソン共著、2014年)の初邦訳本。(シリア語原文と添え状の翻訳を含む。古文書や関連遺跡など27枚のカラー写真掲載)



序文より引用:

「これからあなたは推理小説を読むようにこの本を読むことになるだろう。我々は、暗号化され、隠された意味を持つ古文書を発見した。これを読み解きながら、我々は読者を謎めいた古文書の世界にお連れしたいと思う。バチカンが恐れていたことは現実となってしまったのだ。『ダ・ヴィンチ・コード』の著者、ダン・ブラウンも薄々気づいていたことだが、イエスがマグダラのマリアと結婚し、子供ももうけていたことが、今ここに、文書の形で証拠としてある。さらには、この新たな発見によって、初期イエス運動とはどのようなものだったか、そしてその中で男女の性的関係が意外な役割を果たしていたことなども、わかってきた。そして、イエスの磔刑の裏にあった政治的策略や、それに関係する事件や人物像までも浮かび上がってきたのである。…」





ダ・ヴィンチ・コードシリーズの第3弾となる話題の映画「インフェルノ」が上映されている最中、あのダ・ヴィンチ・コードのフィクション小説が現実ともなる証拠を解読した本が日本でも翻訳されて登場しました。



その名も「失われた福音」という本。



原文を直訳したタイトルは『失われた福音書 ー イエスとマグダラのマリアとの結婚の秘密を明かす古代の文書の解読 ー 』となっており、ずばり内容はイエス・キリストとマグダラのマリアが夫婦であったことを証明する暴露本であります。



詳しくは本著を是非ご一読頂けたらと思いますが、かねてより、イエスとマグダラのマリアは、イサヤとナザレという本名があって二人は夫婦で子供もいたことを伝えてきましたが、ようやく世間一般でも、それが単なる都市伝説や夢物語でもなく、現実的に過去の歴史上であり得た実話であることが認識されつつあります。



イエス・キリストを神の子とした一神教中心の時代から、新しい時代に入った今は1人ひとりの内側に神が存在していることに多くの人々が気づき始めており、その流れが近い将来に現代の宗教文明の時代に終止符を打ち、その中枢にあるバチカンの崩壊が差し迫っていることを予感させます。



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「イエスに妻がいた」という見解は、何も今に始まったことでなく、近年では2012年にローマで開かれた学会の中で、ハーバード大学のカレン・キング教授が「キリストは彼らに、私の妻だと言いました」と書かれた古い文献を発見したことを発表しています。



この文献は古いパピルス紙にコプト語という古代文字で文章が書かれており、2年間にもおよぶ厳密な調査をもとに書かれた時代を調べると、この紙片が書かれたのは6世紀から9世紀であると認定され、現代に書かれた偽造の文献ではないことが証明されています。



この内容が、それまで信じられてきた「イエス・キリストは生涯独身であった」という事実を覆すものとなり、この文献は「イエスの妻の福音」という名がつけられて世界中で大きな話題となりました。



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そして、そのイエスの妻はマグダラのマリアであるという結論になっています。



いよいよ小説や映画の世界だけでなく、この現実世界の中で着実に今までの常識が覆されようとする流れが始まっています。



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天下泰平:「ダ・ヴィンチ・コード」とキリストの末裔



「ダ・ヴィンチ・コード」では、イエス・キリストは人の子でありユダヤ人の1人の男性であって妻がマグダラのマリアであったことを伝えていますが、この「失われた福音」では、もっと踏み込んで、さらには伴侶となるマグダラのマリアとの男女の交わりを通して、宇宙の不調和を調和させる役割を果たしていたとも伝えています。



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陰陽統合の時代の最たるものである男女の融合。



その真実は性のタブーが明らかになる時であり、歪められたり封印された男女の性の真実が表に出て、祈りや神事であった性行為の本質が世の中にも認知される時が来たのだと思います。


ソフィアという神が、男性と関わることなくヤルダバオトという子供を作ることによって、男女を対とする根源法則である宇宙のバランスを乱した。

宇宙を救うには、人間の姿をしたイエスと人間の姿をしたソフィア(マグダラのマリア)の性的関係が必要だった。

『魂の解釈』というグノーシス主義の書物では、男女が性的関係を持つと、それは1つの生命となると言っている。つまり、二人は象徴的に、男と女に分かれる前の元の人間の姿、神が最初に創造した形に戻るのである。この意味で、聖なるセックスとは、男女の間に出来た亀裂だけでなく、人間と神の間にできてしまった亀裂も直す方法なのだ。(「失われた福音 第十一章 史上最高の結婚式」より転載))



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※グノーシス主義のシンボルマーク(太陽十字)



ここで登場する「グノーシス主義」とは、現在のキリスト教を信仰するパウロ派とは正反対の信仰を持っている宗教の一派であり、キリスト教初期の頃に多くの人々に影響を与えていた「もう1つのキリスト教」であります。



グノーシス主義
イエスとマグダラのマリアの信仰的な意味合いは何だったのだろう?



信者にとってどのような意味があったのか理解するためには、もう一つのキリスト教の形態、つまりグノーシス主義を知る必要がある。



「グノーシス」とは、ギリシア語で「知識」や「洞察力」という意味だ。

グノーシス主義は「正統派」や「カトリック」について行かなかった教派だ。



キリスト教の主流の教会はイエスと結婚については深追いせず、マグダラのマリアをないがしろにした(6世紀には、マリアは回心した娼婦という事になっていた)。



一方グノーシス主義にとって、世界で一番重要なことは、イエスとマグダラのマリアの結婚だった。

それが、人類救済の基礎だった
のだ。



これは、「キリストの受難」、つまりイエスの苦しみと死に焦点を合わせた、人々によりなじみ深いパウロの教えとは全く対照的なので、奇妙に思う人もいるかもしれない。



言い換えると、キリスト教初期には、イエスの信者には少なくとも二つの選択があった。



グノーシス派、あるいはパウロ派だ。



グノーシス派にとって、イエスの結婚と性生活は彼の伝道の中心的役割を果たしていた。



パウロ派にとっては、イエスの禁欲、苦しみ、死と復活が鍵だったのだ
(「失われた福音 第十一章 史上最高の結婚式」より転載)



もちろん今の西暦に象徴されるキリスト文明は、真逆のパウロ派が実権を握っており、グノーシス主義は異端であるとされていますが、日本でも古事記や日本書紀が真実ではないことが明らかになりつつある今、世界20億人以上の信仰のもとであるキリスト教もまた本当のことがこれから明らかになることでしょう。



また、本著では、当ブログでも伝えてきたように、イエスはローマ兵とマリアの子だった可能性があるという分析も示しています。


パンテラという男がマリアを妊娠させたのであり、この男はローマ兵だったとされているのだ。

つまり、イエスはマリアとパンテラというローマ兵の不義の交わりから生まれた子供だという事だ。



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ところで、本著を読んでいて興味深いと思ったのは、イエスとマグダラのマリアの結婚式のことであり、その場所が先日に訪れて自分たちも思わぬ展開で予定していなかった結婚式が執り行われたイスラエル北部の「ガリラヤ」であると書かれていた点であります。タイミングといい、偶然にしては面白いものです。


新約聖書で、二人が結婚していることが読み取れるのは、マリアが処刑の場と、埋葬の場に居合わせたという二箇所だ。聖書の全ての福音書によれば、マグダラのマリアはイエスの家族の他の女性たちと、磔刑の場にいた。もしマリアが妻でないのなら、なぜそこにいたのか?



さらに4つのうちの3つの福音書によれば、処刑後、マグダラのマリアは、埋葬のためイエスの裸体を洗い香油を塗りに行く。もし妻でないなら、彼の裸体に触るなどという事ができるだろうか?



1世紀のユダヤ教の習慣では、男性がいない場合は、家族だけが死体に近づくことが出来た。



つまり、おそらく紀元15年あたり、イエスがおよそ20歳、マグダラのマリアがおよそ18歳の頃に、二人は結婚したに違いない。



恐らく、二人が住んでいたガリラヤ、そして、『福音書』に唯一婚礼の場面が書かれその舞台となったカナで婚礼が行われたのかもしれない。他の婚礼のように、村中の人が集まる、喜びに満ちた出来事だったに違いない。(「失われた福音 第十一章 史上最高の結婚式」より転載))



今年に入ってからのテーマはとにかく陰陽統合、男女融合であり、さらに9月9日に木星の天秤座入りとなってからは、地球は来年10月10日までスピリットメイトとの出会いや融合が加速する大恋愛時代となっています。



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スピリットメイトの象徴であった2000年前のイエスとマリア。



「失われた福音」は、新約聖書では出てこないイエスの30歳までの人生について触れていますが、さすがに処刑後の人生については深くは触れていません。



まさかイエスは生き延びていて、その先に二人は落ち合って、それぞれ別ルートで日本を目指しており、そして実際にイエスが日本までたどり着いていたとは夢にも思っていない人々が多いと思いますが、この流れでいくと、そんなこともバチカンが公式に認める日が来るのも遠くないかもしれません。



ただ、その前にファティマの第三の予言のようにバチカンの崩壊、宗教の時代の終わりが来るかもしれませんが・・・。



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天下泰平:前前前世からのスピリットメイトの出会いを描いた映画「君の名は。」



映画「君の名は。」は、まさにこの2000年越しの二人のスピリットメイトが現代で巡り合って1つになったことを表現したストーリーであったことは以前にもお伝えしました。



今年は、春にカラヴァッジョ展で「法悦のマグダラのマリア」が世界で最初に日本で公開され、夏にヒロイン映画「君の名は。」が大ブームとなり、そして秋にはイエスの妻の証拠となる「失われた福音」が日本で発売。



次々に封印された女神が今このタイミングで日本から表に飛び出し、このエネルギーのもとにはセオリツヒメなど古代の神々が深く関わっています。



一見何も変わっていないような世の中ですが、着実に見えない形での変化が急ピッチに起こっており、臨界点を突破した時にリアルな現実も大きく変わる時がきます。



激動が予想される2017年は一体どういった真実が明らかになってくるのでしょうか。



まずはイエス・キリストとマグダラのマリア。この2人の真実の行方がこれから先どうなっていくかを注目しておくと時代の流れがよくわかってくると思います。

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2016年07月14日

守りたまえ、ダビデの王統を

     
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徳川家康を祀る日光東照宮。



かの有名な「眠り猫」の門をくぐると奥社へと続く階段があります。



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奥社の裏には、重厚な青銅の門があり、その奥に八角(八芒星)に組まれた石段の家康の墓があって、そして、その前には、亀の上に乗る鶴の像があります。



夜明けの晩に鶴と亀がすべった鶴亀統合の「鶴亀(つるき)=剣」



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ただ、ここには鶴亀像以外にも興味深い像があり、鶴亀像と対の反対側には「壺」の像があり、そして両者の間には「箱」のような台の像があって、その上には「獅子」“玉”を持ってたたずんでいます。



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古代ユダヤの契約の箱「失われたアーク(聖櫃)」「獅子」



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獅子はユダヤ12支族の中心部族である「ユダ族」のシンボルであり、ユダ族はダビデ王の系統、ユダ族のいた南ユダ王国はエルサレム(現在も市章は獅子)もあり、アークが保管されていた神殿もあった場所です。



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そして、アークの中に入っているユダヤ三種の神器の1つ「マナの壺」



イザナギは古代ヘブライ語で「イシュァナギ」

その意味は「守りたまえ、ダビデの王統を」



イザナミは古代ヘブライ語で「イシュァナミ」

その意味は「守りたまえナミ(ダビデの祖母)の血筋を」



ユダヤ王家ダビデの血筋は、日本人へと引き継がれていると言われています。



鶴と亀、日本とユダヤ、秦氏と物部氏。すべての統合が終わった今、日本から世界の統合が始まります。 

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2016年05月28日

キリストは「時は近づけり」と申しましたが、今は既に時は「来た」のであります

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キリストは「時は近づけり」と申しましたが、今は既に時は「来た」のであります



2016年05月28日NEW !
テーマ:地上天国・神の国

みなさん、おはようございます。今朝の神界に佇立される現人神大塚寛一先生の「深遠な御教え」は、「ロニ如是我聞」ではなく、昭和11年に発刊され、現在国会図書館で閲覧可能な「暗夜の光明」の原文ロニ写経版(本邦初公開)でございます。「心の眼」で拝読くださいませ。皆さまの心が神の座に戻られておられる大塚先生に通じますれば、素晴らしい体験があると確信しております。


人類の大救世主大塚寛一先生のお写真はこちらから!
http://www.nsfs.jp/sousai_sousai.htm
★暗夜の光明:昭和11年4月20日発行
★7-10ページ:救世主出現:地上の人類が、永い間待ちに待った、大親が地上にお降りになりました。もう之で、如何なる罪深い者でも立所に救われ、一人残らず弥陀の人となる事ができます。今迄「縁なき衆生は度し難し」と申しまして、一切のものが救われることができませんでしたが、釈迦の預言せられし弥勒菩薩や、キリストの言われた天国の父に相当する、最高最大の御力で、一切の衆生済度に来られました。片時も早く此の御力に浴し、無明の闇より救われん事をお勧め申します。今や地下の準備なり、光明の世界に出んとしての鳴動は、世界の非常時となり、全般に渉りて、一大動揺を来しつつあります。此の非常時、此の動揺は、丁度、母体内の闇から光明の世界に生まれ出んとしての悩みであります。生まれ出でて最高の御力に照らしてみるときは、今迄の悪の世界、苦の世界、闘争の世界と、苦しみ逢ふてゐた此の世界其のままが、大親の御懐であったのであります。現在までの生活状態は、左に進むも、亦、右に行くも、不合理にして不得己ざる行動でした。真の自由は完全に束縛されて居たのです。それは、胎内の子供が成長するに従い不自由になるが如く、今の世の人々は極度の束縛を受けてゐます。然し、神は真善にして少しの悪も造り出す事なく、此の不自由なる束縛と世のあらゆる矛盾は、光明の世に生まれ出でしめんとする前のしるしであります。が、それを気付く人のないのは、丁度母胎内に居て母を知ることが出来ぬ様に、此の暗路でどうして神を見ることが出来ましょう。神は愚か真の自己を知る事さへ出来ないのですもの、其の無明の暗路に迷ってゐるのが、現在の社会です。之れが、此の世ながらの地獄です。而して神は至善でありますから、地獄といえど、真の悪は何處にも造られてゐないのです。が、暗路に迷う人々には順逆を誤って、一切のものが悪化してゐるのみです。光明が照らして、迷いが醒めても、周囲の事情に変わりはありませんが、迷える者と醒めたる者とは、黒白の差より甚だしい違いで、此のままで地獄が一転して、忽ち天国となり、極楽となるので在ります。母の母胎より出でて、懐に抱きあげられる時、自由と光明とが得られるのであります。斯様にし、胎児が母を知る如く、真に目覚めたる時始めて、大神を知り、自己を知ることができるのであります。その抱きあげるのが、天国の父であり、弥勒菩薩なのであります。一口に申せば世界の大親なのであります。大親なる故に、世の一切のものを造り出す無限の力によって、一切の悪を立所に善化し尽くすのであります。昔、キリストは「時は近づけり」と申しましたが、今は既に時は「来た」のであります。此の時、此の際、醒めざる者は、不浄埃芥として永遠に葬り去られる時が来たのであります。今の世に存在せるものに、一物として悪なるものはありませんが、しかし一旦不要なものとなれば、立所に此の世より取り去られるのであります。迷える者は速やかに醒めなければなりません。早く醒められよ。而して、大親の懐にいだかれて、真の生命に生くることこそ急務であります。急務どころではない、最も楽しいもっとも意義あることなのであります。普通世間に於いて慈母の愛に勝る愛はありませんが、それにも勝る絶対無限大の愛に満ちたる此の大親にいだかれる事を措いて、何處に、安き道がありえましょうか。
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2016年04月29日

御師と伊雑宮の真実

     
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特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・ 宿泊などの世話をする「御師(おし)」と呼ばれる人々。



古くは平安時代が原点であり、明治4年に明治政府の令によって廃止されるまでは全国各地に御師はいましたが、今は伊勢を中心に一部の地域にしか御師は残っていません。



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その御師の始まりとも言われる伊勢神宮内宮の別宮の一社である伊雑宮(いぞうぐう)



ここに現代に生きる伊雑宮の御師の森さんという方がいます。



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83歳で盲目でありながらも、先祖代々より受け継がれてきた伊勢の本当の歴史、伊雑宮の真実を言葉を通して力強く伝えています。



今から1500年以上も前、倭姫(やまとひめ)と呼ばれる人物が、ヤマト(奈良)の地を離れて各地を巡り、27番目の最後に祖神アマテラスを鎮座させたのが、この伊雑宮であり、ここで倭姫も最期を迎えたと森さんは伝えています。



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実際、大正末期に伊雑宮近くにある大きな楠が伐採されて地面を掘ると、そこから石棺が出土して中に勾玉や鏡などの神器が出てきてしまい、これが倭姫の遺蹟ではないかと地元住民の間で大騒ぎとなったそうです。



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ところが、そこへ警察が駆けつけ、ここで見たもの、聞いたものはすべて口に出さないように指示し、厳戒令ひいて住民を石棺に近づけず、中身の神器を持ち出して再び埋めてしまったそうです。



古くから伊雑宮の信仰者は、伊雑宮こそ本当に天照大神が鎮座された場所であり、伊勢の始まりの大元であることを主張してきたそうですが、江戸時代に強い弾圧があり口封じさせられ打ち首となり、この大正末期の騒動でも、この石棺のことを口に出した者は処刑されたそうです。



そこで誰もが黙ってしまって、伊勢や伊雑宮の真実を口にする人は誰もいなく、御師の家系が代々長男から長男へと口伝で伝え、外へは一切情報を漏らさなかったのが、戦後に国家体制が変わり、天皇の現人神も終えて、ようやく森さんも御師として真実を語れるようになったそうです。



日本全国の神社のトップに君臨する伊勢神宮。



その背後には日本建国から現代日本に隠された多くの真実や謎が隠されています。



夜明けの晩となった今、鶴(伊雑宮)と亀(籠神社)が統べり、これから日本の本当の夜明けが始まります。



スサノオ、ニギハヤヒの出雲、物部氏と蘇我氏、仏教と神道の背後にある古代ユダヤ教とキリスト教の国であるヤマト(ヤー・ウマト=神の民)



日本とユダヤ、元は同じ民族の和合により、大元の神の封印が解かれて新しい時代が始まりますが、同時に世の中の立て直し・立て替えも本番を迎えることになります。  

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2016年03月26日

グッドフライデーとイースター(復活祭) 天下泰平様

     
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2016年3月25日(金)は「グッドフライデー」



2000年前、イエス・キリストと呼ばれたユダヤ人がエルサレムにあるゴルゴダの丘で磔となって処刑された日です。



そして、3日後に復活した日を「イースター(復活祭)」としてキリスト教の中では1年でも最も大事な日として世界中で祝われています。



イースターは、毎年「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」となっており、今年は3月27日となります。



偶然なのか意図的なのか、奇しくも今年のイースターは「もう隠してはおけない!日本とイスラエルの超むすび」というタイトルのユダヤセミナーに登壇する予定であり、講演内容は「イエスの軌跡」となっています。



ところで、磔にされたイエスの十字架の上に書かれた「INRI」という言葉。



INRIは、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳され、これは罪状書きの文であるそうです。



このINRI。実は日本全国にある稲荷神社の語源とも言われており、稲荷神社はキリストを祀っているという見解もあります。



稲荷神社は主に白狐を祀っており、確かにイエスを導いたのも白狐とも言われています。



それが真実かどうか分かりませんが、確かに自分自身もまた、昨年にイエスが布教活動をしていた中心地ガリラヤ湖において真夜中に岩山の山頂で九尾の白狐に遭遇したことがあります。



いずれにしても今日から3日間は、イエス・キリストが密接に関わる日。



そんなタイミングに、昨日より2週間ぶりに再上陸した沖縄本島。



今回の目的は沖縄県最北端の有人島である伊平屋島(いへやじま)を訪れることです。



沖縄の聖地である久高島と陰陽関係にもあり、さらに古い歴史もあるという伊平屋島。



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50年近く前に岩戸開きの祭祀が執り行われて以来、今年に入って再び様々なシャーマンや巡礼者が訪れて伊平屋島の岩戸開きをやっています。



ここは沖縄の中でも古代ユダヤと最も縁が深い場所の1つ。



イヘヤとイサヤ。イエス・キリストの再臨とも関係する重要なポイント。



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伊平屋は、反対から読めば「ヤヘイ」であり、聖書の中の絶対神「ヤハウェ」で、実際に「ヤヘー岩」と呼ばれる巨石が伊平屋島では祀られています。



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実際に見るヤヘー(ヤハウェ)岩は、想像の10倍くらい大きな巨石というか岩山でありました。



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スペインで見た「ジブラルタルの岩(ヘラクレスの柱)」のような強烈なエネルギーを発している岩山であり、よく見るとバベルの塔のように螺旋状のスパイラルに岩が渦巻いています。



ついつい岩山を見ると衝動的に登りたくなる性分であり、引き潮のタイミングを狙って麓まで行き下駄でよじ登ってきました。



そして現地まで行ってハッキリ感じました。この装置はまだ生きている(稼働している)と・・・。





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また、伊平屋島の中でも最大の聖地「クマヤ洞窟」も訪れました。



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江戸時代の学者が「天の岩戸」伝説の舞台である提唱したことから数ある岩戸の中でも大元の岩戸の1つに数えられている場所です。



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ここでお祈りをした後、不思議な磁場になっており、そこで写真を撮るとピントが合わずに謎の発光体が映りこみました。



「また地図・・・?」



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今度行く予定のアメリカ大陸とも思えるような、それとも別の地域なのか何なのかもよくわかりませんが、CGのようにハッキリと光の模様が出ていました。



クマヤ洞窟は非常に重要なポイントなので、また明朝にもゆっくり訪れてみます。  

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2016年03月19日

四国の剣山上に「モーセの契約の箱」あるのではないのか?

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◎四国山中に遺る皇室に関わる封印された真相◎

●大嘗祭に欠かせぬ神具「麁服」は徳島県木屋平村でのみ作られる
 四国山中には皇室についての隠された事実が多くある。その内の二つだけを取上げてみる。
 その第一は、大嘗祭に欠かす事の出来ない麁服、そして第二は皇祖についての事である。
 まず第一に麁服。これは大嘗宮内陣の第一の神座に供えられるものである。平安時代の現天皇の大嘗祭の時にも用意された。
 これを貢ぐ事が出来るのは徳島県木屋平村の「三木家」に限るとされている。5万分の一の地図で木屋平村を見るならば、等高線が非常に緻密になっていて、山また山のなおまた山の奥にその木屋平村がある事が分る。
 三木家はその木屋平村の山の、なお頂上近くにある。三木家の裏に、それこそ山の尾根を走る古代の幹線道路を見付ける事が出来るし、そこに昭和39年まで公立三ツ木小学校があったという石碑が立てられている。
 この小学校は明治12年に建てられたものであった。その頃は未だ木屋平村の中心が山の頂上近くにあったという事が分るのである。
 今日、三木家を尋ねるならば、その山頂近くの前庭に切開かれた、竹垣をして鉄条網が張られ、入口には鳥居が設けられた一地区がある。ここで大嘗祭の為の麁服の大麻?が栽培されるのである。
 大麻が盗難されたり、悪戯されたりしたら困るので、畑の周りを竹垣と鉄条網で二重に囲んであるわけである。そして種蒔きから刈入れまでの約3ヶ月間、24時間体制で監視が続けられるのであった。それも僅か4反の麻布をつくる為にである。
 いわゆる平成の今日においてでさえ、大嘗祭の儀式に使われる麁服は、かくも厳重にしてかくも心を入れたものとして作られたのであった。
 四国、中でも徳島県以外の人々からするならば、何故この様な儀式物が、いわばかくも山奥で作られているのだろうかと、不思議に思うものである。
 麁服は古来から阿波国の忌部氏が調進するものと定められていたという。それが平安時代になると明確な文書として残っている。
 『貞観儀式』(859年)や『延喜式』(927年)には大嘗祭に関する式文が定められていて、麁服については阿波忌部氏が御殿人に指名され、麁服を織って神祇官に調進する方法が、細かく定められていた。
 忌部氏は中臣氏と共に朝廷を司る氏集団として歴史的に知られている。
 平成天皇の時にも麁服を織ったこの徳島県木屋平村の三木家は、将に古来からの忌部氏の末裔なのである。だからこの三木家でなければ、麁服を織る事は不可能なのである。

●麁服に見る四国山中に隠された”日本を支える力”
 三木家には多くの古文書が残されている。麁服についての古文書も多く残されている。 最も古いものとされるのが、文応元年(1260)11月のもので、当時の三木宗時が亀山天皇の大嘗祭に奉仕した時のものである。
 しかも大切な事は亀山天皇から三木宗時に命令が出され、その古文書には「先例にならって早く麁服を出すように」という意味の事が書かれているのである。
 という事は三木宗時以前から、三木家はずっと麁服を用意してきた事が分る。
 永仁6年(1299)11月、後伏見天皇。延慶2年(1309)6月の花園天皇。文保2年(1318)11月の後醍醐天皇。正慶元年(1332)11月の光厳天皇。これら各大嘗祭に麁服を調進した事が、古文書によって確認出来るのである。
 大嘗祭について研究した文書によると、朝廷はこれら阿波の国の三木家から麁服が都に運ばれる際、通過する各国の国司に道路を清掃する事を命じ、うやうやしく見送るようにという命令を出している。
 しかし三木家から麁服の献上する事が中断せざるをえなくなる時が来た。それは南北朝の騒乱である。
 南北朝の騒乱の時、阿波忌部氏は南朝方につき、三木家の当主は南朝軍として従軍したが戦死した。そして多くの迫害を受けた後、阿波忌部氏族は四散した。南北朝合体の後、朝廷はその勢力を失い、麁服の献上は途絶えてしまったのである。
 それ故に麁服が復活するまでには600年間の歳月が必要であった。即ち大正天皇の大嘗祭において再び阿波忌部氏の麁服が献上されたのであった。

●徳島・気延山麓・八倉比売神社にある皇室の祖の神陵!?
 第二に、皇祖についても又四国山中に隠されている。
 かって阿波の国に国司が遣わされていた所は、今日のJR徳島線府中あたりであった。 かっての国府跡に立てば真っ直ぐ西に気延山を仰ぐ事が出来るし、その山麓に天石門別八倉比売神社がある。
 この山陵は古来、矢野神山といわれ、山全体が御神体とされている神社なのである。
 江戸中期に古墳が削られて社殿がつくられた。そしてその残れる古墳の上に五角形の祭壇が作られたのであった。
 「阿波国国史研究会」によると、「祭神は大日霊女命(天照大御神の別名)」である。徳島藩の史書『阿波志』は天照皇太神、『入田村史』(大正2年)には大日霊女命を祀ると記されている。又京都押小路家所蔵の延喜式神名帳の阿波国八倉比売神社の項には、「祭神が大宮売神と注記されているが、これも天照大神の尊称である」と発表されている。 この八倉比売神社の社格は式内大社である。延喜式というのは律令の施行細目にあたるものであって、927年に作られた。
 平安時代当時、神社の数は三万社ともいわれていた。その内から国家祭祀に組入れられた神社が『延喜式』の中に登録され、それは3132に及んだ。この神社が、延喜式内社又は式内社と呼ばれたのであった。
 八倉比売神社はその式内大社なのである。そこで行われていた祭祀の起源の説明等をひもといていくならば、延喜式に取上げられる遥か以前の7世紀末期には、既に存在した神社である事が分る。

●徳川幕府も探っていた「阿波の本当の歴史」
 徳川幕府は本当の阿波の歴史を知っていたらしい。それ故に江戸時代を通じて多くの注文を、阿波藩につけてきた。
 松原元康が天下に名をあげるや、自らの家系は鴨族の末裔であると称して、その名を松平から徳川に改めた。その後、阿波の蜂須賀藩に、阿波藩を徳島藩に改名せよとの命令を出した。それ以降、初めて阿波の国に徳島という地名が現れだしたのである。
 更に時代は下って徳川光圀は江戸に修史局を開き、元禄10年(1697)、突然徳島藩江戸留守居役であった老中土屋相模守を呼びつけ、覚書を手渡し、阿波及び淡路両国にある古代天皇葬場の調査が続けられたのであった(阿波国国史研究会編『道は阿波より始る』に詳しく述べられている)。
 四国、中でも阿波の国には隠された歴史があるらしい。それが又日本歴史の根幹をなすものようである事が分る。
 それらの事を明らかにするのは『阿波風土記』であろう。しかし『阿波風土記』は現在、現存しないとされているのである。
 しかし『阿波風土記』から百数十年前に引用されたとされるものが、多くの本に取上げられている。それらを継ぎ合せるだけでも阿波国の不思議が浮び上がってくるのである。『阿波風土記』は徳川家が持っていた事が分っているし、明治初年まで徳島藩自体もそれを持っていた事が明確になっている。
 しかし明治5年、小杉椙邨氏が『阿波古風土記考証』を出版した時点で、それらが一斉に消えてしまったのである(これが、今現在も行われている。例えば、国際連合に対する論文を発表した雑誌が今、消えているのです。『阿波風土記』に何かを隠されているのです。皇室の問題が書いて在るのではないでしょうか!忍)。勿論『阿波古風土記考証』も同じ運命を辿った。
 今日、学校教育の場で、四国、中でも徳島県が詳しく取り上げられることはない。いわんや四国山中の不思議についても取上げられることはないのである。
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●気延山悲願寺の灯台が照らす皇室と四国山中の結びつき
 その阿波藩についても不思議な事がある。
 先ほどの気延山のなお奥に、神山神領という所がある。それは全く山の中である。しかし、山の中とは雖も数千人が生活する事が出来る程に平らに開かれた場所がある。
 その中心が悲願寺で、その寺の庭に灯台の建物がある。江戸時代のつくりで、当時はその灯台の灯火は1日として消される事はなかったという。勿論江戸時代には、今の場所よりももっと山の中の、切立った崖の上にそれを立っていた。
 その灯火は遥か吉野川流域からも見る事が出来ただろうし、徳島の町からもそれを望む事が出来た。
 徳島藩は密かに阿波の国の歴史を探る事によって、日本国家の根幹に関わる事を発見したのではないだろうか。
 神山神領という名前だけでも荘厳である。徳川家に隠れて、自分達が知った何かを暗示せずにはおられない衝動に駆られたのではないだろうか。
 繰返すようであるが、その灯台は海上を行く船とは何の関係もない。只山の上で約250年間、光り輝き続けたのであった。しかも灯火を守る為に数家が選ばれ、1日たりともそれを絶やせば斬首刑にあったと聞く。
 数年前、皇室に関わる重要な人物がおつきの者と徳島県を訪れ、気延山山麓を訪れた。 気延山には先に述べたように、天照大御神の神陵である天石門別八倉比売神社がある。いわば皇室の皇祖墳墓の地である?
 彼は、その神社そのものを訪れる事は無かった。その神社のなお平地に至った所、かって阿波国の国司がいた所に、国分寺と国分尼寺が建てられている。彼は国分寺から静かに車を走らせて国分尼寺跡に向ったのである。彼の左には八倉比売神社が見えた事は間違いない。

●古代ユダヤ王国であった日本が首都置いた四国徳島県
 四国山上に首都あった古代ユダヤ王国が、山を下り、奈良の大和に向わなければならない時が来た。そのリーダー(聖徳太子を意味している。ユダヤの神エホバ(エル・ランティ様が、悪魔ダビデから守る為にユダヤ本国から「日本」と生れ変えた。詳しくはJI出版『古代日本と七大天使』を参照!忍)達は率先して大和に行ったが、その山中に残された人々も多くいた事だろう。
 同時に彼等が四国山上を去る時、自分達のルーツを隠匿した形跡がある。なぜ隠匿しようとしたのか。恐らく自分達にとって最も大切なもの、即ち「モーセ契約の箱」をカムフラージュする爲ではなかっただろうか(それと悪魔ルシファを使って操った悪魔ダビデの悪業から守る為!忍)。
 その隠匿の方法は、将に巧みであった。
 紀伊水道を挟んで、四国、中でも阿波及び四国山上にあった地名をそのまま奈良県及び和歌山県北部に作ったのであった。
 その代表的なものは吉野川である。吉野川は四国の中心を流れている。阿波の生命を支える川といっても過言ではないだろう。その吉野川は真っ直ぐ東へ進むならば、又吉野川が奈良の山奥から同じ紀伊水道に流れ込んでいる事に気が付く。
 勿論近畿地方にある吉野川は、下流に行って紀ノ川とその名を変える。しかし吉野川である事は変りはない。
 古代ユダヤの人々は四国山上において東祖谷村、西祖谷村等で生活していたように、奈良県南部の同じような地形の所に十津川村を作った。
 十津川村の郷土達の歴史は不思議である。南北朝動乱が起きると直ちに南朝につく。又南朝の武将達も、その十津川村を慕って吉野川上流を訪れ、そこを自分達の安全地帯と心得ていた。
 十津川村郷士は勤王の志士として京都動乱の地に馳せ下っていったのであった(真の南北朝問題は、沖縄王族と現王朝が南北朝問題なのです。「保元の乱」が真の意味の南北朝問題が発生させたのです!忍)。
 

●淡海、香具山・・・地名で覆い隠そうとした四国山上の世界最高の宝
 更に徳島県に那賀郡があるように、対岸の和歌山にも那賀郡がある。
 徳島県から今日の香川県にいくと、大阪があり、奈良街道がある。その奈良街道の果てに難波津があるのである。
 阿波国国史研究会によれば、『万葉集』歌われている難波津の歌はここで詠まれたというのである。
 しかもその歌に詠まれた淡海は、文字通り今日の徳島県と淡路島の間の淡海を指す。決して近江国の海、即ち琵琶湖ではないという。
 例えば『万葉集』273の歌を近江海即ち琵琶湖として考えるならば意味が通らない。
 「磯の崎こぎたみ行けば 淡海の海
  八十の淡にたづさわに鳴く」
 これを徳島県と淡路島の間の淡海とするならば、自然と理解する事が出来る。磯崎山と高島に狭まれた小鳴門海峡をこぎ抜けると淡海に入る。船上からは多くの島々や淡が見えた事であろう。「八十の淡」とは阿波を海上から眺めた光景なのである。
 そのような事は多くある。
 香具山についてはどうであろうか。
 私達は天香具山といえば直ぐに大和三山の1つであると思う。しかし今日の小松島湾の所に香具山がある。
 遥かなる昔、即ち『万葉集』が詠まれた時、阿波の国は「倭(和)」と言われ、大和の国の奈良県は大倭と呼ばれていたのである。

 「やまとには郡山あれど、とりよろふ天乃香具山 登り立ち、国見をすれば
 国原は 煙り立ち立つ 海原は かもめ立ち立つ うまし国ぞ やまとの国は」

 倭(ユダ)の国には数多くの山があるが、海原はない。かもめが飛立つ事もありえないのである。
 そして天香具山も、阿波国の天香具山を指している事になる。
 本来、阿波国にあった地名が主に近畿地方に多く作られ、その他にも作られていった。このようにして阿波の国が隠匿されていっただけでなく、本来の『万葉集』の歌の意味も日本人には分らなくなってしまったのである。言葉を換えればそれほどに阿波の地を隠し、四国山上の世界最高の宝を覆い隠そうとしたのではないか。

(「万葉集」は、悪魔ダビデによって改竄された旧約聖書の中身を真の意味の旧約聖書の内容を伝えているヘブライ語聖書を日本語文法にそって表現された歌謡集。基本的にはヘブライ語で表現されている。内容の中身はJI出版「古代日本と七大天使」に詳述している。そこからヘブライ語の和歌から、標準日本語がどの様に発展、発達していったか、細部に渡っての問題は、研究課題の一つである。そしてもう一つ問題を提起しますと、万葉集の中に語られる地名や山の名には、被実在のものがある事が知られている。これはどう言うことを示すかと申すと、即ち、地名や山の名は、万葉集の中で、ヘブライ文が隠蔽されていく中で作られ、そして、隠蔽された後のその作られた地名や山の名が、日本国内に、それぞれの山や地名として名付けられ、振分けられた、と考える事が出来るわけです。万葉集の中に今も残された非実在の地名や山の名は、その選に漏れたという事である。つまり、万葉集に語られた地名、山の名、河の名を、日本国中に名付ける事、これもヘブライ隠蔽政策一掃政策と新しい日本国へ向けた倭奴(ユダ)国、大和朝廷の新しい政策の一環でもあったと考える事が出来る。勿論、それ以前の古くから存在した地名や、山の名はそのまま、漢字に当字され残された。実例が今まで上文で説明出来る事である!忍)


●剣山を一切見せないようにした空海の遍路設定
 弘法大師・空海はその事の為に大いに貢献したと云われる。
 四国・吉野川の上流には、古代ユダヤ小国家があった四国の山々があると共に、その真ん中に剣山が控えている。弘法大師は近畿地方の吉野川の上流に剣山を隠匿する場所として高野山を開いたと云われている。
 弘法大師は剣山の重要性を心得ていた。
 四国の吉野川沿いから剣山を見る事の出来る場所は僅か100mである。ほんの僅かな所からしか剣山を臨むことが出来ない。
 それが出来る貞光町のある場所に立って、晴れた日、遥かに剣山を臨むと、あたかもその剣山の前の山が切取られて、わざと剣山が見えるように作られているかのような山の佇まいを臨む事が出来る。
 弘法大師といえば四国88カ所礼所を定めた人物である。
 その第一の礼所は鳴門から始る。しかし88礼所に至るまで、如何なる所からでも剣山を見る事は出来ない。
 いや見る事が出来ない様に作られているかの様である。
 この事を特に研究したのが先述の大杉博である。
 大杉博氏は『四国は死国にされていた』の著作の中で、日本文芸社 宇野正美著『古代ユダヤは日本で復活する』P4696〜97頁に示したような図を掲げている。一の礼所から始って、十までは、そのまま西に進んで行くだけである。更に西に進むならば、貞光町の剣山を見る事が出来る地点に行く筈である。
 しかし十の切幡寺の名の通り、そこで切れていて、11番目の礼所は西ではなく南に下るようになっている。剣山は一切見る事は出来ない。
 更に礼所は南に下り、剣山から剰りにも遠い所を迂回して行く事になる。
 しかし大杉氏は、その10番の礼所である切幡寺の、なお奥の院から、僅かではあるが剣山を臨む事が出来るというのである。そして第88番礼所の奥の院からも、剣山を少し見る事が出来るという。
 この第10、第88番礼所から剣山を臨む事が出来るのは、弘法大師の温情ではないかと云われている。裏返せば弘法大師は全てを知っていて、剣山という聖所を隠匿する為に、88カ所の礼所を定める様にと命じられていたかもしれない。

●イエス誕生の時に現れた「東方の三博士」は四国から出発した
 更に年月は流れ、紀元前4年、パレスチナではイエス様が誕生した。
 このイエス様誕生について『新約聖書』は克明に記録しているが、特に『新約聖書』「マタイ伝」には、東方から3人の博士達がやって来た事について述べられている。博士という言葉はギリシャ語ではマゴスなるが故に、正確には「知恵者」と訳すべきであろう。 この東方からきたマゴス達は、欧米では今日のイラクかイラン辺りから来た人々であるとされている。
 どうしてこのマゴス達が日本からやって来たと思えないのであろうか。
 欧米の人々には日本からという概念は100%ない。しかしイザヤの子孫である(ヘフジバ(天照大神)、シャルヤシュブ(月夜見尊)、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(素盞鳴尊、又は午(馬)頭大王)達[イザヤ祭政主は日本に来ていない!忍]が日本に「契約の箱」を運び込み、約2000年前にはそのイザヤの精神が未だ残っていた四国の小国家から、『旧約聖書』の預言の成就(悪魔ダビデの計画!忍)ともいうべきイエス様の誕生を確かめるかのように、一群の人達が西亜細亜のユダヤ国家を訪問したとは考えられないだろうか。
 この東方からのマゴス達は、まずエルサレムに向った。そしてエルサレムで当時の王ヘロデに会って次の様に尋ねた。彼等は救世主の事を「ユダヤ人の王」と呼んだのであった。
 「ユダヤ人の王として生れた方はは何処にお出でになられるのか。私達
 は東の方でその方の星を見たので、拝みにやって来たのである」

 これを聞いたヘロデ王は恐れた。エルサレム中の人々も同様であったという。
 なぜヘロデ王は恐れたのか。ヘロデ王はユダヤ人ではなかった。イドマヤ人だったのである。此の頃ユダヤ国家はローマ帝国の属国であった。それ故ローマ人はイドマヤ人をユダヤの王として立て、ユダヤ人を統治していたのであった。将に巧みな植民地政策というべきであろう。
 ユダヤの新しい王が生れたとなれば、自らの立場が危うくなる。ユダヤ人による反乱が起きるかも分らないと、ヘロデは恐れたのであった。
 ヘロデ王は『旧約聖書』の学者達を呼んで「キリスト(救世主、ギリシャ語では『クリスト』)は、どこで生れるのか」と尋ねた。彼等は『旧約聖書』の中の「ミカ書」を聞いて「キリスト(クリスト)はベツレヘムである」と答えたのであった。
 直ちにヘロデ王は東方から来たマゴス達を呼んで、彼等から星の出現の時間を聞き出し、
 「ベツレヘムに行ってその幼子の事を詳しく調べ、わかったら自分にも教えて頂きたい。自分も行って拝まなければならないから」と言った。
 勿論ヘロデ王は拝む爲ではない、その幼子を亡き者にする爲であった。
 東方から来たマゴス達は、直ちにベチレヘムへ向った。星が再び彼等を先導して行ったと「マタイ伝」は記録している。
 彼等はベツレヘムに着き、イエスがいる家を訪ね当てた。そして母と共にいる幼子イエスを見、ひれ伏して拝んだ。そして彼等は肌身話さず持ってきた宝の箱を開けて、その中から黄金、良い香りのでる乳香、藥である没藥を出して、贈物として捧げた。
 東方から来たマゴス達は、其後、夢のお告げでエルサレムに戻る事なく、ヘロデには会わず、別の道から東方へと帰っていったのであった。同時その夜に天使がヨセフに危機を伝え、そのヨセフが母マリヤに伝えて、イエス様と母マリヤと一緒にエジプトへ脱出していったのであった。
 怒り狂ったヘロデ王が、ベツレヘムの2歳以下の男子を全て剣で殺したのは、それから数日後の事であった。


●徳島・東祖谷村の栗枝渡神社の名はイエス・キリストに由来する!?
 剣山、その中でも日本のチベットと云われる東祖谷村には、不思議な神社がある。
 その神社には鳥居がないのである。普通、神社の象徴は鳥居であるが、遥かなる昔からこの神社には鳥居がない。
 加えて天皇家の家紋、即ち16菊紋が使われている。瓦や、ハッピの背にもあざやかな16菊紋が染抜かれているのである。
 安徳天皇が屋島の戦いで生延びて、四国山上そして東祖谷村にやって来たという話が伝わっているが、それは恐らく東祖谷村の人々が平家の落人の子孫であるという事に話を合わせたのではなかっただろうか。
 言い換えれば源平合戦を境に、その村の歴史を誰かが隠匿してしまったのである(それは、悪魔ダビデが歴史を隠匿した可能性がある。源平合戦の前の、「保元の乱」が実質的な悪魔と神との戦争を意味しているから。その歴史を隠す為に悪魔ダビデが隠匿したと思う!忍)。**********。
 この不思議な神社の名を栗枝渡神社という。
 この栗枝渡神社に掲げられている由来書には、元は栗須渡神社といったと明記されている。
 これは江戸時代の禁教令の頃に付けられた名前ではない。もっと以前からの事である。
 東祖谷村の栗枝渡神社とは何なのか。
 因みに「クリスト」とはキリストのギリシャ語読みの救世主の意味である。
 将に日本離れした神社の名前である。全世界に通用する救世主という言葉が、その神社の名前になっている。そして神社の象徴である鳥居もない。
 先の『新約聖書』中の「マタイ伝」のイエス様誕生の記録と、東祖谷村の栗枝渡神社を考え合わせるならば、何かを彷彿させないだろうか。
 栗枝渡神社から目を上げると、遥か彼方に剣山山系が見える。場所によっては剣山そのものが見えるのである。
 将にその辺りは古代ユダヤ国家があった所なのである。
 この栗枝渡神社の記録書には次の様に書かれている。
 「剣山参拝者は栗枝渡神社を参拝しなければその意味がない、と
 毎年5月頃より11月頃までの間、白衣の行者姿が、毎日のよう
 に『六根清浄(法華經)』を高らかに唱えて長蛇の列が続いていた」

 この事からも分るように剣山と栗枝渡神社は一体なのである。
 ではなぜ東祖谷村のこの神社が栗枝渡神社と名付けられたのだろうか。
 それは「マタイ伝」の東方から来たというマゴス達のベツレヘム訪問と併せて考えれば解ける。
 彼等はベツレヘムで幼子イエスに会った。当時のユダヤ国家ではアラム語と共にギリシャ語が、一般の人々の言葉として使われていたのである。
 恐らく彼等はエルサレムそしてベツレヘムを訪ねる内に、アラム語と共にクリストという言葉を耳にした事だろう。彼等は救世主イエス様を訪ねて、旅していたからである(もし、正統なる天上界が守っている場所であるならば、基本的にギリシャ語は広まっていると考えられる。ギリシャ文化の基本的なゼウス・アリストテレスを通して、神ヘホバが直接、地球人に法を説いたから、宇野氏が自覚していないのは、日本国家は「神の国」天帝(エホバ)が存在している国であるという自覚がない。「モーセの契約の箱」が日本に在るのもその証の1つに過ぎない事である!忍)。
 そして彼等はイザヤの遺言通り、ベツレヘムで生誕したばかりのクリスト即ちイエス・キリスト自身に出会った。
 彼等は十分に目的を果すと共に、彼等が持っていった非常に高価な黄金、乳香、没藥を、クリストに捧げたのであった。そして彼等は元来た道を、再び東方に向って帰っていったのである。
 即ち彼等の出発点が、この東祖谷村の栗枝渡神社の辺りだったのであろう。
 彼等の帰りを待ちわびる多くの人々がいた。当時はイザヤが没して以降、700年しかたっていない(その間に、イザヤの計画が遂行出来る環境を悪魔ダビデが行ったのである。イザヤ書の計画は、神エホバの双子の弟悪魔ダビデの計画であり、天上界は心からは支持する事は無かった。今、現在もイスラエルは、ダビデ王の再来を待っているが、神天上界は、千乃裕子先生を中心に世界の宗教を統一する事を考えている。悪に対して戦いは、許されるけれど、調和のある社会に、わざわざ破壊の道を計画するのは許されないのである。神の言葉を聞きたいならば、今現在は、神の言葉は日本語だけになったのである。イスラエル人は、日本の文化を学び、日本人になる事が救いの道になるのです。それは、キリスト教の正しさとイスラム教の正しさをも学ぶ必要があるのです。あくまでも「宇宙の法」に添っての調和のある社会なのです!忍)。
 この剣山山系において、イザヤの精神はまだ生きていたのであった。
 このように日本離れした神社も、古代ユダヤとの関係で見るとき、その名の重要性が鮮明なものとなるのである。




モーセの契約の箱「アーク」に関して

●「かごめ、かごめ」のわらべ歌に秘められた驚異の暗号
 日本人の誰もが知っている童歌。しかしそのままではどのような意味なのか分からない。何か、暗号が秘めている様に思える。
「かごめ かごめ
 かごの中の 鳥は
 いついつ 出やる
 夜明けの 暁に
 鶴と亀が すべった
 後ろの正面 だーれ」

 昔、四国・剣山は「鶴亀山」と書いた。
 現に剣山山頂に登り、すぐ崖の下を見るならば、自然石で作られた大きな鶴と亀を見つける事が出きる。長い歳月の内に、鶴の首は落ちているが、亀はそのままの形を保っている。
 この童歌にも「鶴と亀」が出てくる。その鶴と亀が崩落した時、後ろの正面からそれまで隠されていた物が登場するというのである。
 昔、物を覆う時に竹で籠を作り、それを被せた。竹で籠を編むが故に、多くの籠目模様が出来上がる。
 鶴と亀が崩落した時、その中から大切なものが登場する。
 それはいつの事なのか。
 「夜明けの晩に」とある。これは将に不思議な言葉である。夜明けと云えば朝日が昇る時であるから、ますます光が溢れてしかるべきである。しかし夜明けにも関わらず、晩のように暗い状態を指している。
 全世界が夜明けを待っているのに、夜明けが来ない状態の時に、鶴と亀は崩落すると言っているのだろうか。
 これを剣山に古代ユダヤ最高の秘宝、「モーセ契約の箱」が隠されているとしたならばどうであろうか。

 後で詳しく述べる事であるが、その「契約の箱」の上には、金の打ち物作りで出来た翼を広げた二つの天使「ケルビム」があった。これまで日本人の思想には、天使というものはなかった。それ故に遥かなる昔、それを見た人が子孫に伝える時、ケルビムが分からず、翼を広げているが故に鳥と表現したのではないだろうか。
 確かに日本の神輿の上には鳳凰が大きな翼を広げている。
「モーセ契約の箱」が剣山に隠されているならば、しかもそれを登場したならば、どれほど世界的発見となり、世界歴史を変える事になるだろうか。

 

●四国・剣山は「モーセ契約の箱」が隠された
人工の山であるという噂は、昔からあった。剣山から西に広がる山々と谷それは東祖谷村、西祖谷村である。この村では昔から剣山は人工の山であると言伝えられて来たという。
 昭和初期、高値正教氏という人物が3年間に亘ってこの剣山に登り、しかもそこに数ヶ月滞在して、剣山が人工的な山であるかどうかを探ろうとした。
 当時の新聞はそれを指して「ソロモンの秘宝を検索」等と云ったが、それは単なる噂であって、本人は只剣山が人工的な山であるかどうかを検索していたのであった。
 高値正教氏自身は次の様に書き残している。
 「筆者は自己の研究の学術的価値を実証の爲、昭和11年7月、四
 国剣山に登山し、果たして人工なりや否やを実証すべく、その調査を
 着手し、その年の12月10日までその研究を継続して帰京し、翌
 12年7月に再度登山してその研究を続け、同年12月10日まで
 にて打切りとなして帰京、翌13年7月に3回目の登山をなし研究
 を継続し、同年12月29日まで山に留まりて、これが実証に没頭
 したり。
  その同調査の為に地下の発掘延べ485尺(147m)の長さに
 及びたり。この研究の内容発表は省略する事とするが、その人工な
 る1点の確証は完全に把握したのである」(『四国剣山千古の謎』
 四剣山顕彰学会刊)

 剣山は標高1955mの山である。それもその山だけではなく、多くの山が連なり、その中の1つとして剣山があるのである。
 昔、人々が剣山に近づくだけでも大変な努力を要した事だろう。
 この高い剣山は夏であっても夜には気温が下がり、非常に寒くなる。高根氏は夏だけではなく、秋から冬にかけてもこの山頂近くに留っていたのである。しかもそれは数ヶ月に及んだ。
 冬の剣山には多くの雪が降る。如何なる自然の苛酷な条件であっても、高根氏の執念を挫折させる事は出来なかった。
 彼はその当時、剣山を奥へ奥へと掘っていったのである。血の滲むような労苦、そして多くの費用は費やされた事だろう。そして彼はその目的を果す事が出来た。「その人工なる1点の確証は完全に把握した」のである。
 高根氏は続けてこう書いている。

 「しかしこの発掘は決して内臓物の発掘の為に非ずして、徹頭徹尾『人工』
 の確証であった事をここに名言しておく必要があると思う」(前掲書)


●人工の山・剣山の内部に創られた巨大な水溜
 剣山が人工の山であるとするならば、何が分るのだろうか。その中に大きな水溜が掘られているのではないだろうか。
 そこに水溜があるとするならば、洞窟が掘られ、かつ水が溜まると共に、それを覆う岩も残っている事になる。それ故その内部は温度と湿度が一定である。そうすると木製品であっても、長き歳月に亘ってそのまま保存する事が出来るのである。
 剣山の内部に大きな水溜があって、温度と湿度が一定に保たれているとするならば、そこに古代ユダヤの「モーセ契約の箱」が安置されているかもしれないのである。
日本文芸社 宇野正美著『古代ユダヤは日本で復活する』P24に掲げた不思議な写真を見て頂きたい。これは東祖谷村のある神社で見付けたものである。剣山内部の水溜めを暗示しているのではないだろうか。不思議というより、非常に思慮深く創られている事に気が付く。
 中央の大きな水溜に水が溜る。そしてそこからあふれた水は土手から外の溝に流れ込み、留る様になっている。そして溝の1カ所を切っておけば、そこから水抜きをする事が出来るのである。
 剣山内部に水溜を作り、その水抜きを作る為に外部のある処に穴を空けて作業するものが入ったとしよう。そしてものの見事に水抜き装置を作り、再び自分達が入った穴から外へ出る。更に水抜き装置が作られている事は分らなくなるのである。
 しかし歳月が立てば、幾ら巧みに作られた物であっても、ひび割れ等が生じるだろう。 剣山頂上付近にはそれを象徴するかの如く、同じ高さの所から、幾筋もの水が噴出し、滝が流れているのである。
 しかも平成6年(1994年)夏と云えば、四国全土が水不足の最中であった。7月17日、例年行われているように、御輿が剣山頂上を目指して駆け上がっていったのである。
 この7月17日にぼ、剣山山頂近く、正確には山頂から200メートル下った同じ高さの所から、数筋の滝が音を立てて流れていた。
 更に、おそらくは水抜き装置として作られていたのであろうか、既に自然石が崩壊した「行者の滝」と云われている洞窟の内部には音を立ててとうとうと水が流れていたのである。
 常識的に考えても、頂上近くから幾筋もの滝が溢れ続けるという事は起り得ない事である。その頃高松市では、既に1日19時間の断水指令が出されていた。
 この1点を見ても、剣山内部は人工的に作られ、しかもその中に大きな水溜のある事が分る。
●ノアの箱船漂着の日に由来する剣山の「7月17日」の祭り
 毎年、剣山山頂に向って神興が担上げられていくのが、7月17日であるが、この7月17日には特別な日である。それは『旧約聖書』によれば、ノアの箱船がアララテ(アララト)山腹に漂着し、新しい時代が始った時とされている。
 この話は『旧約聖書』中の「創世記」に書かれているものである。全世界は神に反逆し、罪に溢れた。そこで神はこの世界を滅ぼそうとした。しかし神は、神に従うノア及びその家族を救おうとし、箱船を作る事を命じた。その箱船は巨大なもので、今日でいえば50万トン級のタンカーに匹敵するものであった。しかもその内部は三階建になっていた。 箱船が出来た時、ノア及びその家族と動物1つがいずつが、その中に入ったという。全てが入り終った後、大雨が降続き大洪水が起きた。(基本的に、日本以外の神話は、大洪水神話が世界中に残っている!忍)
 「それから大洪水が40日間、地の上にあった。水かさが増していき、
 箱船を押上げたので、それは地から浮び上がった。水はみなぎり、地の
 上に大いに増し、箱船は水面を漂った」(「創世記」7章17節、18
 節)

 箱船は何日も水の上を漂い続けた。そしてやがて雨は止み、水は引出した。箱船が到着したのは、今日トルコとアルメニアとの国境にあるアララテ山腹であった。ノアはその後、新天地で人類の始りを体験する事になる。

 それ故7月17日とは、新しい時代の始りを指している。剣山山頂で神輿がかつぎ上げられる7月17日に行う(因みに、八坂神社が7月17日に山鉾巡業が行われているが、それは悪魔ダビデが、わざと京都で昔は、悪霊が人々に病気させて、多くの人が死んで、ノアの箱船の日に疫病が止む様にさせた。そして真のノアの箱船の儀式である剣山山頂での神輿が担上げる儀式を無にさせる目的で行われた。八坂神社が祀っているのは、牛頭大王であり、それはパール神信仰であり、悪魔ダビデを指している。陰陽道で、牛頭大王は、残虐な悪神である事を教えられている。これを著した宇野正美氏は八坂神社が秦氏が行われている事を気付いてユダヤ教と繋げたが、これはユダヤ教でなく、聖書で禁止されているパール神信仰である。同じ神主の秦氏が祀っている伏見稲荷神宮が、素盞鳴尊を正確に午(馬)頭大王として祀っているのでユダヤ教系列である!忍)。

 7月17日、剣山山頂に向って神輿は古代ユダヤとどのような関係があるのであろうか。
 世界広しと雖も、多くの人々が御神体を担いで練り歩くという習慣がどこにあるのだろうか。そればかりか日本の神輿は、今から3500年前、モーセが『出エジプト記』に書留めた形と大きさがほぼ一致し、飾付けも非常によく似ているのである。
 かって古代ユダヤ人達が日本に来ていたと云う事は、今日でも神輿が日本各地でかつぎ上げられ、古代ヘブライ語「エンヤラヤー」(我こそは神を誉め讃えまつらんの意味)」がかけられ、練り歩かれているのを見ても、証明する事が出来るのではないだろうか。


●”かつぎ””金で覆う”神輿の謎は「契約の箱」(アーク)に起因していた
 3500年前のモーセの言葉を『旧約聖書』から引用しよう。
 「幕屋の型と幕屋の全ての用具の型とを、私があなたに示すのと全く同
 じように作らなければならない。
  アカシヤ材の箱を作らなければならない。長さは2キュビト半、幅は
 1キュビト半、高さは1キュビト半」(「出エジプト記」25章9、10
 節)

 ここでいうアカシヤ材とは私達が並木等で見かけるアカシヤではない。砂漠アカシヤである。砂漠アカシヤは多くの棘を持っている。素手で掴む事は難しい。しかし一旦その皮を剥ぐならば、硬質の白い木材を得る事が出来る。
 1キュピトとは約44cmである。従って長さ110cm、幅及び高さが66cm。このアカシヤ材で作られた箱は、神輿とほぼ同じ大きさになる事が分る。

 「これに純金を被せる。それはその内側と外側に被せなければならない。
 その回りには金の飾り縁を作る」(同25章11節)

 そのアカシヤ材の箱は純金で覆われていた。
 今日、日本で担がれている神輿の全ては、内も外も金で覆われているではないか。それを保存し、担ぐ人々に、神輿はなぜ金で覆わなければならないのかと尋ねてもそれは分らない。しかしハッキリ云える事は3500年前の「出エジプト記」の通り、神輿は金で覆われていると云う事である。
 しかもアカシヤ材の周りには、金の飾りぶちが作られているのである。
 将に日本の神輿はその通りではないか。
 更に神輿は、必ず”担ぐ”という習慣がある。本来、神輿を車に乗せると云う事はない。必ず担がなければならないのである。従って神輿の下には、担ぐ為の棒が縦横に組まれている。
 アカシヤ材で作られた「契約の箱」も担がれた。
 それ故にその箱の基部には4つの環に棒を通すだけでは担ぐ事が出来ない為、縦横に棒を組んで多くの人が担ぐ事が出来るようにされた神輿であった。しかし今では使っていないにも関わらず、4つの環はそのまま取付けられているのである。
 この事は神輿は元々4つの環、及びそこに通した棒で担がれていた事を暗示している。将に「モーセ契約の箱(Ark)」そのものだったのである。

 「箱の為に4つの金の環を鋳造し、それをその4隅の基部に取付ける。
 一方の側に二つの環を、他の側に他の二つの環を取付ける。
 アカシヤ材で棒を作り、それを金で被せる。
 その棒は、箱を担ぐ為に、箱の両側にある環に通す」(同上25章12
 〜14節)

 神輿は夏祭、秋祭に引出されて、担がれる。普通は神社の倉庫にしまい込まれているが、だからと云って神輿に差込まれた棒が抜かれているわけではない。殆どの場合、差込んだままの状態で保存されている。
 それと全く同じ様に「モーセ契約の箱」も、棒は箱の環に差込んだままにしておかなければならなかったのである。

 「棒は箱の環に差込んだままにしなければならない。抜いてはなら
 ない。
 私が与えるさとしをその箱に納める。
 また純金の『購いのふた』を作る。長さは2キュビト半、幅1キュビト
 半」(同上25章15〜17節)

 そしてその「契約の箱」の中には、神自身が「私が与える聡」といった10戒が書かれた契約の石板が2枚入れられ、マナという食べ物が入った壺と、モーセの兄のアロンの杖が入れられていたのである。
 更に「契約の箱」の上には、箱の上と同じ面積の純金の「購いのふた」というものが置かれていた。その購いのふたの両側に二つの金のケルビムが、打ち物づくりで置かれていたのである。


●神輿の鳳凰はケルビム(天使)の変身したもの
 上述したように、日本人の思想にはケルビム即ち天使という思想はない(日本は、直接天帝(エホバ)が直接、治めている国家なのである。天帝が居ない時は、お釈迦様が変りに日本を見ているのである。それを忘れては成らない。日本では、天使はずっと狐に化けて社会全体を見回した可能性が残っているのです。当然その報告が、天帝の所に情報が流れている可能性があるのです。これからは、狐ではなく、猫、猪、熊、カラスに化ける可能性があるのです。今現在は、千乃裕子先生の所にいますから。今、日本人は、テスラ波を用いて生物絶滅の政策を採っていると強い神の批判が載っている雑誌「LR」を読めば、今の言葉は理解出来ると思います!忍)。
 だが本来の「契約の箱」にはケルビム、今日の日本で担がれる神輿の上には、先にも述べた通り鳳凰が乗せられているのではないか。
 鳳凰は古来、中国では麒麟、亀、龍と共に四瑞として貴ばれ、嘴は鶏、顎は燕、背中が亀、尾は魚、首は蛇、前部が麒麟で後部は鹿に似ている、将に想像上の鳥である。しかも最も貴い鳥とされた(聖徳太子の時代に、日本ではヘブライ色を消して、新しい「日本国」を作ったのである。その時に中国での言葉で貴重されている「鳳凰」が使ったと考えられる!忍)。
 宇野説
 「ある時、ある人が「契約の箱」を見たのではないか。そして只大きく
 翼を広げた二つの天使を見た。しかしそれをどの様に表現したらよいか
 分らず、後世に伝える場合、翼を広げた鳳凰とした。」

 **********************************

 東祖谷村、西祖谷村は「平家落人部落」といわれる。
 そこには平家の旗なるものが伝わっている。世にいう平家の赤旗である。その平家の赤旗には、二羽のアゲハチョウが向い合い、かつ大きく羽根を広げている姿を描かれている(平家というと「平治の乱」を思い出すけれど、あの当時で本当の問題の戦争は、神との関わりの戦争は「保元の乱」であるのです。其の結果、崇徳上皇の恨みが日本に蔓延されたのです。神は源為朝を通して沖縄に琉球王国を作り、実質的にここから南北朝問題が発生したのです。「保元の乱」の時は、平家も源氏も分裂して戦った戦争なのです。でなぜこれを書いたのかというと東祖谷村、西祖谷村の平家は、桓武天皇の子孫が直接に伝えているのではないかと調べる必要があるのです。それは、平家の没落と無関係であるのではないかと考えているのです。桓武天皇と云えば、空海と深く関係があるのです!忍)。 はるかなる昔、「契約の箱」の二つのケルビムを見た人々は、そのままを表現する事が出来なかった。ある人は鳳凰として、ある人は二羽の羽根を広げたアゲハチョウとして伝えたのではないだろうか(自分は黙示として表現したのではないかと考えている!忍)。

 「槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。
  一つのケルプは一方の端に、他のケルプは他方の端に作る。ケルビム
 を『贖いのふた』を覆うようにする。互いに向い合って、ケルビムの頭
 が『贖いのふた』に向うようにしなければならない」(同25章18節
 〜20節)

 今から3500年前、古代ユダヤ人はエジプトを出て、砂漠の旅を続けていた。そしてシナイ山で宇宙の法則を預る天帝(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がいう唯一絶対の神を指している!忍)が、神と古代ユダヤ人との契約の印として、「契約の箱」を作るようにと命じたという。
 神はモーセにその原型を示した。モーセがその通りに作ったものが「モーセ契約の箱」と云われるものである。
 これに比べるものは他にはない。その原型となるものを、世界中何処においても見出す事は出来ないのである。しかし只日本においてのみ、昔から日本人が崇めてきた神輿にそれを見出す事が出来るのである。
 日本人が独自で神輿を考え出したのではなく、日本に伝えられた「モーセ契約の箱」(アーク)を模倣して作り、それが日本に広がっていったのであろう。
 古代ユダヤ人はその「契約の箱」を大切にした。モーセの命令通り、それを肩に担ぎ、力の限り神を誉め讃えつつ練り歩いたのであった。
 21世紀を迎えようとする今日、日本各地でそれと同じ様に光景を見る事が出来るのである。

 

●山の尾根を走る古代の幹線道が「死国」の不思議を明かす
 日本全体を見渡しても四国は非常に不思議な所である。それはあたかも忘れられた地とされているかのようである。
 ある人はそれを指して「四国は死国にされた」といった程である。
 しかし四国は死国にされたが故に、人目に触れられる事もなく「契約の箱」は剣山山中に、しかも人工的につくられた水留めの上で守られ続けた事になるのではないだろうか。『東祖谷山村誌』は剣山について次のように述べている。
 「剣山への素朴な信仰は、修験道の霊山(大日如来)と崇められ
 るずっと以前からのものだったと考えられる。つまり修験道の行
 場としての剣山の性格性、即ち厳しい自然を持つ登山困難な山と
 いう意味だが、それだけの理由で修験道がこの山を求めたとは考
 えにくい(修験道の修業は、神から霊能力を頂ける為に、そして
 仏法でいうと金剛力を頂けるための修行として実行しているので
 す。これはブッダ様が行者の寓として批判されているが、当時空
 海様が此の近くに霊界の結界を張ったので、それと霊現象を起し
 たのではなかろうか。今、霊現象を科学的に明かすのが、千乃裕
 子先生が出す『超物理現象を物理学解明』に証されるのです)。
 剣山の側で、既にある種の信仰を集め得たからこそ、修験道をも
 招く事が出来たと考える方がよいと思われる」

 剣山は修験道の霊山になる前から、非常に崇められていた山だったのである。
 四国は殆どが山である。しかも高い山々が連なっている。平野は少なく、盆地は殆どないといっても良いだろう。
 JR土讃線に乗って高知を出発して、間もなく列車は山間に入る。それもV字型の谷底をはうように走り続けていく。
 筆者も、今から20数年前、その土讃線に乗ったとき、車窓から見上げるようにしてV字型の切立った山肌を見上げた事があった。そこには家がへばりつく様に建てられているではないか。
 どうして人々はそのような場所に家を建てるのか、どの様にしてそこに行くのか、生活はどうしているのか、水はどの様にして得ているのか等と思い巡らしたものである。
 四国以外の人々は筆者と同じように、東祖谷村、西祖谷村の山肌に立つ家々を見てその様に考えるものである。
 ここで大切な事は四国を思う時、四国以外の人々はその考え方を逆転させなければならないという事である。
 即ち四国の人々は、遥か昔から山の尾根を古代の幹線道路が走っていたのである。
 当時、人々は山の尾根づたいに移動していた。山の尾根を古代の幹線道路が走っていたのである。
 東祖谷村、西祖谷村では、今は谷にそって道路が走っている。しかしその道路は大正年間に開通したに過ぎないのである。
 人々は尾根づたいに移動し、尾根にそって家を建て、焼畑等をして何不自由なく生活していたのである。
 例えば徳島県山城町の塩塚高原にはカヤ等の雑草が生茂っているだけで、木は一本も生えていない。展望台から塩塚峠(標高1043m)までの約1Kmに亘る道は、尾根づたいの道である。このような道が四国の山の頂上近くの至る所にある。これが古代の幹線道路だったのである。


●パレスチナの地形と酷似する四国山上の地形
 四国郷土史家である大杉博氏は次の様に書いている。
 「四国の山々は往古から明治の頃まで山焼き風習が続いていて、大体
 中原から上には木がなかったのである。そして山上に飲料水用の大き
 な溜池を無数に造り、人々は山上に住んでいた。四国の山上からは既
 に多数の遺跡や遺物が見つかっている。現在も山上に村落が多いのは、
 その余波なのである」(『四国は死国にされていた』倭国研究所刊)

 確かに四国山上には多くの池がある。それも一目で人工の池であると分るのである。
 日本文芸社 宇野正美著『古代ユダヤは日本で復活する』P46に掲げた写真は、剣山に至る見越峠近くにある夫婦池である。標高1000m以上の所になぜこの様な池を造る必要があったのか。とても水田の為に造ったとは思えない。現にこの様な山の上に池を造った所で、どのようにして水田に引く事が出来るだろうか。
 これは生活用水であると共に、身を清める為のものであったと思われる。
 大杉博氏によると四国山上には周囲が1Kmもある巨大な池跡から、小は30平方m程の池跡まで無数の池が存在するという。
 大杉氏は調べ尽した。そするとそのような池及び池の跡は四国山上に約200カ所程もあるという。そしてこれらの池は例外なく、山頂や尾根の頂上部、更には段丘の上等に存在している場合が多いのである。
 どの道も、造られたという言伝えを残してはいないが、弥生式土器が発掘されている事から、弥生時代以前に造られたものであると分る。
 四国では幹線道路を確保する為に山の上には木を植える事なく、山焼きの習慣をほぼ近年に至るまで保っていた。剣山もしかり、次郎笈もしかりである。
 今日でも祖谷地方の農村では焼畑でソバを栽培している。そのソバから作った純ソバ粉、干ソバ、生ソバ等、将に素朴な味で大好評である。
 そのような日、筆者(宇野正美氏)がスタッフと共に剣山山頂に上がった時、そのスタッフは思わず次のように言った。

 「これはパレスチナの地形と非常によく似ている」

 将にその通り、古代ユダヤ人達の古里パレスチナと四国山上は地形が非常によく似ているのである。
 今、問題となっているイスラエルのエルサレムは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地である。このエルサレムはどのような町であるのだろうか。
 エルサレムは800mの山上にある。パレスチナでは人々は皆山の上に住んでいる。
 約2000年前、イエス・キリストは次のように言った。

 「あなた方は、世界の光です。山の上にある町は隠れる事が出来ません。
 ・・・この様にあなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い
 行いを見て、天におられるあなた方の父を崇めるようにしなさい」(「マ
 タイ伝」5章14、15節)

 この後、宇野氏は「イヤサカ」について述べていますが、いけにえの儀式は悪魔ダビデ、大サタンが起させた儀式なので、この悪しき風習は無くすのが、賢明であるのです。ユダヤ人の象徴である割礼も同じです。
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2016年03月18日

約束の地カナン(河南)の大阪と栄光なる伊勢(イスラエル)天下泰平さま

       

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日本列島は世界大陸を寄せ集めた雛形(ミニチュア)である日本雛形論。



その説はいくつものタイプがあり、その中では「イスラエル=大阪」という雛形論もあります。



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確かにイスラエルがある地中海の地形と大阪湾の地形もなんとなく似ている部分もあり、地中海に浮かぶキプロス島の形もまた淡路島に似通っているようにも見えます。



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現在のイスラエルと大阪府の形もまた似ており、そしてパレスチナ地方の古代の名称「カナン」と同じ響きの「河南町(かなんちょう)」が大阪にはあります。



ちなみに日ユ同祖論を伝えている船井幸雄さん、飛鳥昭雄さんの2人は、この河南にある大阪府立河南高等学校の出身となります。



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また「カナン」については、大阪と同じ漢字で書く「河南省」というのが中国にはありますが、ここは“開封のユダヤ人”と呼ばれた数百年にも渡って存在したユダヤ人コミュニティがあった場所であり、河南省の地図もまた、大阪の河南町を逆さにすると非常に似通っており、古代ユダヤの音と地名に残された不思議なシンクロは世界中に多数あります。



そんなユダヤとの縁が深い大阪の地において、木内鶴彦さんの活動母体であるセカンドステージ企画の講演会が来月に開催されます。



【2016年4月9日】大阪 坂上玲子×滝沢泰平 講演会 

日本の地図上の場所が世界のどこにあたるのか。連動する二つの地域…。大阪が世界のどこにあたるのかを踏まえ、サムハラの第二の拠点となった場所での講演会です。



●日時:2016年4月9日(土)14:00〜16:00(13:30〜開場・受付)



※講演会の終了が少しオーバーする可能性があります。



●場所:マイドームおおさか 8階 第3会議室 (大阪市中央区本町橋2番5号)



●参加費:6,000円(全席自由席) ※事前お申込み・お振込み必要



・懇親会はございません。




▶︎ お申し込みはこちら





岡山に奥の院のあるサムハラ神社がある大阪の地において、木内さんが臨死体験で持ち帰ってきた生命の源の音「サムハラ・マザーソニック」の公開となります。



毎回話の内容が濃くなっており、初めてご参加される方は戸惑ってしまう部分もあるかもしれませんが、なるべく初参加の方もご理解頂けるようにお伝えしますので、どうぞお気軽にご参加くださいませ。



また、翌日には同じくイスラエルと縁が深い「伊勢」でも同団体の主催の講演会があります。



なお、木内さんは療養中のためどちらの講演会も登壇しないのでご注意くださいませ。



【2016年4月10日】三重県伊勢市 坂上玲子×滝沢泰平 講演会

「天に二つの太陽」について―



●日時:2016年4月10日(日)14:00〜16:00(13:30〜開場・受付)



※講演会の終了が少しオーバーする可能性があります。



●場所:伊勢市観光文化会館 大会議室4 (三重県伊勢市岩渕1丁目13−15)



●参加費:6,000円(全席自由席) ※事前お申込み・お振込み必要



・懇親会はございません。




▶︎ お申し込みはこちら





古代ヘブライ語で【イセラエル(イスラエル)】【栄光なる伊勢】という意味の言葉であるとか、とにかく古代ユダヤの失われた10支族とも縁が深い伊勢。



この伊勢の地には、1万5000年前の大洪水に登場した“ノア”の破片が隠されているという話もあり、旧約聖書のかなり古い時代の頃から伊勢とユダヤは縁が深い場所でもあるようです。



大阪と伊勢、やはりどちらもユダヤと繋がりの深いエリアであり、日ユ統合に向けてのクライマックスが近い2016年は、このテーマはどの講演会でもシンクロしてきそうです。



ちなみに約2週間後の4月25日(月)には、伊勢市内において鳴海周平さんと長典男さん達とのコラボ講演会も開催する予定です(近日予約開始)。



2016年5月26日〜27日には「伊勢志摩サミット」が開催されるのも意味があってのことであり、この伊勢の地が今年は大きく開かれることになると思います。



「天に二つの太陽」とは一体どういったものなのか。詳しいことは講演会にてお伝えしますので、是非ご参加くださいませ。  

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2016年03月12日