2019年04月15日

人類の大救世主大塚寛一先生の大日本精神宣言です!

          「大日本精神」

(建白書)


第一号(昭和十四年九月十一日発行)


大日本精神 宣言


真の大日本精神は即ち世界精神であり、世界構成の根本原理であって、かつ

全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故

(ゆえ)に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。

 その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)

之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せ

られたる大使命にして、これを世界に広むるには先(ま)づ日本の一切制度機構

を真の大日本精神に復帰せしむべきである。

 而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て人類社会の大混乱の解除救済

に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲  諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を   伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す。

                              大塚 寛一

                        (昭一四、九、一一、於橿原)  






 





欧亜の情勢

 欧洲の物質文化は正に崩壊せんとし世界の大動揺大混乱は人類未曾有(みぞう)の一大爆発を生ぜ

しむる前兆として、其の端(たん)は遂(つい)に昭和十一年スペインに勃発し欧洲は二派にわかれ

て大戦乱に陥らんとせし時、ヒットラーは英露の弱点を衝(つ)かんとして日本に接近し日独防共協

定を成立せしめたる為(ため)、英露をしてその戦乱より退ぞくの已(や)むなきに至らしめ自己の慾

望を全うせり。

 茲(ここ)に於(おい)て其の反動は英露をして支那を使嗾(しそう)せしめアジアを混乱に陥ら

しめたり。若(も)し其際(そのさい)英露に不安無からしめたれば欧洲はその時既に大乱に陥り、

反(かえ)って日支は一兵を衂(ちぬ)らず莫(ばく)大の戦費を消耗せず、平和裡(り)に協和の

実を挙(あ)げ得られたるならん。

 彼は又(また)天津事変を楔機とし日英国交険悪なるに乗じ、且(かつ)露満国境の風雲急なるに

附(つ)け入り右に剣と左に利得を以って露に接し、自己の利益以外国際信義なき彼は防共協定を無

視し、独ソ提携によって英を無血屈伏せしめんとせしが、英は日独の間隙(かんげき)に乗じ宣戦布

告せり。

 今又ヒットラーは日本を利用し東亜に於ける英を圧迫せしめ、英の独に屈伏の已(や)むなきに至

らしめんとしつつある。万一、英独和議成立の上は再び露英を策動してアジアに襲来せしむること明

らかなり。独は自己の利害以外、如何なるものも犠牲にして顧みざる利己主義の権化なり。

 昨日の敵は明日の敵に非(あら)ず今日の味方必ずしも永遠の味方に非ず敵味方は道の順逆の上に

のみ存す。

 道に闇(くら)くして敵味方に固執(こしつ)することは、悔を千載(せんざい)に残す恐れあり

危うし危うし。

 良将は山川草木を利して愚将を討つ。世界を敵とする者は自国も亦(また)統一し難し。これ即ち

道に闇(くら)くして一切のものを善用し得ざるが故なり。








指導者に対する希望

現今は政府の云わるる如く実に国家重大時局に逢着(ほうちゃく)し、国民は如何なる命令にも億

兆一心に総親和総努力して、一言の不服なき国民の盛衰存亡は一に指導者の双肩にある。

 この責任の重大なる、死を賭(と)して戦う将士より重きことその比に非ず。故に重責を自覚して

慎重(しんちょう)審議努力あり度(た)きものである。

 又これを推選する方も朝(あした)にきめ夕(ゆうべ)に替えるが如きことなく当初に充分審査し 

て最高人物と目ざさるる方を選定し、その欠点は国民総努力を以って之を補佐(ほさ)すべきではあ

るまいか。

 素質如何なる達人と雖(いえど)も朝に定め夕に替えられては充分の活動を為(な)し得られざる

は当然である。達人は永き努力の結晶によってのみ得られる。一旦(いったん)万人の最高人物と認

めたる者が度々(たびたび)替わることは国家の不経済是(これ)より大なるはなし。

 優秀、世界に誇る日本丸を作り乍(なが)ら航海不慣(な)れのため羅針盤(らしんばん)を誤り

時として難破顚覆(てんぷく)により国民の総親和総努力も水泡に帰するの恐れなしと云い難し。

 船内装飾整頓に如何程(いかほど)技巧を凝(こ)らすとも、完全なる羅針盤なくては無事彼岸に

達し難し。

 特に今日の世界情勢は出(い)でて益々風浪(ふうろう)激しく暗礁多き航海に際し羅針盤たる指

導者の撰択(せんたく)に優る重大事なし。然(しか)し我が国は幸にして一年半年にして入れ替わ

りしても推選するに足る人物あり、又受任する自信ある士の多きことは世界にその比を見ず、その点

は実に心丈夫な次第であるが、この上(うえ)一層連続錬磨して尽忠(じんちゅう)の功を建てても

らい度(た)い。

 また欧洲には独裁政治による新興国あるも我国とは全く国状を異(こと)にする故、聡明(そうめ

い)神の如き

明治天皇陛下に於かせられて尚(なお)万機公論に決せられそれを後世に命ぜられたのである。故に

常人がこれに反し独裁的行動に出(い)ずる事は御遺訓(ごいくん)に対し奉り実に懼(おそ)れ多

いことである。

 達人ならざる者の独裁政治は真の独裁政治にして破壊政治である。然し達人の独裁政治は、独裁政

治に似て超議会政治であることを知らねばならぬ。




若(も)し自国の真相を観破せずして他国の制度を模倣する時は恰(あたか)も病源を知らずして

投薬するが如く、害あって益少なし。

 名医が脹満(ちょうまん)の大患を切開手術にて快癒(かいゆ)せしむるを見て素人は名医を模倣

して姙婦を割(さ)くの恐れなしとせず。達人は座して万里の外(そと)に勝敗を決し、百年の計を

樹(た)つること己が掌中(しょうちゅう)を指すが如くそれにして尚(なお)己が視界内の善事は

農夫の一言と雖(いえど)も洩(もら)さず採用善処するものである。故に是れ以上の議会政治はあ

り得ないのであるが、一見我意を通せるが如く見ゆる所に常人の独裁政治と同一視せられるのである。

 然(しか)るに常人の独裁政治は他を顧みずして独断的行為に陥るものである。そこに収拾し得ざ

る国難を招来(しょうらい)し滅亡したることは史上に前例多し。恐るべきは達人に非ざる者の独裁

政治である。



統制に就(つい)て

 統制は不合理を合理化すべく統制することを忘れてはならぬ。統制なき自由は自由に似て自由に非

ず放縦(ほうじゅう)に陥り破壊滅亡の因(いん)となる。

 また合理化されざる統制は、一切の自由を束縛し死池に投ぜらるるが如し。真の統制は各独自の機

能を充分発揮すべき所にのみ統制の価値あり。

 現代世界の欠陥は物を主として人を従とする所にある。

 物の統制は、人を充分活動し得(う)べく統制すべきではあるまいか。

 一億の脳裏には支那大陸の埋蔵物に勝(まさ)る宝庫なしと云い難し。

 倒れかけたる会社も社長一人の入れ替(かえ)で持直(もちなお)し、国家も一人の達人で隆盛と

なる。

 十七歳の孫権は寡兵(かへい)を以って百万の曹操を破る。富豪の家庭にも悲劇あり貧農の家庭に

も平和あり、故に統制は人を主にせねばならぬ。







教育に就て

 教育は各自の天分を充分発揮すべき所に眼目を置くべきではあるまいか。世界の歴史進歩は全部天

分を充分発揮したる達人の力によるものである故、盆栽的教育により素質、神代杉の芽生(めばえ)

を盆栽化せしめる事は、人類にとってこれ以上の損失はなし。

 一人の英雄を生ぜしめる時、万人の豪傑を生む。国家も一人の達人の得失により存亡を生ぜしむる

ことあり。

 教育は物質文化より出(いで)たる欧米教育の模倣にては完全なる教育は得難し。大日本精神によ

る物心調和の教育によってのみ、その目的を完全に達成せしめ得るものである。



支那問題

 一切万有は生盛衰亡の理を免(まぬが)れ難し。年に四季あり。場所にも盛衰の理を免(まぬが)

れず。

 亜細亜(アジア)の精神文化は漸時(ぜんじ)西方に移動し西方の物質文化を生ぜしめ、今欧洲文

化は爛熟(らんじゅく)崩壊に瀕(ひん)せんとし、米大陸を経て再び亜細亜に移りつつある。

 世の常として文化の爛熟国は常に半開国に滅(ほろぼ)さるを恒(つね)とする。ここ数年間にし

て日本の経済的躍進は全世界の関税障壁(しょうへき)を突破して至る所勝戦を収めつつあり。この

原因の一つとしては生活程度の差によること尠(すくな)からず、更(さら)に支那を見る時その生

活程度は日本の欧米に対するより大なる開きあり。

 又世界に類を見ざる偉大なる国民性の底流するもの有り。若(も)し支那の真相を観破せずして皮

相観により対処する時は再び張作霖(ちょうさくりん)、冀東(きとう)政府、或(あるい)は蔣介石

に対する失態も遠く及ばざる重大事を生ぜしむる恐れあり。

 経済的方面より視(み)るも支那は自然の物資豊富にして生活程度低く、而(しか)も人口多く忍

耐勤勉にして訓練する時は技能の上にも日本人と敢(あえ)て異なることなくまた国家不統一のため

個人主義の如く見ゆるも本性は純朴にして団結力強く経済的才能に至っては一般日本人の及ぶ所にあ

らず。

 故に其の国民性を充分考慮して摩擦なく、共存共栄せしむることは一に指導者の処置に俟(ま)つ

より他(ほか)なし。その計は今日に於いて樹(た)てざれば再び時機を得ること難し。

 


結び

 亜細亜(アジア)に発生したる精神文化は孰(いず)れも綜合統一的に非ざる

はなく、之に反して西洋文化は分析的科学文化にして今日の原則を以(もっ)て

明日を計り難し。ために永遠に帰一す可(べ)き統一点なき文化により構成せら

れたる社会は、既(すで)に其の中に分解作用の因を蔵(ぞう)す、大は国家間

の摩擦より小は個人間に至るまで何処(どこ)を見るも矛盾ならざるなく、自己

を立つれば他を害し、他を立つれば自己亦(また)立つ能(あた)わず今日の優

勝者は明日の敗残者となる。これ皆(みな)科学文化の当然帰結す可き所である。

 然るに東洋文化は、仏典に易経(えききょう)に其の他孰(いず)れの文化も

大自然の不変の法則によらざるもの無し。

 西洋文化は分解的にして東洋文化は綜合統一的である。分解は破壊滅亡の因と

なり、綜合統一は大同和の原動力なるが故に世界の混乱は亜細亜(アジア)文化

によってのみ救済し得らるるも、西洋文化の進歩は其の程度に応じて益々混乱を

深からしむるのみである。故に東洋文化の母体たる大日本精神に帰一せざるべか

らず。

 

                  大阪市西区西長堀北通三丁目一一

                        霊    源    閣

                               電話新町二九九一番










「大日本精神」

(建白書)


第三号(昭和十四年十二月二十三日発行)


皇紀二千六百年

 世界の大転換と人類の危機興亡の岐路に立つ

 憂国の志士出(い)でて国家の羅針盤たれ

                     (昭和一四、一二、二三)


緒言

 全人類は各層に亘(わた)って一大転換期に直面し、既(すで)に動揺の端は東西に起こり、其の

余震は全地上を覆(おお)い何時果つ可(べ)くも予想し難き状勢にある。今日、特に重大使命を課

せられたる我が日本国民は、此の光輝ある二千六百年祭を楔機とし、敢然(かんぜん)立上がり、我

が神国日本の大任を果たさざる可からず。

 想い見よ、我が有色アジア民族は世界最古の文化を有し、而も大聖者はアジア人に非(あら)ざる

は無し。又最高形而上(けいじじょう)学的文化の大部分はアジア人の手より創造され、又今より僅

(わず)か七百年の昔、彼(か)の茫漠(ぼうばく)たる蒙古の原野に、呱々(ここ)の声を揚(あ)

げし成吉思汗(ジンギスカン)は、今日の如く何等文明の利器を用いず、只(ただ)空手単身、寒風

砂塵(さじん)渦巻く荒涼の野に、豪然(ごうぜん)と立上がり気魄(きはく)三界を覆い、意気天

地を貫き、一端呼号すれば、雲を呼び山川を震動せしめん勢にて、遂(つい)に欧亜を席捲(せっけ

ん)せしめ、今尚(なお)、王族の中に彼の生血の支流は脈打ちつつあるのである。此等(これら)

を見ても如何に欧米人より勝(すぐ)れたるかは明瞭である。

 然(しか)し乍(なが)ら盛衰は天の大法、如何(いかん)とも致し難く、ここ三百余年間の物質

文化時代は白人の専横(せんおう)する所となり、彼の海賊的野獣性を発揮し、全アジアに到らざる

処なく毒牙を振い、再起し能わざる迄に残忍(ざんにん)酷使され、今尚益々圧迫し来たりつつ有る

も只我国のみ皇国の威徳(いとく)により、直接の暴圧(ぼうあつ)は免(まぬ)がれたりと雖も、

経済に、思想に、外交に、全面的に亘(わた)り挑戦し来たりつつあるを思う時、自国は勿論(もち

ろん)、有色アジア人の盛衰存亡は一に我国策の如何による処にして、而も其の決定的時刻は目前に


 

迫れり。この重且(か)つ大なる使命は、未だ人類の上に課せられたることなき大業の前に立ち乍(な

が)ら、児戯(じぎ)に等しき小細工にては絶対に成就(じょうじゅ)し難し、鯨には鯨の刀を要し、

又大アジア建設には大アジア建設の大計を用いざるべからず。

 然し今回の大業はアジアの再建に非ず、過去数世紀に亘り発展したりし所の物質文化に、精神文化

の伴(ともな)わざりし欠陥のため、全世界人類が将(まさ)に崩壊の苦境に没入せんとする此際

(このさい)、アジア人の手、吾等(われら)の手にて、人類の矛盾を除去し、悪に対し善を以って

報復せねばならぬ時が来たのである。起て憂国の士、出でて国家の羅針盤たれ。優秀世界に誇る日本

丸も、羅針盤なき航海は危うし危うし。



神と三種の神器を科学的に立証す

 神とは宇宙構成の根本原理により、一切万有を生ぜしむる原動力の現われを人格化視する処を

神と謂(い)う。

万有を生ぜしむる神の法則

 大極(鏡)は時空を超越せるその儘(まま)の姿である。其のままの姿は即ち空にして、

在(あ)るが儘の空である。在るが儘の空とは、一切の物が運動を停止せし時である。

 また時は運動による変化の尺度に過ぎず 運動は同時に力(劔)を生ず

二対以上の力の交叉点に於(おい)て始めて物(玉)を生ず。

 力(劔)は放力と引力(両刄)とを同時に生じ、他の二大力と相交叉して他の引くものを放ち、

放つものを引く。ゆえに停止する事なく、無始無終運動を引起こして行くのである。

 斯(かく)の如く、如何なるものも、引力と放力無きものなし。

ゆえに一定の物質なく、一定の時なし。

換言すれば万有一切は、力の交叉点にして、交叉点の連続が存在となる。

 ゆえに力を去って物なく、時もなし。また変化なき所に、力も物もなし。

変化は二物以上にして生じ、一物なる時は即ち空である。

空中に有の出現により、空と有の交叉点は物を発生す。

 これ即ち神の万物を生ぜしむるところの法則にして、我国に於いては三種の神器により現わせる

一大鉄則である。



大日本精神と宗教の帰一

 宗教は煩悩(ぼんのう)の為、無明の暗(やみ)に迷える衆生(しゅじょう)を光明世界に出(い)

でしめんとして、真道に復帰せんが為、種々の方便を用いたるも、其時と場所と機根により、示す事

の限りなく異なりし故、今日にては其の本意を執(とら)え難く、方便に堕(だ)し、而(しか)も

其方便たるや多くは時代に相反し即応せざるにも拘(かかわ)らず、判断力を失える盲目的信仰は、

遂に身を亡(ほろ)ぼし、印度、ユダヤの如く国家をも亡ぼすに至れる前例多し。

 其の他地上到る所に於いて政治上侵略の手段とし又自らの慾望を充(みた)さんがための方便に用

いる者が続出し、民衆を信仰的に、麻酔せしめつゝある事は、何人も知れる処(ところ)である。

 斯(かく)の如く今日にては、宗教の本義を没却(ぼっきゃく)し、かえって迷信に陥らしむる用

具化せんとしている。

 然るに我が天照大神(あまてらすおおみかみ)は、万物の母にましまして其の御神徳は三世を照し、

余す所なき御光を放ち、一切衆生の生命を司(つか)さどらしめ給(たま)う大神にまします。

 而して、天照大神御鏡を天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に授けて祝(ほ)きて曰く「吾

が児(こ)此の宝鏡を視(み)まさんこと、まさに吾を視るがごとくすべし、与(とも)に床を同じ

くし殿を共にし以て斎鏡と為(な)すべし」と曰わせられし事は、人意により百千万劫説法するに勝

る一大御教訓にして其の御心を拝する時、如何に我肇国(ちょうこく)の由来の偉大なるかを知る事

が出来るのである。

 そこに人意的教訓により、汚(けが)す事を恐れ、今日迄言挙(ことあ)げせざるに至りし所以(ゆ

えん)がある。

 之を思う時、我が神道に勝る道を現わしたるものは、世の何処(いずこ)にも無し。何んとなれば

世の一切の宗教は人が神仏に向かって作り上げたるが故に、人が如何に願う共、片便(かただよ)り

にて、神意を測り難く、其の御利益の程も知り難し。

 然し我が神道は、始より神が人に対し答え給う所の御心である。

 故に如何なる者と雖(いえど)も、生死の別なく救い給える事を、八咫(やた)の御鏡により顕(あ

ら)わし給うのである。

 神は相対的のものに非(あら)ず、絶対愛なるが故(ゆえ)に、願うと願わざるに拘わらず、国の

東西世の古今を通じて救わざる所なき、公平平等の大神にまします事は明鏡に万物を写し受け、而も

止め、滞(とどこお)らしめざる如くである。



故に人は只、畏敬(いけい)感謝の念を以って御奉公申上げ、常に御神鏡の前に立ち、写る姿は、

神の御心にして、その悪は、己が心の穢(けがれ)にて、御鏡を汚がす事を恐れ、出づる時は自ら

罪穢を祓(はら)い、清め浄(きよ)めて逢(あ)い奉るこそ、神の子の勤めである。

 然し神は御神鏡の上にいますのみに非ず、常に吾れと倶(とも)に在りて、守らせ給う、心の鏡の

前に、姿を整えねばならぬ。

 此の救い救われ居る身の有難さを、気附かず、感謝の念も起こさず、唯願い、救われんことを祈る

ことは、かえって御心を汚がすのみならず、救われ居る身も、穢に陥入らしめる事になる。

 斯の如く我が神道は、昔より言挙(ことあ)げせざる最高道なるが故に、方便を用いず、時代を超

越し、今日も亦(また)、未来永遠に、全き道を示せるものである。

 世界情勢が現在の如く、混乱せる時こそ、真の指導精神が必要なるにも係(かか)わらず、時代に

即応せざる過去の遺物の如き方便を、振廻(ふりまわ)す事は何等益なく、益々(ますます)時代よ

り遠ざからしむるのである。

 此の非常時国民の、国家を全からしむるは、億兆一心に統一せざる可(べ)からざる時に、最高比

類なき建国の源泉たり国体の根幹たる神道を差置いて、亡国の遺物の如き、雑多なる方便に囚(とら)

われ、帰趨(きすう)することなき有様は、大いに自戒す可きである。

 真に帰納すべき真道は、我が神道を置いて、他に有ることなし。

 今日我が日本に於て、各宗の存在し得らるるも、我が神徳に依るの他なし。

 我が神道に帰依する事は、一身を修(おさ)め、一国を安泰ならしめ、そこに初めて神国たる神意

が現われるのである。斯の如く全人類の遵奉(じゅんぽう)す可き、最高の道であり、又万物を生成

発育せしめる所の軌道なのである。

 故に人のみ通る道に非ず、一切万有を帰納せしむ可き、神ながらの道である。神ながらの道の上に

躍動する所、即ち大日本精神であり、世界最高の理想にして帰結すべき所である。









将来帰趨すべき経済原理と統制に就(つい)て

 皇道経済とは万物を生ぜしむる処の、普遍(ふへん)の大道の上に生まれ出(い)ずる経済が、即

ち皇道経済である。

 言い換えれば其の原理が、人為的に組織立てられたるものに非ずして、天為に従うところに出来上

がる経済が皇道経済であり、そこには何等の矛盾を生ぜず、共存共栄となり、今日の如く、国の内外

を通じて至る所の摩擦が、解消出来るのである。

 その皇道は我国に於(おい)て最もよく行われ居るに拘わらず、其の皇道に依(よっ)て経済を合

理化することをせず、将(まさ)に崩壊滅亡に瀕せる西洋の謬(あやま)れる経済を模倣して、光輝

ある我が国をも混乱の禍中(かちゅう)に陥らしむることは、為政者の大いに反省すべく、国民の警

戒すべき重大事である。覇道(はどう)経済とは、五官により感受せる色相界を基本に組織立てられ

たる今日の経済がそれである。故に覇道経済は永遠に理想化すること難し。

 如何となれば、五官に感ずる一切のものは、真実ならざるが故である。その例を一、二挙げんには、

先(ま)づ色を見るに、其の色は物に在るに非ず、光に在るに非ず、目に在るに非ず、その三点の交

叉したるところに初めて色を生ず。

 故に暗夜に色なく、聾(つんぼ)に音なし。音は空気の波動なるも、耳に聴き取り得る以外の波動

は波動なるも音に非ず。その三点は常に、時と場所を変転して、マンヂの如く廻り一刻も固定するこ

となし。

 斯の如く一切万有は、変転して常住することなき唯物の上に、経済の基礎を置くことは、流水面に

楼閣(ろうかく)を画(えが)かんとするに異ならず。故に今日の建設は明日の破壊材料となる。

 その矛盾は、経済の破綻(はたん)となり、世界人類の動乱の原因となるのである。

 何事も局部的に見て、判断を下(くだ)すことは実に恐るべき危険が伴う故に、皮相観に囚(とら)

われず、真相を徹見して、最も易(やす)く、最も完全なる、大自然道、即ち皇道に復帰せしむるこ

とより他に、全き道なし。其の皇道に気付かざる者の為すことは、即ち人為である故に、如何に智慧

(ちえ)を絞(しぼ)り作り上げたる組織でも、その反面に必ず、影の如く不善が伴い、その不善を

除かんが為に、又新たなる法網(ほうもう)を設け、遂には水も洩(もら)さぬ法網は、目は密に、

糸細く、柄杓(ひしゃく)の如く、掬(すく)えども魚取れず、強いて用うれば網破れて用を為さず。

故に法網は糸太く目荒きがよし。昔より鯨の網にかかる例少く、一本の銛(もり)にてよく射止めら

る。国法も雑魚万疋(ひき)取らんとして、一頭の鯨を逃がすことは上策に非ず。故に国を始めんと



するには、法網よりも人を選び、人を以って治めねばならぬ。

 万一、人を得ざる時は、法密なる程、不徳漢のみ法を悪用し、善良なる国法遵守(じゅんしゅ)者

を屠(ほおむ)り、得意の悪辣(あくらつ)手段を以って国家の上層に現われ、世を毒し、国民の自

由を奪い、時としては国を売る逆賊行為を敢(あえ)て為す者が続出するに至る。現に欧洲諸国には

種々なる形となって現われつゝあり。然し之を対岸視することは出来ぬ。

 この儘(まま)進む時は自国にも亦(また)斯(かく)の如き不祥事(ふしょうじ)無しとは云い

難し。故に人は人を以(もっ)て治め、已(や)むを得ざる法は、人の自由を奪うための法ならしめ

ず、只(ただ)道に帰らしむべき法であらねばならぬ。

 現在、我国の経済界を見るに、今日まで資本主義経済により、明治初年より僅か七十余年間にして、

東洋の一小国が、世界最大強国の裡(うち)に伍するに至りし事は、未だ世に前例なき異常の発展で

ある。これは決して人為的努力のみに依(よ)るに非ず、天の時と地の利によること大なるも、特に

資本主義自由経済の偉大なる力によることは、何人も否定出来ぬ事実である。

 然し自由経済必ずしも、全面に亘って完全であるとは云えぬ。其の完全ならざるところに向かって

我が経済界は非常な力を以って進出が出来、斯の如く発展を為し得たのであるから、其の欠点は我国

にとっては必ずしも悲観材料にならぬのである。然るに其の一部分の欠点を除かんとして、根本的改

革を為すには深慮(しんりょ)を重ね、後(のち)着手せねばならぬ。

 目下のところ欧米諸国を見るに経済的技術に於いては我国の及ばざる国にして尚、新規なる良策を

見出(い)だし得ざるに先だち、我国は大した経済的失陥なくして一大改革に着手せし其の勇気は、

未だ世界に前例を見ざる所である。然しその勇気は真の勇気にあらず。

 何となれば達人は当然帰結すべき所に向かって前進するものであるから何等そこに違算を生ぜず、

当然為さざる可からざることを為すにとどまるのである。然るに落着く先を見極めぬのみか、方向も

立たずして出発する勇気は、勇気なるも匹夫の勇に陥るものである。現今西洋には露国を始め独伊の

如く、統制経済とか国家社会主義とか、色々変わった制度があるが孰(いず)れも経済的大患に陥り、

已むを得ざる非常手段である。薬や手術と云うものは、病人にのみ必要である。其の病人に用い快癒

するを見て、健康なる者に手術を施し、大患に陥らしめてはならぬ。

 一度大患に陥らしめて後、回復せしむべく施療(せりょう)することは非常に困難である。その困

難なる国家の大手術をなし得る者は、今日迄の自由経済をより良く改革し得られる筈(はず)である。

要は自由経済に非ず、統制経済に非ず、国家全体主義にも非ず、只(ただ)為政者の技倆と誠意に俟



(ま)つのみである。米屋をして損する者が、綿屋をして儲(もうか)るとは限らない。米屋をして

儲る者が綿屋をして儲るのが常識である。

 為にせんが為の改革ほど、国民にとって此の上の迷惑はなし。

 真に改革すべきは皇道経済あるのみにて、現在世界に行われつゝある経済原理は孰(いず)れも完

全なるものなく、その形式に趨(はし)り、制度を更(か)えることは、膝行(いざり)を追出して

盲者が這入(はい)り、又盲者を追出して唖(あ)者に代わるに過ぎぬ。

 其の実例は、前大戦に統制を徹底せし独逸は大敗し、今又苦境に陥りつゝある。又露国は野獣に等

しく、殺戮(さつりく)に殺戮を重ね、人道上許すべからざる猛悪振を発揮して居ることは万人の等

しく熟知せるところである。

 かゝる変則なる統制を模倣してはならぬ。

 斯(かく)の如く人為的に急造したるものは、外見よく見ゆるも、内面に生命なく、造花に等しく

して結実しないのである。

 今日迄の自由経済は不合理の如く見ゆるも、永年に亘(わた)り、必要に迫られ、自然に発達した

るがため、丁度(ちょうど)谷川に水放てる如く、寸分の隙間なく進展しつゝあるのである。一見不

合理の如く見ゆるところを、人為的に改革することは、水なき谷川に氷塊(ひょうかい)を移すが如

く、すらすらと進行は出来得ないのである。故に自然道即ち、皇道に復帰せしむべく、統制を加える

以外、小策を弄(ろう)してはならぬ。故に統制するには、自然に順応せしむること、自然に順応せ

しむることは、各自の機能を充分発揮せしめ、よりよき生活に入(はい)らしむることが最高の目的

であらねばならぬ。そこに真の自由があるのである。

 然るに社会形態をよくせんがため、人の真の自由を奪うことは、番犬を飼うに人肉を以ってするが

如きものである。又自然道を無視せるところの自由は、放縦となり綜合的見地よりすれば、自縄自縛

(じじょうじばく)に他ならぬ。

 前記の如く前独逸の敗因、今又露独の内患に陥らんとしつゝあるを思う時、我が統制も深慮熟考の

上最善の策を樹てられ度きものである。

 人と云うものは、特に我が国民は、天災地変にも乱れず、東京の震災の如く益々団結し、性善を発

揮し、そこに初めて神国たる神意が現われるのである。事小なりと雖(いえど)も人為的に禍(わざ

わい)を蒙らしめたる時は不平反感の爆発せずと云い難し。露の如く、内に強制圧迫しつつ外部に当

たることは、火薬を抱いて消火に向かうが如き結果となる恐れあり。



先(ま)づ統制するには、国民は国家の細胞であるから、五体たる国家を健全たらしむ可く、全身

公平、平等に血液を循環せしむると同時に、分相応の活動を為さしむ可(べ)く統制あり度きもので

ある。一国も一身の如く、血液循環不順にして均衡を失いたるとき、国家の恐る可き病源が生ずるこ

とになる。

 人は大変賢い様(よう)に見ゆるが案外役に立たぬ場合がある。如何となれば、自分で経験した範

囲と、肉眼で見える表面の皮の、半面の皮表しか見えぬ。その見えた心算(つもり)の皮表が、又至

って頼りないのである。此の世で、一番永く統御して来た我が五体の病さえ、皮一枚の中を知ること

が出来ぬ眼を以って、未だ世に曽(かつ)てなき、一大動揺期に遭遇(そうぐう)せる国家の大患を、

大手術せんとして過去の学問に頼ることは、ちょうど酒豪が酒の味を記載せる本を、自ら味いたる経

験なき者が見て、強制的に国民に強いるが如き結果となる。

 人は体質により一杯の酒で酔う者と、斗酒なお辞せざる者もあり、又好むと好まざる者もあり、又

良薬とも毒薬ともなる。其の時と、場所と、環境と、過去の関係で何(いず)れも国状が異なれるに

も拘わらず、自国の病源を観破せずして、他人に施したる大手術を見て、自ら鈍刀を以って切断手術

を為すことは、薄氷の上で小児を乱舞せしむるより危きこと百倍、病菌はその不手際なるところに指

して、旱(ひ)割れせし大地に水を投ずるが如く中まで浸入し、除去することが困難となる。

 現在の如く世界的非常時には、物価の高低は人智を以って予測し難き今日、人為的に価格を制定す

る時、急激なる世界的騰貴(とおき)を生ずれば、我が国内はそれに追随(ついずい)し得ざるため、

たちどころに、内地外商の手に依り、海外へ総(あら)ゆる物資は流出し去ることは明らかである。

 而して再び輸入せんとする時は、より高価なものを買わねばならぬ結果となる恐れあり。

 今日にして既に必需品各種が欠乏を来たしつゝあることは、其の影響によること尠(すくな)から

ず。

 輸出は、物を金銭に替えることを目的とすることは平時の策で、此の非常戦時状態にある時は、国

内により多く物資を充実すべく策を講(こう)ず可きである。それは対外のみに限らず、国内に於い

ても金銭を目標に統制するよりも、国内の全機能を発揮せしめ、より多く物資を産出せしむることが、

国富のもとである。

 今日にして各自は生活しつつある。この上の働きは、理論抜きの利益を生ずるのである。故に国家

は全国民を充分活動し得べく指揮すべきである。

 活動せしむるには、価格の統制も必要であるが、働くところに利益を生ぜしむることが、より必要



である。如何に生産を奨励(しょうれい)するとも、利潤(りじゅん)なきところに生産はない。

最近経済界は全面に亘って、不安情態が刻一刻と深刻化して来た。その原因は、勿論戦時のため非常

なる物資の消耗(しょうもう)と手不足による原因大なるも、他に物価統制が、重大原因をなして居

ることを見逃(みのが)すことは出来ぬ。

 自然に生ずる物価の高低は一見、不自然の如く見ゆるも徹見する時、その中に自然的に、統制され

たる合理的価格が生ずるのであることを知らねばならぬ。

 一体、物の価格なるものは、必要に応じて生ずるものである。故により必要なる物の不足する時、

その需給の程度に応じ、充(みた)し得るところまで自然騰貴(とおき)するに従い、其の利益のあ

るところに自然生産力を集中し、程度以上生産過剰する時、需要家の必要程度まで下落し、自動的に

調和し得られるのである。故に、より必要なる物の不足するところに、騰貴あるは当然である。

 故に自然に生ずる相場は、材料の多少、手間の過不足、場所の遠近、内外情勢等一切の均衡(きん

こう)を人為的以上に合理化し得られるのである。故に物価の騰貴は生産を増進し、消費を節約せし

むる結果ともなるのである。然るに人為的に、程度以上価格を抑圧(よくあつ)し又は買占め、売惜

(うりおし)み等をなすことは、一少部分に囚(とら)われし小策にして、大局を謬(あやま)るこ

と甚し。

 要は物の高低に非(あら)ず、よりよき物を、より多く、作り出すべく統制することが必要である。

 今の経済は、個人単位の組織故、より多く産出せしむることは、より多くの利益を得せしむる可き

である。

 一個人の破産することは、一国の損失である。一個人の富むことは、一国の富むことである。

 富める者は富まざる者より納税の負担力(ふたんりょく)が多いのである。如何に物価を抑制し得

ても、生産が萎縮(いしゅく)しては根本目的に反することになる。非常時なるが故に、人為的統制

に従えと云うことは、非常時なるが故に、水の川上に流れよと云うに異ならず。

 価格統制のため、外国との均衡を失い、尚輸出業者に対する特典を与(あた)える時は、純利を無

視し、特典にのみ迷い、国家の損失を顧(かえり)みず、投売的輸出者の続出す恐れあり。

 斯(かく)の如きは、対手国にとっては有利なるも、国民は刻々、氷の幽谷に沈まざるを得ない。

 戦争は必ず武器丈けでは勝てぬ。昔から腹が減っては戦(いくさ)にならぬ。

 戦争は手足だけが戦って、背中は何の働きもせぬのではない。

 国内の民は背中の様な役割をして居るのである。背中に大きな腫物(はれもの)が出来れば手足の



自由は利(き)かぬ。

 平和産業も無為徒食(としょく)せしむるより、働かせることが、国家の利益である。

平和産業を窮(きゅう)せしめる前に、活路を与えしむべきである。

 国家のために、国民を有利に導くのが、為政者(いせいしゃ)の役目である。

 また大なる者より、小なる者を善導する事が大切である。

 小なる者となって働く時の、大なる者の働きは最も強し。

 川上濁れば下亦(また)濁る。其の濁りたる者を罪すれば国亡ぶ。

 心善なりと雖(いえど)も不明は悪に勝(ま)さる禍を生ず。

 智有りと雖も心正しからざれば、道隠れ、禍(わざわい)衆に及ぶ。

 自ら正しからずして、人を正さんとする事は、消火に油を用うるが如し。

 奪う所に隠れ、与うる所に現わる。民の為に図(はか)る時、国富む。国を思い民を思わざる者は、

氷の中に火を求むるが如し。

 


















現代の実相と大日本の使命

 今や地下の準備なり、光明の世界に出(い)でんとしての鳴動は、世界非常時となり、全般に亘り

て一大動揺を来たしつつあり。

 此の一大動揺は、恰(あた)かも母体内の闇より、光明の世界に生まれ出でしめんとする悩みに他

(ほか)ならず。

 光明の世に出る時は、たちどころに一切の矛盾は解消され、現世その儘(まま)、大神の御懐(みふ

ところ)であることに気付くのである。

 現下の一般生活状態は、左に進むも、右に行くも不合理にして、已むを得ざる行動にして、真の自

由は悉(ことごと)く束縛され居るのである。それは胎内の子供が、成長するに従い、益々(ますま

す)不自由なるが如く、今の世の人類は、極度の束縛を受けて居るのである。然し神は至善にして、

世に悪を作り出すことなく、この不自由なる束縛と、世の総(あら)ゆる矛盾は、光明の世に生まれ

出(い)でしめんとするが為に他ならない。蓋(けだ)し気付く者少きは、宛然(さながら)、母体内

に居て母を知り得ざる如く、闇黒(あんこく)の如き現代に於いては、神意を認め難い。神はおろか、

真の自己を自覚することが出来ず、無明の闇(やみ)に迷いつつあるのが、現代の世界であり、此世

(このよ)乍(なが)ら、地獄化して居るのである。

 然し神は至善なるが故に、地獄と雖(いえど)も、真の悪は何処(いずこ)にも存在し無いのであ

る。

 只(ただ)人は迷えるために、一切のものの順逆を誤って悪化せるに過ぎないのである。

 然し一旦(いったん)霊光が輝き、心眼を見開けば、立処(たちどころ)に、世の矛盾は解消し、

地獄は転じて極楽となるのである。

 それは母の胎内より出(い)でて抱き上げられる時、自由と光明とが得られる如く、また胎児が生

まれ出でて母を知る如く、真に目醒(めざ)めたる時、世の大神を知り、真の自覚が出来るのである。

その母の如く暗黒の世界より、光明の世界に抱き上げるのが、天国の父であり、弥勒菩薩(みろくぼ

さつ)であり、世界の大親である。

 この大親は世界何処(いずこ)にも無し。只(ただ)大日本の肇国(ちょうこく)の精神にして、

我国にのみ課せられたる大使命である。

 




人為(な)さずんば吾れ立たん

 

意気以って来たり会せよ

 

皇国の青年


(青年は歳にあらず 心にあり)








「大日本精神」

(建白書)


昭和十五年七月六日 東京日日新聞に掲載



大日本精神


法は人の作る可きものに非(あら)ず、人が道を現わすを真の法と言ふ

法は人の正しき自由を発揮せしむべきであり、そこに国家最高の発展がある。ただし、人は放縦と束縛に陥る欠点あり。故に統制の要あり

法は簡単にして厳なれ。複雑にして厳なれば民萎縮して国衰微す

法複雑にして厳ならざれば、法の威信地に堕ち、悪人跋扈(ばっこ)して    

善人隠る



世界の大転換に処する国民の覚悟

 古今未曽有の大転換期に直面したとは云へ、この難局を打破すべき国家の為政者が、無益なる形式に走り、一刻を争ふ貴重なる時間を空費することは実に憂ふべき限りである。

 我れ等は、解党も結党も何等関知する処にあらず、一人一党、自己の信ずるところを披瀝(ひれき)して、冷静なる判断の許(もと)に総合的、最善の策を樹てられんことを望む。その中に傑出せる大思想の許にでき上がる超党的大団結こそ国民挙げて希望するところである。しかし、

党利や利己的であってはならぬ。然るに明年度の選挙の不都合上、時局に名を借り大団結を叫び、又、自党の分裂につぐ動揺と摩擦を逃れんため、純正なる新党樹立の許に参加を企てる如きは再び動揺拡大と為政者と国民の離反する恐れあるを憂ふ。

 国民よ、腐敗せし古酒を、新器に盛って代用酒などとすすむとも飲むなかれ、新規の器より名の有無にかかはらず上酒を撰べ、改心せぬ悪人が改名し来るより改名せずとも改心を望むものである。その上にて、国政に当たる時は明治時代のごとく政党を超越し、日清日露両役のごとく、挙国一致ができるのである。独伊の一国一党は一個の種が大地に芽生へ次第に成長し大樹のごと


く一国一党まで進展したのである。今日国内で企図せる薪束(まきたば)のごとき各党の寄せ集

め的一貫したる生命無き一国一党では断じてなし。生命なき集団は、一貫した活動力なく、尚更、

現状を看破し即応すること難し。ゆゑに止(や)むなく他の皮相的今日を見て、明日のために模倣するも、変化激しき今日と、明日は、千万里の開きあり、古言に曰く、先んずれば人を制す、

先んぜざれば人に乗ぜらる、何ぞ模倣して先んずることを得んや、いわんや本物と模倣せしその物自体に、大なる相違あるに於ておや。

 吾れ等の渇望する処は、愛国の情熱に燃え、その中より生れ出づる大磁石力の出現である。万物皆、陰陽二物を蔵するも、常に調和して、無きが如し、しかれども一度び、大磁石力の出現せんか忽(たちま)ち国民全般に渉(わた)り、鉄粉の集るごとく、陰陽整然として、立ち処に大活動力化し、その時初めて、真の一国一団たる国民政治ができ上がり、経済思想に一切を超越したる善政の許にこの難局が突破できるのである。

 今日のごとく世界の大転換期に直面せる我が日本にとっては、国内の整理完備するとも、なかなかこの難関は従来のごとく容易に突破する事は困難である。然るに、内政、今日のごとく複雑化せる時代無く、また一方、支那との重大事件を引き起し、何時果つべくもなし、幸ひにして武力的事件は遠からず治まるとするも、経済的首尾を結ぶ事、これまた事件以上に困難である。然るに欧州の情勢は刻一刻驚異進展をなし、いついかなる転換をなすやも知れぬこの際、刹那(せつな)的政策に時を逸する事は、座して怒濤(どとう)を迎ふるに如(し)かず、と云って、また、盲動は、今日に勝る危険なし、この急転せんとする危局の一歩は、死活存亡の分かるる重大岐路にして明治維新のごとく、国内にての勝敗にあらず、国家存亡の秋(とき)にして、また、全アジア人の起伏の存するところ、近くは諸君の近親父子兄弟始め、高貴の方々までが酷暑百数十度酷寒零下四十余度の奥地深く、悪水疾病を冒し言語に絶する悪戦苦闘を続けつつあり。万一

善良なる為政者に隠れて、自己の権勢を悪用し、貪欲に眼暗み、金甌無欠(きんおうむけつ)の

わが国体を顧みず、スターリンの夢を描きつつあらゆる角度より自己の勢力を拡大せんがため、各相の機構を遠謀の許に攪乱(かくらん)し、国家を益々難局に陥らしむる者ありとすれば、いかに手段や形式を換ふるとも、今日の悪弊は、絶対的除去すること難し。かくのごとき混乱に陥らしむる者は、実に憎むべく天人共に許すべからず。大逆賊たるは、もちろん、即刻是正せざるべからず。

 特に今日は、世界の意表に出でざれば国民総意の政治に依るも難局打破、容易ならず。此の古

今未曽有の国家存亡の重大時機に際し、応召して戦場に身命を賭するとともに、進んで国難打破


の憂国の青年出でて、国内の矛盾と悪弊を一掃せよ。然らざれば多くの英霊と巨費を投じ、国民の総努力を水泡に帰せしめ、光輝ある我が国を滅亡の深淵に陥らしむる恐れあり。

 この危急存亡の秋に際し、一億国民の多くは、太平の堕眠未だ覚めず、此の難局を対岸視し、利己的寸前の小利に没頭するは、大堤防爆破前夜の蟻労に過ぎず。目覚めて而して立ち上り、一大国民運動を惓(ま)き起し、此の難関を突破し、異国の空に苦闘しつつある将兵を一人たりとも無意義の犠牲たらしむるなかれ。国家は陛下の国家にして、国民は陛下の赤子なり。一部特権階級にのみ委(まか)せて、此の難局を顧みざるは、その無責任の罪、最も重く、自から蒙らざるべからず。


時代に適応すべき教育の是正

 国民の教育は、国家の盛衰に重大なる影響あり。その教育にも種々あるが大別すれば、学校教育、社会教育、国家教育の三種類あり。明治初年までは、学校教育よりも歌舞音曲により国民の老若男女の別なく、終身教育をなし、一般平民に至るまで日本の武士道精神を養成せしめ、勧善懲悪により人道を誤らしめざるやう教育し来りしが、明治初年より、次第に学校教育に変調し社会教育設備は大部分破壊され、それに引き換へ西洋の利己主義的思想は文学に、映画に、あらゆる機関を通じて浸入し来り、日本精神は根底より腐敗せしめられ、その残れる学校教育も、その根本教育の精神を離るることは、日増(ひまし)にその度を増しつつあるは、実に寒心に堪へざるなり。学校教育は、特に、人間の根本教育が必要なるに拘らず、枝葉末節に走り、小児の発育を害すること甚だし。とくに最近の入学試験方法の如きは、全く常識では判断できぬ点が多い。先(さ)きに大阪には安井知事当時、国史一本鎗(やり)を突き出したが武士と見え、引く事も早かったが、その都度、迷惑するのは児童と父兄であり、それだけ国家の損失となる。国史一本鎗とはいへ、暗記力だけで何の思考力もいらぬ、然し、人は最も必要なのは創造力である。世の進歩発達は、創造力に俟つ外ない、また万物の霊長と誇る人間も、創造力を省きては、全く資格なし、只の記憶力だけに於ては、人間より勝りたる動物が他にも多く、手近かなる犬の如きも、なかなか人間以上に働く場合が多い。また、創造力者の中には、至って記憶力の悪い者が沢山あ

る。であるから記憶力のある者にとっては誠に結構であるが、他の九人は実に迷惑千万である。また、昨年より学科試験廃止是れ亦我れ我れの常識で判断ができぬ。成程草案された方は、高島嘉衛門以上、人心看破力ある人に違ひあるまいが、一般教師に、その役割をさせることは過重すぎる。それを専門に職業としてゐる警察官や裁判官でも、なかなか人心看破は困難である。

 

エヂソンは学校に始め入学する時、低能視され断られ、慈母の教育により異彩を世界に放った。また、体力本位もどうかと思ふ。横綱を大臣の椅子(いす)に据えても、国策は、樹てぬ。十貫そこそこの犬養は、憲政の神と謳はれたが、小兵のためか、政友に身売りしたが、廿余貫の大兵が、その下に集まり、拝聴してゐるのは、一層、格好が悪い。そこに行くと、楠公は賢い。一芸に秀(ひいで)た者は何によらず召し抱へて、そして適材適所に使ふた点は大いに教へられる点がある。今日の教育も各その天分を充分発揮せしむることが大切だ。一人の英雄を育て上げることは、百の豪傑が附属してでき上がる。一個の超人を生み出せば、忽ち一国が転換する。然るに、今日のごとき方法では、左甚五郎も落第坊主となり世の下積(したづみ)となりたるやも知れず、西郷が今日このごろ生れてゐたなら、機械や化学工業方面の技術者で了(おわ)るやも知れず、神代杉の如く、伸びんとする天才も現今のごとき単一教育により伸びる芯(しん)を止められ、不要の所に曲げられ盆栽化せざるを得ない。その結果、明治初年以来今日の国民は実に気魄のないこと夥(おびただ)しい。斯(か)くの如き誤れる指導方法は一時(いっとき)も早く改めねばならぬ。

 最も必要な根本教育は、年数に於て四、五年あれば充分である。今日の如く多額の経費も要らぬ。却(かえ)って学校生活と家庭生活の上に大なる開きのあることは思想上面白くない。吉田松陰は、茅(かや)小屋の中で、然も短期間に明治の志士を養成している。また、貧家に多く孝子出で、富豪に放蕩(ほうとう)者多く、外観立派な学校ほど赤化し易い。

 また、人間は身長の伸びると共に知能も発達し、充分活動ができる貴重な人生を社会より隔離させ、温床の中に黴(かび)らすこと国家的不経済である。中には三十以上も学位や免状のために、活動期を逸してゐるが、かくのごとき教育を受けてゐたならば、ナポレオンも歴史のページに記録されなかったかも知れず、ヒットラーやムッソリーニも形式的教育法によらず根本精神を把握せしがため、短期間に老若男女の別なく教育を施し、今日あるを得た。是れが即ち国家教育である。此の重大危機に直面せる際、迂遠(うえん)なる科目は即刻省除し、学童の負担と国民

経費を軽減し、真に国家の柱石たらしむる教育を施さねばならぬ。



大阪市西区西長堀北通り

                           霊    源    閣


「大日本精神」

(建白書)


昭和十六年五月二十日発行


現在 日ソ中立條約自体の効果

 古今未曽有(みぞう)の国際的大危局に遭遇(そうぐう)せる今議会に、重大議案を不問不答のうちに通過せしめ、なお、会期を月余も短縮し審議の暇(いとま)なきほど国際情勢の窮迫(きゅうはく)せる際に、外交上最も重責にある外務大臣が月余に渉(わた)り欧洲旅行に出発せしことは、重大要件なることはもちろんにして、とくに三国同盟を締結(ていけつ)せし重大責任者として、その片手落ちの不備を修整すべく行かれしことも事実であろう。しかるに未(いま)だその結果は知らざるに突如(とつじょ)、日ソ中立條約を成立せしめたることは意外である。しかし、松岡外相のことであるから同盟條約の不備を修整し、しかもいっそう入念のために日ソ中立條約を結びしことと思う。

 万一、片手落不備を修整せずして日ソ中立條約を結めば、何等(なんら)三国同盟に対して強化的効果を生ぜず。何故(なぜ)なれば三国同盟は米の英に参戦を不可能ならしめ、強(しい)て参加するも、東洋の権益を守らんとし大部分の兵力を東洋日本に向けしめ、独の負担を極度に

軽減せしむるものである。これに反し、日本は英米より経済的圧迫を強化されると共にますます援蔣(えんしょう)政策を積極化し来たるがため、経済的大なる不利と日支事変解決を一層困難

ならしむる一面、常にわが国の間隙(かんげき)を窺(うかが)えるソ連に対し日満に進出し来たる好期を与えることになれり。その時、独は、ソ連に対しなんらの圧迫をも加える義務を負わずと特筆明記しおき、露の自由を計る他面、日本を積極的進出に誘導し、英米間に摩擦を激化せしめ、最後に露もその渦中(かちゅう)に投ぜしめんと陰謀せること明らかである。ゆえにこの

條約にては、なんら、わが国は得(う)る処(ところ)なきのみならず、前記のごとく一層困難を重大化せしめることになった。

 かくのごとく、先にも日独間において対等に結びし防共協定を、相手国の有利に利用し終わりたる時は無警告のうちに破棄(はき)同様、無意義たらしめられるのである。これを見てもいかに利己的條約なるかは明瞭(めいりょう)である。これは東洋において利害による摩擦少なく、しかも日本人の最も信頼せる独にしてしかり。なおさら利害の相反せる日ソ間にいかなる條約を



結ぶも、一朝(いっちょう)、破棄(はき)することの有利に情勢が転ずれば、何時にても無効たらしめらるることは明らかである。その條約を過信して、この重大危局に当面せるわが国策を立てることは、実に危険であるから、国民は大いに警戒を要する。

 外交は国家の進路を定める羅針盤(らしんばん)であるから、その方向を禍(あや)まる時は、

国内一億の総努力を一朝にして水泡(すいほう)に帰せしめ亡国の因(いん)となる恐れがあるのである。その重大なる責任者が浅慮軽挙(せんりょけいきょ)に走る時は、国家にとってこれに勝(まさ)る危険はないのである。この非常時局に際し、今日の外交は従来と異なり、肚芸(はらげい)や感情や過去のいきさつでは思わざる違算を生じてくる。特にこの大戦国には絶対、合理的でなければ成就(じょうじゅ)の見込みなし。合理合法でなくして勝ち得ることは相手が未熟(みじゅく)なる時のみにして、これは常道ではない。

 今日の外交は、死活(しかつ)存亡の分かれる真剣勝負である。一面の囲碁(いご)のごとく、また一回の玉突(たまつき)のごときものにても、一石一玉を動かすには全面より割り出し、最も合理的進出でなければ勝算の見込みがない。またその打ち出す一目の石も次の一目により生死が何(いず)れにも分かれる。いかに有利の條約を結ぶも、次の後手(ごて)により防共協定のごとく死石(しにいし)となる。尚更(なおさら)、敵の目の中に打ち込む石ほど愚策(ぐさく)はない。肚芸でやったつもりが敵の罠(わな)なる穴と気付くも已(すで)に遅い。

 国内の国民は法的に眼隠(めかく)しができるが、外国は日本の法では眼隠しができない。眼隠しをして肚芸で操縦しえても、眼明(めあ)きの他国民を腹芸で動かすことは容易でないから、

どこでも合理的でなければならぬ。今度(こんど)の三国同盟のごときも決して敵の目の中に打ち込んだ石ではないが、これを日本に有利に展開(てんかい)せしむることは、実に困難である。

 この難石を打った外相が、その当時日本は、独伊のためには心中をも辞(じ)せずと言われしが、利己本意の独のために日本を片思(かたおも)いの一人心中(しんじゅう)たらしめてはならぬ。かくのごとき結果を招来せしめては、目前の損失はもちろん、歴史上、永遠の国恥(こくち)となる怖(おそ)れあり。

 われら一億同胞が未曽有の国難に遭遇し、高貴の御方を始(はじ)め、近親父子兄弟が異国の空で言語に絶する悪戦苦闘を続け、幾多(いくた)傷兵と巨額の富を失い、なお日増しに国民の上に責任の重責し来たりつつあるも、一人として一言半句の不服なきは、上御一人(かみごいちにん)を始め世界に比類なき光輝(こうき)あるわが国を守らんがためのみにして、決して他国



のために非(あら)ず。ゆえに国際的国家の方向を定める外務大臣は、一億国民の努力を多少たりとも無意義たらしめず、常に自国本位の政策を樹てられたきものである。


過去 独の日本に対する真相 信頼すべきか警戒すべきか

 かの昭和11年スペイン動乱を中心として、独伊と英仏露が対立して第二次世界大戦が激化せんとするや、露は日本と不可侵條約を結び背後の憂(うれい)を断(た)ち、而(しか)る上にて英と共同し独を双葉(ふたば)のうちに倒さんとし、積極的動乱に乗り出すべく不可侵條約を申し込み来たりしも、旧来の感情と、現に暗躍しつつある共産分子等の関係上、応ぜざるを見しヒットラーは、これを逆用し防共協定を締結(ていけつ)せしめ、反対に、露を東西両面より挟撃(きょうげき)の体勢(たいせい)を取りしため、露は日本に背面を突かれることを恐れ、動乱より後退の止むなきに至れり。ついで英仏も隣国のために多くの犠牲を払うことの愚(ぐ)を

悟り、動乱より全部手を引きしため、独は日本を利用し自己の目的を完全に達せり。

 その後間(ま)もなく日本に軍事同盟を申し込むと同時に、露に不可侵條約を結ぶべく申し入れ、万一露が応ぜざる時は、日独軍事同盟により両面より挟撃(きょうげき)すべく虚勢(きょせい)をもって威圧(いあつ)しつつ、他面露の渇望(かつぼう)する機械化学による軍事資材と、独の不足物資と交換(こうかん)を名目の基(もと)に不可侵條約を結び英露を離反(りはん)せしめ、いよいよ独は積極的進出を計るに至れり。

 露は先(さき)の防共協定により後退の止むなきに至りし反動的行動として、直接日本に当たることは独との挟撃さるる憂(うれい)あるにより、間接蔣介石(しょうかいせき)を援助し、また一方、英も日本の東洋における進出を恐れ、これまた蔣介石を援(たす)け第一幣制(へいせい)改革をなさしめ、巨額の現銀を英人の持ち去ることとなり、それに引き換(か)えて法幣(ほうへい)を発行するに至れり。これがため支那全国民は、蔣介石政権を倒すことは自己所有の法幣を無価値ならしむることとなるゆえ、敗戦の今日も尚(なお)、蔣介石を援けて離れざる多くの者がある一因となっておるのである。また一方、冀東(きとう)政府も幣制改革と英露の裏面(りめん)策動により、抗日(こうにち)的態度に一変して今日の支那事変を誘発(ゆうはつ)するにいたれり。

 また、英は、日独両国を東西に受け戦うことの不利なるがため、独の欧洲において全面的進出せんとして策動しつつありしも黙認(もくにん)の止(や)むなかりしが、独ソ不可侵條約によ



り日独に間隙(かんげき)を生じ、日本が西洋の一切に対し不介入(ふかいにゅう)の声明を発するや、英は一転して独に向かい宣戦(せんせん)を布告し、今日の大動乱化するに至りしが、驚威的(きょういてき)独の進出により仏白(ふつはく)の大敗となるや、わが朝野は挙(あ)げてその機会を逸(いっ)せず南進積極政策を取るべく輿論(よろん)轟々(ごうごう)たりしがついに衆議(しゅうぎ)決せず、内閣総辞職となり次期内閣の成立を見るに至れり。

 一方、ヒットラーは、この情勢を見るや、東洋において日英米間に大衝突(しょうとつ)を生ずれば、その好期を利用し、英と単独講話を成立せしめんとして月余にわたり待期し、内心英の兵力を東洋に向けしめ、日英米露の国力消耗(しょうもう)作戦を目論見(もくろみ)、その間、占領地域内の整理と再出発の準備をなさんとして、わが近衛首相の重大声明を期待せしが、情勢一転して南方進出を軟化(なんか)するに至るを見るや、再び積極攻勢に出でたるも時すでに遅く、英本土上陸作戦の機を逸(いっ)し、一方、英はその間に充分の防備の機会を得たるため今尚(なお)、上陸を不可能ならしめるに至れり。一方、露は、独ソ不可侵條約を結ぶや方向一変して、ソ満国境に大部隊を集中し、ノモンハンの不祥(ふしょう)事件を誘発するに至れり。

 かくのごとく日本が独伊のために乗り出す都度(つど)、たちまち独は、全面に渉(わた)り敵国の圧迫を稀薄(きはく)ならしむるに反し、日本はその都度日支事変を始め日米英露間に面白(おもしろ)からざる不利を招来せしめつつあることは、過去の事実で明瞭である。特に、今度の三国同盟により極度に独伊の国難を軽減(けいげん)するに反し、英米露支により、完全に包囲(ほうい)状態に陥入ったのである。

 かくのごとく日本が取り来たりし反対面より過去を考察(こうさつ)するに、かの露が、スペイン動乱の際、日本に不可侵條約を申し込み来たりし時、條約を結ばざるまでも中立を厳守したならば、英露は安心してスペイン動乱に全力を集中し、その時、すでに第二次世界大戦となり、何人も考え及ばざる大混乱に陥入り、米も参戦の止むなきに至る。

 ただ、日本だけは、何等渦中(かちゅう)に投ずる必要なく、貿易は未曽有(みぞう)の発展と長年の宿望(しゅくぼう)せる八紘一宇(はっこういちう)の大理想は、先ず支那より実現すべく合理的進出ができ、蔣介石も当然これに参加の止むなきに至り、露英にしてもこれを邪魔(じゃま)する暇(ひま)なく、却(かえっ)て日本の反対側につくことを恐れ、両方よりわが計画に賛成するの他なき状勢となる。

 しかして今日このごろは、現に同種相撃(あいう)つ多くの兵器は西洋に輸出され、わが国は  



一兵衂(ちぬら)ず、巨額の国費を消耗せざるのみか、国内には最優秀兵器を充満し、充実せる国力をもって皇道の世界化に乗り出すことができ得たるならん。

 しかるに、その当時、目前の現象のみに捉(とら)われ世界の動向を閑却(かんきゃく)し、ただ共産主義の赤化にのみ眩惑(げんわく)せし結果、同種相援(あいたす)け共存共栄の大策を樹立すべき日支両国が戦禍(せんか)を交(まじ)え、両国民は未曽有の国難を招来し、日支全民は共に塗炭(とたん)の苦しみに悩み、東洋の富は白人の旧式兵器と交換され、その兵器はアジア人の自殺の用具化せしことは、実に白人に乗ぜられたる結果に他ならず。

 われらは共産よりも、またユダヤよりも、自国の不徹底不合理なる政策を最も恐る。

 自国で健全合理化すれば、なんら、共産もユダヤも恐るるに足らず、無限多種の病菌に消毒予防も必要であるが、より自己を剛健(ごうけん)ならしむることが最も大切である。

 

未来 日ソ中立條約をいかに生かすべきか

 我が国は神国なりといえども、最善の努力なき所に神助なく、また天佑(てんゆう)神助は現象とも機会ともなり、その容相は恒(つね)に一定せず。故に、正見なき時は天佑による好機を逸する懼(おそ)れあり。

 已(すで)にスペイン動乱以来、我が国に取りて最大の天佑による絶好機会を逸せしめたる憾(うらみ)あり。

今亦(また)重大転機に直面せる国際的善悪の岐路(きろ)に有り。此の左右いずれか一歩の踏み出しにより、日本はもちろん、世界情勢に根本的大変化を生ずる可能性、充分にあり。

 今回成立せし日ソ中立條約を機会にわが外交政策を一転し、英米と中立または不可侵條約を結ばざるまでも、適当なる方法で両国に対し東洋における不安をなからしめ、一方援蔣(えんしょう)政策を放棄(ほうき)せしめるとともに日対英米間の貿易を旧態(きゅうたい)に復せしめると共に、支那全土を敏速に解決し、次期に対し平戦両用の準備をなすことが、南方進出により国際関係と支那事変を複雑化せしむるより大局において得策(とくさく)ではあるまいか。

 その理由は、現在三国が援蔣政策を継続しつつあることは、日本が積極的に反英米露に出ることを恐れ、その窘制(きんせい)策としてであるから三国に対し中立を厳守すれば、各国共に喜んでわが要求に応ずるならん。なぜなれば、露は独と利害一致による提携(ていけい)に非ずして、日独に挟撃されることを恐れ、止むを得ざる地位にあるがためにしてその危険が去るまでは



いかに日ソ中立條約を結ぶも、支那をして日本を抑制(よくせい)さすべく援蔣政策を放棄することなし。万一ありとするもそれは日本を欺瞞(ぎまん)して英米と摩擦(まさつ)を生ぜしめ、

その虚(きょ)を突くべき策謀(さくぼう)に過ぎず。しかるに日ソ中立條約により、三国枢軸(すうじく)強化と誤り、積極的反英米に乗り出すことは実に危険である。英米も同様、日本が常に独伊と共に両国の権益(けんえき)を侵害せんとする恐れある間は絶対、援蔣政策を放棄することなからん。

 しかし、日支事変発生当時とは世界情勢が一変しておるため、英米露にしても支那国内の権益より自国の安危(あんき)が重大であるから、支那以外に対する中立を厳守すれば、わが要求に応ずること明らかである。その時、日本が蔣介石にいかなる要求を持ち出すも応ぜざるを得なくなり、日本に取って最も有利に且(か)つ敏速に解決することを得ん。斯(かく)すれば英米露も相呼応(あいこおう)して独に当たり、欧洲はいよいよ大戦化し欧米自体が自然衰亡に瀕(ひん)するの他なからん。その間、日本は充分国力を充実し、今日一般に高唱(こうしょう)せる皇道の世界化、または東亜共栄圏の確立するにも、最も犠牲なく容易に実現することを得ん。

 他面、独が今日の勢(いきおい)で全欧洲を併合(へいごう)すれば、露は欧洲全面に対し   進出を完封されるのみならず、独の、極度に強化し勝算の見込充分たつ時はいつ露を圧迫すべく出るやも計(はか)り難し。現に、独ソ不可侵條約を結べるも、それまでは日独防共協定により露を攻撃の目標とし、その以前も、ユダヤと共産露を特に敵視し居たるに見るも、根本において両国の対立的地位にあることは明らかである。

 現に死活を共にせる伊国といえども今日にては内心安心はできぬ。丁度(ちょうど)親犬が虎の子と知らず、番犬と思い育てる内にいつしか猛虎振(ぶり)を発揮し、気付きし時は已(すで)に遅く、ただ静観の外なく、尚(なお)この上極度に独が発展すれば、ついには口中より這(は)い入って一心同体になるほかなき運命に陥る恐れあり。なおさら、伊独と利害相反する英米露は、共に日本の出方次第により独に対立行動に出で、世界戦局が一変するに至らん。

 而(しか)るにこの好機会に遭遇しながら独伊の驚異的進出に眩惑(げんわく)し、日独が東西より呼応して世界新秩序または東亜共栄圏の確立を叫び積極的進出を企(くわだ)てる時は、英米露を始め東亜全面の小国に至るまで内心恐怖と警戒心を生ぜしめ、その虚を敵の利用する所となり、外交上、連合包囲に陥る危険がある。反面、独はその間に勢力拡大し、遂(つい)に露も欧洲進出を断念し、米も一国にても援英に乗り出さんとするも日本に東洋より突かれることを



恐れ、英独戦争に参加を不可能ならしめ、強(し)いて参加するも大半の兵力を東洋日本に備え、

ますます援蔣政策を強化せしめ、逆に日本が英米露支の包囲状態に陥入る恐れあり、ついには米は欧洲を放棄して全力を日本に向け来たるやも知れず。

 併(しか)しこの際、前記のごとく外交政策を一変する時は、目下(もっか)独は相当広範囲に兵力を分散せるため、全面より見る時は防備稀薄(きはく)なる上、警備区内に異分子を多量に胞蔵(ほうぞう)せるがため、英米露の包囲攻撃を受け何(いず)れか一ヵ所において敗戦を招く時は、全面に渉(わた)り異分子の蜂起(ほうき)と反撃により一大混乱に陥る恐れあり。

 ゆえに独は日本を極力誘導して戦乱の渦中に投ぜしめ、欧洲の戦禍を東洋に転加(てんか)せしめ、自国の負担を極度に軽減せんと計りつつ世界最後の最大勝利を目指(めざ)しつつあり。


 大局より現在の日独両国の立場を見るに、丁度(ちょうど)黄河の両堤防のごとく、一見その立場同一のごとく見ゆるも、その根底において正反対の運命におかれおることを見逃してはならぬ。その理由は、日独の両堤防の中を英米露仏を始め他の小国ともに時代の奔流(ほんりゅう)に押し流されつつ非常な勢いで逃避場所を求めている。この際両岸何(いず)れかに弱所を発見せば、忽(たちま)ち怒濤(どとう)の勢を以て押し寄せ大決潰(けっかい)を生ぜしめ、ために両方共容相を一変するに反し、残る一堤防は永遠に存続することができる。今日の日本の踏み出す一歩によりその水流の方向が定まり、世界大勢の大半が決せられることになる。

 万一、両岸が堅牢(けんろう)にしてこの時代の一大奔流を通過せしむることを得るも、次に両国の対立闘争の時期の近く来ることは絶対に逃れ得ぬことである。その時、相手国を強化せしめておくことは最も不利である。ゆえに自国以外には超大国を作らしめず、常に国家間の均衡を保たしめおくことが自国を安全ならしむる最も上策である。

 

  昭和十六年五月二十日


大阪市西区西長堀北通三ノ十一

                        霊    源    閣

                        大   塚   寛   一


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2019年04月04日

人類の大救世主大塚寛一先生の大日本精神の健白書です!

大 日 本 ~

  此の最大危局に對し最後の此の大策を

   謬る時は國家の勝敗を超越し未だ史上に

    見ざる民族滅亡の恐れある前夜に迫つた


此の未曾有(みぞう)の國難(こくなん)に際し、不完全なる羅針盤(らしんばん)のもとに如何に一億總蹶起(そうけっき)するも目的の彼岸に達する事容易ならず。 況(ま)して羅針盤に狂ひ有る時は總努力に反比例して國難を招來(しょうらい)する惧(おそ)れ有(あ)り。故(ゆえ)に根本方針を定めるに今日程重大なる時なし。

現に執(と)りつゝ有る方針は、何人(なんぴと)の樹立なるや不明なるも、此の重大國難(じゅうだいこくなん)を招來せし以上、之(これ)が共産主義者やユダヤの謀略(ぼうりゃく)にあらずとも、濱口(雄幸)内閣の金解禁(きんかいきん)の如く、如何(いか)に善意による錯誤(さくご)の爲(た)めの失態(しったい)とするも其の重大なる責任をまぬかれず、國民(こくみん)も今後大いに警戒を要す。

已(すで)に我が領土の一部には敵の上陸する處(ところ)となり、此の上何時(いつ)我が本土に大擧(たいきょ)襲來(しゅうらい)して伯林(ベルリン)及(および)ハンブルグ以上の大慘劇(だいさんげき)を生ずるや計り難し。此の國難を招來せし根本原因は外に向(むか)ひ世界の新秩序又は萬國(ばんこく)其の處を得せしめ亞細亞(アジア)十億の民族開放を計り、國内には獨伊同樣(どくいどうよう)新體制(しんたいせい)を確立せんとする大理想の下に、獨伊と相呼應(あいこおう)し東西より火蓋(ひぶた)を切りしに依(よ)る。然(しか)し獨伊は前大戦の後をうけ窮乏(きゅうぼう)の極(きわみ)にあり、之を打開せんが爲(た)め國内組織に大切開手術を施し、其の苦痛と不平により統一を亂(みだ)す恐れあるに依り、其の批判力を奪はん爲め種々(しゅじゅ)の理想標語(りそうひょうご)を作り、其の呪文により國民を麻醉(ますい)せしめ、此の老體國(ろうたいこく)の病原を除去せんとして施(ほどこ)した非常手段にして、常道(じょうどう)にあらず。

而(しか)し、我が國は世界に比類(ひるい)なき天壤無窮(てんじょうむきゅう)の國體(こくたい)にして、三千年の地下準備なり漸(ようや)く世界の大舞臺(だいぶたい)に乘り出し、僅(わず)か七十餘年間(ななじゅうよねんかん)にして忽(たちま)ち經濟(けいざい)に、文化に、軍備に至るまで世界強國をも凌(しの)ぐ前例なき大發展(だいはってん)をなし、將(まさ)に超人爲的(ちょうじんいてき)に世界最大強國となり、全世界を支配し得る運命付けられたる環境に有りし□□ヒットラーの利己的巧妙なる謀略宣傳(ぼうりゃくせんでん)の爲め催眠術的誘導(さいみんじゅつてきゆうどう)の罠(わな)に陷入(おちい)り、遂に大發展途上(だいはってんとじょう)の我が國家機構(こっかきこう)の大變革(だいへんかく)を計らんが爲めに大切開手術をせんとし鈍刀(どんとう)を打込み、内憂(ないゆう)と外患(がいかん)を同時に招來し、全く累卵(るいらん)の危(あやう)きに至らしめた。伊もヒットラーの爲めに心臓と呼吸の連絡を失ひ、獨も亦(また)命旦夕に迫る(めいたんせきにせまる)。

斯(かく)の如(ごと)く我が國は根本に於(おい)て英米獨伊(えいべいどくい)と全く異なり、比類なき三千年の過去と永遠の生命がある、其の異なれる特長を破壞(はかい)して、亡(ほろ)びんとする獨(どく)を模倣(もほう)する程(ほど)過(あや)まれるはなし。

古語(こご)に角(つの)を矯(た)めんとして牛を殺す譬(たとえ)あり。然(しか)るに今日の有樣(ありさま)は隣家(りんか)の牛の角を矯(ただ)さんとして其の牛の爲めに突落(つきおと)されんとする如き危險(きけん)あり。

 此の際(このさい)、英米模倣(えいべいもほう)を捨てると同時に、獨伊模倣(どくいもほう)をも排除し、「眞の日本本來の姿」に還(かえ)らざれば此の國難(こくなん)を救ひ難し(すくいがたし)。此の大戰(たいせん)を眞の聖戰(せいせん)たらしむるには、萬國(ばんこく)其の處(そのところ)を得せしめんとするに先達(さきだ)つて、我が國民に其の處を得せしめよ。東亞十億の民族開放に先達つて自國民(じこくみん)の眞の自由を計れ。而(しか)して、近きより遠きに及ぼすのが順序である。如何なる理想も順序を誤る時は成就の見込絶對になし。然(しか)るに今日は祖父傳來(そふでんらい)の職業を全部返還し、必需物資(ひつじゅぶっし)まで殆んど供出(きょうしゅつ)し、日常生活に今日程不自由はなし。之(これ)が戰時による消耗なれば止むを得さる(やむをえざる)も、統制の缺陷(けっかん)による物資の偏在(へんざい)と低物價政策(ていぶっかせいさく)による物資の海外流出が大(だい)なる原因の一つである。之(これ)は個人主義より發生(はっせい)したる科學的統制(かがくてきとうせい)の爲(た)めである。東洋特に日本は、超科學的「道」(ちょうかがくてき・みち)に於(おい)て成立せる國である。其れは人に生命と感情あり、宇宙に時間と空間がある、之が宇宙と人間社會の根本要素にして、而(しか)も其の要素全部が今日の科學では割り切る事が出來ぬ、超科學的存在である。此の根本要素を度外(どがい)した現代科學的統制は造花(ぞうか)の如く一見好く見ゆるも生命がなく、從つて結實(けつじつ)しないのである。ヒットラーの今日の苦境も皆其處(そこ)に原因がある。其の最も大なる彼の錯誤はソ聯に對(たい)する政策であつた。其れは大自然力と人の感情を度外して敵地深く大軍を進め、自然に對する叛逆者(はんぎゃくしゃ)となつたのはナポレオン同樣(どうよう)である。如何に英雄と謂(い)へども、自然の産物である。其の母體(ぼたい)たる大自然力を無視する者の滅亡は當然(とうぜん)である。英雄にして斯(かく)の如し、尚更(なおさら)凡俗(ぼんぞく)が英雄を模倣(もほう)して自然に叛逆する時の將兵(しょうへい)ほど哀れなものはない。故(ゆえ)に日本は、何處(どこ)までも超科學的「道」(ちょうかがくてき・みち)に依(よ)つて進まねばならぬ。

 國(くに)危(あやう)くして忠臣(ちゅうしん)出(い)で、家貧しくして孝子(こうし)出(い)づるも、皆其の「道」の爲めである。東條(英機)前首相の言はるゝ如く、無(む)より有(ゆう)を生ぜしめ、二二ンが八も、超科學的原則(ちょうかがくてきげんそく)の一つである。其のコツを得て始めて、寡(か)を以て衆(しゅう)を亡(ほろ)ぼし、今日(こんにち)の大東亞戰爭(だいとうあせんそう)にも勝つ事が出來る。然(しか)し、口(くち)に如何(いか)に「超科學的原則」を説いても、なす事が模倣(もほう)で有(あ)つては、二二ンが零(ゼロ)となつて、國(くに)を亡(ほろ)ぼす事になる。

 今日(こんにち)、米(べい)が東西に於(おい)て積極的に進出を計りつゝ有るも、之(これ)は米國(べいこく)が強力の爲(た)めのみに非(あら)ず、大部分相手の愚策(ぐさく)に依(よ)る處(ところ)にして、此のまゝ彼も圖に乘る(ずにのる)時は、遠からず自然の反逆者となつて大敗を招く事明らかである。眞の勝敗は決して、人や物の多少のみに依るものに非(あら)ず、最も大なる勝敗の原因は、大自然力(だいしぜんりょく)を生かすと否(いな)とに依(よ)る。

斯(かく)の如く、我國(わがくに)が天壤(てんじょう)と共に無窮(むきゅう)にして、三千年の歴史を有するも、皆、超科學的「道」(ちょうかがくてき・みち)に依つて生れ、亦(また)「道」を守る所にある。然るに歐米(おうべい)は人爲(じんい)に依り作り上げたる「共産主義」、或(あるい)は「國家全體主義(こっかぜんたいしゅぎ)」、又は「自由主義」等、次々と新規の組織が生れ、其の中より「滅私奉公(めっしほうこう)」、「公益優先(こうえきゆうせん)」等、種々(しゅじゅ)の標語(ひょうご)が現れて來るが、之等(これら)は皆(み)な個人主義の缺陷(けっかん)に對(たい)する反動的一時の現象にして、「中道(ちゅうどう)」を得たものでない。之(これ)に引替(ひきか)へ我が國は、子は親のため、親は子の爲め、民は君の爲め、君は民の爲めに盡(つく)す所の「自他君民一體(じたくんみんいったい)の國」である。故に、正しき「自己の爲め」は「君の爲め」、「國の爲め」、「親の爲め」、「子孫の爲め」となるのが歐米と異なる「眞の日本の姿」である。之を忘れて、他國の病的奇現象に眩惑(げんわく)して「國家の大計(こっかのたいけい)」を誤る、之程(これほど)大罪(たいざい)はなし。故に我が國は、何等(なんら)の「主義」も「新體制(しんたいせい)」の必要もなく、只現在の如き行過(ゆきす)ぎと踏外(ふみはず)しとを「日本本來の姿」に引戻(ひきもど)す以外、人智(じんち)の用(もち)ひ場所なし。今日の國難も一億國民が眞に目覺(めざめ)て、誤れる模倣(もほう)を排し、「日本本來の姿」に歸(かえ)り~に念ずる時は、各人の生命の奥に躍動(やくどう)せる「靈性(れいせい)」が「宇宙の大靈(だいれい)」に一脈通じてをる爲め、立據(たちどころ)に其の印(しるし)顯(あらわ)れて、此の國難(こくなん)を吹拂(ふきはら)ふこと疑ひなし。而(しか)し、「~風(かみかぜ)」と「魔風(まかぜ)」は同一にして、各々(おのおの)其(その)受くる者の居る場所の順逆(じゅんぎゃく)により「~助(しんじょ)」ともなり、亦(また)「天罰(てんばつ)」ともなる。故に、卽刻(そっこく)過(あやま)れる模倣(もほう)を排し、「日本の眞の姿」となり、正道(せいどう)に立歸(たちかえ)る以外、此の難局打破(なんきょくだは)の途(みち)絶對(ぜったい)になし。

物事は、「因」に依(よっ)て「果」を生じ、「善因善果・惡因惡果(ぜんいんぜんが・あくいんあくが)」は古來より永遠不變(えいえんふへん)の法則にして、大東亞戦争も緒戰(しょせん)に於(おい)て已(すで)に決定せる法則の現れが今日(こんにち)の狀態(じょうたい)である。然(しか)るに今となつて事態の重大なるに驚愕(きょうがく)せる者は、ヒットラーの魔術に陶醉(とうすい)し、大極(たいきょく)の大道(たいどう)を離れ、目前の現象に捉はれ居(お)りたりしによる。萬一(まんいち)かゝる御人(おひと)が上層指導者の中に有る時は、之程(これほど)危險(きけん)はない。矢は弓の弦(げん)を離れる時、已(すで)に當不當(とうふとう)が決定して居る如く、人も出發(しゅっぱつ)に先達(さきだ)つて到達點(とうたつてん)が定(さだま)つて居る。萬一(まんいち)行先(ゆきさき)を知らぬ門出(かどで)は夢遊病(むゆうびょう)に等し。而(しか)るに國民(こくみん)の浮沈(ふちん)を決する爲政者(いせいしゃ)が、何等(なんら)結果に對(たい)する確信なくして改革に着手する程(ほど)無責任(むせきにん)はなし。岸(信介)前農商大臣は「吾は~さまでないから、やつて見ねば結果の善惡は知らぬ」と言はれた事實(じじつ)あり。東條(英機)前首相も二二が八の達人の域にある以上、緒戰に於て今日あるは承知の上の豫定(よてい)の行動ならん。萬一目前に迫り來たる大難(だいなん)を知らずして、世界(せかい)立直(たてなお)しの大業(たいぎょう)の爲めに無數(むすう)の人命と國富(こくふ)を消盡(しょうじん)し、國を傾け、上御一人迄(かみごいちにんまで)宸襟(しんきん)を惱(なや)まし奉(たてまつ)る如き不覺(ふかく)はなき筈(はず)である。

我が國は萬機公論(ばんきこうろん)に決すべき筈(はず)。然(しか)るに萬一(まんいち)獨ソを模倣(もほう)し、國民の與論(よろん)を無視し、獨斷(どくだん)により國難(こくなん)を招く時は、其の罪(そのつみ)絶對(ぜったい)に遁(のがれ)る餘地(よち)なし。

賞罰(しょうばつ)明らかならざる國(くに)は、惡人(あくにん)跋扈(ばっこ)して善人(ぜんにん)隱(かく)る。今や國家(こっか)存亡(そんぼう)の重大岐路(じゅうだいきろ)にあり。此の際(このさい)上層指導者(じょうそうしどうしゃ)は重大責任を痛感し、國家は之に對し必賞必罰(ひっしょうひつばつ)を嚴(げん)にし、政治を公明ならしむ可(べ)し。

現下の狀態は、配給偏在(はいきゅう・へんざい)の爲め、喰ふに食なく、防寒に衣(ころも)なし。而(しか)も、明日特攻隊員に仕立てる愛子の爲め、一升の米、一束(ひとたば)の野菜の僅(わず)かな値違(ねちがい)が闇(やみ)となり、買出部隊(かいだしぶたい)の利敵異名が付く。之(これ)に引替(ひきか)へ國家の浮沈を左右する上層指導者が私慾(しよく)を滿(みた)さんが爲め國を危(あやう)からしむるも、取締る法規なし。常に哀れなるは、惡政の下の善良なる國民である。  (一九、七、二〇)


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2019年04月03日

人類の大救世主大塚寛一先生の大日本精神宣言です!

人類の大救世主大塚寛一先生の「大日本精神」建白書写経でございます!心の眼で拝読願います!
「大日本精神」
(建白書)
第一号(昭和十四年九月十一日発行)
★大日本精神 宣言
真の大日本精神は即ち世界精神であり、世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故(ゆえ)に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには、先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て、人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す

                              大塚 寛一
                        (昭一四、九一一、於橿原)人類の大救世主大塚寛一先生の「大日本精神」建白書写経でございます!心の眼で拝読願います!
「大日本精神」
(建白書)
第一号(昭和十四年九月十一日発行)
★大日本精神宣言
真の大日本精神は即ち世界精神であり、世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て、人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す。

                              大塚寛一
                        (昭一四、九一一 於橿原)人類の大救世主大塚寛一先生の「大日本精神」建白書写経でございます!心の眼で拝読願います!
「大日本精神」
(建白書)
第一号(昭和十四年九月十一日発行)
★大日本精神 宣言
真の大日本精神は即ち世界精神であり、世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故(ゆえ)に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには、先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て、人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す

                              大塚 寛一
                        (昭一四、九一一、於橿原)人類の大救世主大塚寛一先生の「大日本精神」建白書写経でございます!心の眼で拝読願います!
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真の大日本精神は即ち世界精神であり、世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て、人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す。

                              大塚寛一
                        (昭一四、九一一 於橿原)人類の大救世主大塚寛一先生の「大日本精神」建白書写経でございます!心の眼で拝読願います!
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真の大日本精神は即ち世界精神であり、世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故(ゆえ)に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには、先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て、人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す

                              大塚 寛一
                        (昭一四、九一一、於橿原)人類の大救世主大塚寛一先生の「大日本精神」建白書写経でございます!心の眼で拝読願います!
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真の大日本精神は即ち世界精神であり、世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て、人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す。

                              大塚寛一
                        (昭一四、九一一 於橿原)人類の大救世主大塚寛一先生の「大日本精神」建白書写経でございます!心の眼で拝読願います!
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真の大日本精神は即ち世界精神であり、世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故(ゆえ)に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには、先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て、人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す

                              大塚 寛一
                        (昭一四、九一一、於橿原)人類の大救世主大塚寛一先生の「大日本精神」建白書写経でございます!心の眼で拝読願います!
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                              大塚寛一
                        (昭一四、九一一 於橿原)人類の大救世主大塚寛一先生の「大日本精神」建白書写経でございます!心の眼で拝読願います!
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真の大日本精神は即ち世界精神であり、世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故(ゆえ)に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには、先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て、人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す

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                              大塚寛一
                        (昭一四、九一一 於橿原)
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人類の大救世主大塚寛一先生の暗夜の光明です!



暗夜の光明

(昭和11年 発行)



発行兼編輯および印刷人 大塚霊妙


発行所 霊 源 閣          










人は將(まさ)に山頂の一滴にして~の試練の寸前なり。

此の一歩、此の一瞬、右か左か善か惡か苦か樂(らく)か 熟讀翫味(じゅくどく・がんみ)されたし。

鍋中(なべちゅう)の餌(?)は豆腐、○ヘに寄るも鍋を經(へ)て

業火(ごうか)に煮(に)る。

自己安心は網(あみ)にかゝれる蛤(はまぐり)の如(ごと)し

氣付(きづき)たる時(とき)は札付(ふだつき)となる。

印度(いんど)、ユダヤは何(なに)を物語(ものがた)りつゝありや。

自己を超越(ちょうえつ)したる眞(しん)の自己にかゑれ、

而して時流(じりゅう)を觀破(かんぱ)して善所(ぜんしょ)せざれば絶對(ぜったい)安住(あんじゅう)の地(ち)なし。


  師(し)は生れ乍ら(うまれながら)異常な眼識力(がんしきりょく)の持主でありました 普通人(ふつうじん)と異なる點(てん)を擧(あげ)ますと 生れ出てより今日に至るまで不思議の連續(れんぞく)であります 其の一部を申しますと 今より三十餘年前(さんじゅうよねんまえ)未だ十二歳の頃 四國(しこく)の草深い片田舎(かたいなか)に居て 已(すで)に世界の大勢を觀破(かんぱ)し 又自己を始め姉弟の運命に至るまで豫言(よげん)しました事が今日に至り全部的中(ぜんぶてきちゅう)してまいりました、其(そ)の當時(とうじ)何人(なんぴと)も眼を丸くし疑見(ぎけん)するのみでしたが今日に至て(いたって)は疑(うたがい)の餘地(よち)はありません、其の豫言の一端を申(もうし)ますと 世界の一大勢力の移動期に遭遇(そうぐう)して來た、それは今まで地上を征伏(せいふく)して居た白人の勢力も西洋文化の破潰(はかい)すると共に暫時(ぜんじ)東進(とうしん)なし 近く亞細亞(あじあ)に移り、西洋文化と東洋文化が融和した理想文化が亞細亞人(あじあじん)の手により建設さるゝ時の近づけるを豫言(よげん)し 滿洲(まんしゅう)方面に一大文化的中心が出來上り相前後(あいぜんご)して天啓(てんけい)により人類最大最高の救世主の出現なし、人類發生(はっせい)してより始(はじめ)ての平和なる理想社會(りそうしゃかい)を吾が國(わがくに)に建設なし 忽(たちま)ち周圍(しゅうい)に波汲(はきゅう)して地上は短期間に理想化さるゝも 其(そ)の救世主出る事の後(おく)るゝ時は世(よ)の始(はじめ)より 未だ且て(いまだかつて)經驗(けいけん)せざる苦(く)るしみに 逢事(あうこと) 又(また)救世主出るとも信し目覚ざる(しんじめざめざる)時は  遠から(とおからず)雌(めし)べなき花の西に開く事を象知(しょうち)し居(い)たのであります、之(これ)十二歳(じゅうにさい)の時(とき)同年輩(どうねんぱい)の少年(しょうねん)を集(あつ)めて語(かた)り續(つづ)けて居(い)た 實話(じつわ)であります。

其(そ)の當時(とうじ)都會(とかい)ならる田舎に居て何の刺戟(しげき)なき中に育ちつゝ自然の動きのみを見て種々(しゅじゅ)の物を發明發見(はつめいはっけん)なし 今日一般に必需品又は世間の常識となつて居るものも數々(かずかず)あります。

かゝる豫言の的中は何千頁(なんぜんぺーじ)を要するもつきなひのであります。十二歳と云(いえ)ば未(いま)だ乳(ちち)の香(か)も失(う)せぬ無邪氣(むじゃき)なる可(べ)きに師は話して云われるに吾(わ)しわ實業家(じつぎょうか)となるには北海に行き漁業をなすか南米に行き新天地の開拓するもよいが而(しか)し自分は金錢を超越した人間終局の目的に向(むか)ひ一大苦業(いちだいくぎょう)すべく進む外(ほか)何物も眼中に存(そん)しないと常に大言壮語(たいげんそうご)して居たのです。

其(そ)の當時(とうじ) 親兄弟と謂(い)へど此(こ)の言(げん)を聞き不思議の空想(くうそう)とより思はない者はなかつたでしょう。

そして師(し)は責任ある長男に生(うま)れましたが 草深い田舎ではどふしてもじっとして居(い)られず再三再四(さいさんさいし)父に願(ねが)ふも聞入(ききい)れられず、自(みずから)も又(また)推(おさ)へんとしても耳元(みみもと)に囁(ささや)く聲(こえ)の日掾iひまし)高まるにつれ遂(つい)に決心して 十二歳の十一月三日霙(みぞれ)降る朝(あさ)漂然(ひょうぜん)孤獨(こどく)の旅に出たのが苦業の始(はじまり)であります、それより已(すで)に三十幾年間(さんじゅういくねんかん)支那朝鮮(しなちょうせん)を始(はじめ)内地(ないち)は勿論(もちろん)深山幽谷(しんざんゆうこく)に別け入り苦業の蹟(あと)は全く常人のなし得ざるのみか象想(そうぞう)だに及はさる(およばざる)處(ところ)にして其(そ)の間(かん)死生の堺(さかい)に立つ事(こと)数十囘(すうじゅっかい)其(その)つど不思議の靈人(れいじん)は常(つね)に師(し)を守り今日あるを得たのであります。

追々(おいおい)苦業の道筋を發表するに連れ其の當時の人の瞳の奥深く不思議の人として殘(のこ)つて居る記臆(きおく)が又(また)再び現實(げんじつ)となつて相見(あいみ)る事が近き日にある事と思われます、此の三十餘年間を經(へ)たる今日(こんにち)師は何を思ひ何を語らんとして居るのでありましょふか、こゝに記載してある事は千尋(せんじん/ちひろ)の大海(たいかい)に油滴(ゆてき)を投したる(とうじたる)銀幕(ぎんまく)にひとしいものであります。

師(し)は此(こ)の永(なが)き苦業によつて磨(み)がゝれたる心鏡(しんきょう)に 社會状勢が如何(いか)に反映し なにをなさんと考へて居るでありましょうか、否(いな)已(すで)に師は腦裏(のうり)に出來上りし社會構圖(しゃかいこうず)を將(まさ)にコンパスと定器(じょうぎ)を持つて天空(てんくう)に畫書(えが)き出(いだ)さんとして居るのであります。

之(これ)を略(りゃく)せば 一點(いってん)に始まつて一點に納まるも 擴(ひろ)げば三界(さんがい)を包みて尚(な)ほ餘(あま)す處(ところ)なき深遠微妙(しんえんびみょう)不可思議(ふかしぎ)の法(ほう)であつて 一旦(いったん)口を開けは(ひらけば)幾世(いくせ)語るも黄河(こうが)の水の盡(つき)ざる如く 又(また)聞(きか)ざるは大河(たいが)の傾斜(けいしゃ)急流(きゅうりゅう)なるエネルギーを電化(でんか)せざるが如く 再び得(え)る事が出來(でき)ないのであります。

それは師の念頭(ねんとう)なにものもなく たゞ來(きた)る物の冩(うつ)る姿を讀(よむ)が故(ゆえ)同一の事を再び語り出さないのであります、それで居て超化學的(ちょうかがくてき)又(また)超數理的(ちょうすうりてき)な數理化學(すうりかがく)なのであります、其の中に最も深き~祕(しんぴ)を語(かた)るものであります。

師にかわつて無學(むがく)なる私(わたし)が代筆して發行(はっこう)しました故(ゆえ)意味前後不徹底の點(てん)多く御座さいましよふが 御考讀(ごこうどく)願へれは(ねがえれば)幸(さいわい)に存(ぞん)じます。

                  

筆  者  大 塚 靈 妙(おおつか れいみょう)



大日(だいにち)の本ヘとは 如何なる理由で

銘名(めいめい)されたのでありませうか


 此處(ここ)に申(もう)します大日(だいにち)は、吾々(われわれ)の住(す)んでいる太陽系(たいようけい)の世界(せかい)ばかりでなく、全宇宙(ぜんうちゅう)の隅々(すみずみ)まで 照(て)らし盡(つ)くして、X光線(えっくす・こうせん)のように 物(もの)の中(なか)は無論(むろん)のこと、其(そ)の他(た)一切(いっさい)のものの表裏(ひょうり)の別(べつ)なく、時間空間(じかんくうかん)を超越(ちょうえつ)して、照(て)らし抜(ぬ)く其(そ)の、光の本(ひかりのもと)が大日(だいにち)なのであります。言い換(か)えれば 一大靈光(いちだいれいこう)の源(みなもと)なのであります。皆(みな)さんが見(み)て居(お)られる 世界(せかい)は、お日様(おひさま)が照(て)らしてくれて 其(そ)の反射(はんしゃ)による 影法師(かげぼうし)のようなもので、ほんとうの 物(もの)の姿(すがた)ではありません。

 色合い(いろあい)ばかりでなく、ものの輕重(けいちょう)、又(また)、軟(やわ)らかい堅(かた)いというような事(こと)も決して決定的なものではありません。

 それが此(こ)の大日(大靈光)が照らして見る時に、吾々(われわれ)にも初めて 見る事が出來るのであります。今まで堅(かた)いと思い込んでいたものが存外(ぞんがい)軟(やわ)らかいものであったり、又(また)、通れないと思っていた所(ところ)が樂(らく)に通れたりします。萬事(ばんじ)が 持っていきよう次第(しだい)で、 自由(じゆう)になることが解(わか)ります。そこに皆(みな)さんの見たことのない別の世界(べつのせかい)があるのであります。

 物(もの)の本體(ほんたい)が解(わか)れば、其(そ)の迷(まよ)ひが醒(さ)めて、苦しみが去り 喜びの日送り(ひおくり)が出來ます。大日(だいにち)の照る世界に出ますと、出來る事と出來ない事が、直(す)ぐ誰(だれ)にも解(わか)り、一挙一動(いっきょ・いちどう)無駄(むだ)がなく、望み以上の効果が生(しょう)じますが、大日の照らさない間は、昇れない天に昇ろうとして苦労し、其のうちに結構(けっこう)な道を踏みはずして、取返し(とりかえし)のつかぬ失態(しったい)を生じます。

 一挙一動(いっきょ・いちどう)焔ホ(せいきん)に働いても、自分がする事の本體(ほんたい)を大日(だいにち)に照らして、よく見極(みきわ)めないと、流れ川を埋(う)めようとして、砂糖(さとう)を投じて(とうじて)いる樣(よう)な事にもなり、稼(かせ)ぎを追い越す貧乏(びんぼう)がそこに生じて(しょうじて)來ます。

 治(なお)る病(やまい)を自分で重くして此の世を旅立たねばならないことにもなります。今迄(いままで)は一切(いっさい)を、固定(こてい)しているように思つて、色相に捕(とら)はれていた迷(まよ)ひの世界より、実態(じったい)を照らす大日(だいにち)の世界に生まれ出(いで)しめようとして、互(たが)ひの心に永(なが)く眠(ねむ)れる靈眼(れいがん)を開くべく、明けの鐘(あけのかね)を鳴らすのが、大日本ヘなのであります。




大  日 の  本 ヘ

十幾億(じゅういくおく)の我人類同胞(じんるいどうほう)よ

方向を轉(てん)じて一大靈光(いちだいれいこう)を仰ぎ見よ。

然らば卽刻(そっこく)理想境(天國淨土)は諸衆の足許(あしもと)に開かる。

此(こ)の一大靈光(いちだいれいこう)に反して立つ時は、永遠に陰(かげ)を追ふて眞實(しんじつ)を得(う)る事(こと)難(かた)し。

我等(われら)人類は最早(もはや)人道(じんどう)を歩むべき時に非(あ)らず。

眞に歩むべき道は此(こ)の眞(大靈光の照せる處の)道あるのみ

重ねて申す、人なるが故に人の道を歩まんとする勿(なか)れ。

萬有(ばんゆう)を一貫(いっかん)せる眞理(しんり)には、人と~との二途  (にと)ある事なし。(大海の怒濤(どとう)遡卷(さかま)き萬波(ばんぱ)生ぜど水平線より出でて、水平線に復(か)へり、其(そ)の水平線に二線(にせん)なきが如し。)

大靈光(だいれいこう)は絶對(ぜったい)にして、光明(こうみょう)其(そ)のものなるが故(ゆえ)に、陰を宿さず。人は~(大靈光)と相對(そうたい)なるが故に人のみ常に陰(かげ)を伴(ともな)ふ。

故に人道(じんどう)に依(よ)つて事を爲さんか、全(まった)き事なく、光明(こうみょう)強き程(ほど)益々(ますます)其(その)陰(かげ)濃(こ)し。

人知(じんち)は以(も)つて人類(じんるい)を益々(ますます)危地(きち)に陥(おちい)らしめつつあり。

醒(さ)めて而(しか)して人間の小智(しょうち)を捨て、眞道に立ち歸(か)へらば、忽(たちま)ち足下(そっか)に、理想ク(天國淨土)は開かれん。

人は~靈(しんれい)の發露(はつろ)にして、~靈(しんれい)に反せし自己は、眞(しん)の自己を離れし影法師(かげぼうし)なり。

明日と云はず、卽刻(そっこく)我が眞道に歸(か)へれ。此(こ)の大靈光(だいれいこう)は、宇内(うない)廣(ひろ)しと雖(いえど)も 最後(さいご)の最少一點(さいしょう・いってん)にのみあり。

故(ゆえ)に我が人類の上に來(きた)る事は、未(いま)だ世の始(はじ)めよりありし事なく、然(しか)れども世の始めより世の終り迄(ま)で、又、地軸の中は愚(おろか)、三世十方(さんぜ・じっぽう)を照破(しょうは)し盡(つく)さざる所なし。 

釋迦(しゃか)は西方淨土(さいほうじょうど)に之(こ)れを認め、キリストの東方天國に認めたる一大靈光(いちだいれいこう)は既(すで)に、吾等人類の頭上に出現せり。之(こ)れ人類中の大聖人(だいせいじん)が證言(しょうげん)せることの實現(じっそう)なり。

最早(もはや)、靈光を遠望(えんぼう)すべき時に非(あら)ず。一大靈光により 心眼(しんがん)を開き、唯一の眞道を歩み、絶對(ぜったい)の境地(きょうち)に 入るべき時は來(きた)れり。

我が眞道に立脚する時は、靈足(れいそく)地軸(ちじく)に達せる超人(ちょうじん)の如くにして、七轉八倒(しちてんばっとう)の憂(うれい)なし。

~軍喇叭(しんぐんらっぱ)はすでに吹き始められ、宇内(うない)の聖靈(せいれい)は今や地上(ちじょう)に集(あつま)り、一大靈光(いちだいれいこう)を中心として諸菩薩(しょぼさつ)の出現(しゅつげん)の時(とき)は來(きた)れり。


救 世 主 出 現


地上の人類が、永い間待ちに待つた、大親が地上にお降りになりました。もう之(こ)れで如何(いか)なる罪深い者でも立所(たちどころ)に救(すく)はれ、一人殘(のこ)らず彌陀(みだ)の人となる事が出來ます。

今迄(いまま)で縁(えん)なき衆生(しゅじょう)は度(ど)し難(がた)しと申しまして、一切のものが救(すく)はれることが出來ませんでしたが、釋迦(しゃか)の豫言(よげん)せられし彌勒菩薩(みろくぼさつ)や、キリストのいはれた天國の父に相當(そうとう)する、最高最大の御力で、一切の衆生済度(しゅじょう・さいど)に來られました、片時(へんじ)も早く此の御光(みひかり)に浴し、無明(むみょう)の暗(やみ)より救(すく)はれん事をおすゝめ申します。

今や地下の準備なり、光明の世界に出(いで)んとしての鳴動(めいどう)は、世界の非常時となり、全般に渉りて一大動搖(いちだいどうよう)を來(きた)しつつあります。

此の非常時、此の動搖(どうよう)は、丁度(ちょうど)、母胎内(ぼたいない)の闇(やみ)から光明の世界に生れ出んとしての惱みであります。

生れ出でて最高の御光り(みひかり)に照(てら)して見る時は、今迄での惡の世界、苦の世界、鬪爭の世界と、苦しみ迷ふてゐた此(こ)の世界(せかい)其(その)まゝが、大親の御懐(みふところ)であつたのであります。

現在迄での生活狀態は、左に進むも、亦、右に行くも、不合理にして不得已(やむをえ)ざる行動でした。眞の自由は完全に束縛(そくばく)されて居たのです。それは、胎内の子供が成長するに從(したが)ひ不自由になるが如く、今の世の人々は極度の捉縛(そくばく)を受けてゐます。

然し、~は眞善(しんぜん)にして少しの惡も造り出す事なく、此の不自由なる捉縛(そくばく)と世のあらゆる矛盾は光明の世に生れ出でしめんとする前の、しるしであります。がそれを氣付く人のないのは、丁度(ちょうど)母胎内(ぼたいない)に居(い)て母を知る事が出來(でき)ぬ樣(よう)に、此(こ)の暗路(やみじ)でどうして~(かみ)を見ることが出來ませう。

~(かみ)は愚(おろ)か眞の自己を知る事さへ出來ないのですもの、其の無明の暗路(やみじ)に迷つてゐるのが現在の社會です。之(こ)れが此の世ながらの地獄です。

而して~は至善(しぜん)でありますから、地獄といへど眞の惡(あく)は何處(どこ)にも造られてゐないのです。が、暗路に迷ふ人々には順逆を誤つて、一切のものが惡化してゐるのみです。

光明が照(てら)して、迷ひが醒(さ)めても、周圍(しゅうい)の事情に變(かわ)りはありませんが、迷へる者と醒めたる者とは、黒白の差よりも甚だしい違いで、此のまゝで地獄が一轉(いってん)して、忽ち天國となり、極樂となるのであります。

母の胎内(たいない)より出でゝ、懐(ふところ)に抱き上げらるゝ時、自由と光明と

が得(え)られるのであります。

斯樣(かよう)にし胎兒(たいじ)が母(はは)を知る如く、眞(しん)に目醒(めざ)めたる時始めて、大~(おおかみ)を知り、自己を知る事が出來るのであります。

その抱き上げるのが、天國(てんごく)の父であり、彌勒菩薩(みろくぼさつ)なのであります。一口に申せば世界の大親なのであります。

大親なる故に、世の一切(いっさい)のものを造り出す無限の力によって、一切の惡を立所(たちどころ)に善化(ぜんか)し盡(つく)すのであります。

昔キリストは時は近づけりと申しましたが、今は既に時は「來た」のであります。

此の時、此の際、醒めざる者は、不淨(ふじょう)埃芥(あいかい)として永遠に葬り去らるゝ時が來たのであります。

今の世(よ)に存在せるものに、一物(いちもつ)として惡なるものはありませんが、しかし一旦(いったん)不要(ふよう)のものとなれば、立所(たちどころ)に此(こ)の世より取去(とりさ)らるゝのであります。

迷へる者は速(すみや)かに醒(さ)めなければなりません。早く醒められよ、而して、大親の懐(ふところ)にいだかれて、眞の生命に生くることこそ急務(きゅうむ)であります、急務どころではない、最も樂しい最も意義あることなのであります。

普通世間(ふつう・せけん)に於て慈母(じぼ)の愛に勝る愛はありませんが、それにも勝る絶對無限大(ぜったい・むげんだい)の愛に滿(み)てる此(この)大親にいだかれる事を措(お)いて、何處(どこ)に、安き道があり得(え)られませうか。



大 日 本 ヘ の 理 論 的 世 界 觀


大極(~)は時空(じくう)を超越(ちょうえつ)せるそのまゝの姿です。

其のまゝの姿は卽(すなわ)ち空(くう)でありまして、有(あ)るがまゝの空で――あるがまゝの空とは一切の物が運動を停止した時です。

時は運動に依(よ)る變化(へんか)の尺度(しゃくど)を現すに過ぎません。

運動は又(また)力を生じます。

二對(につい)以上の力の交叉點(こうさてん)に於(おい)て、始めて物を生じます。

力は放力(ほうりょく)と引力(いんりょく)とを同時に生じ、他の二大力と相交叉(あいこうさ)して、他の引くものを放ち、放つものを引く、――故に、停止する事なく、    無始無終(むしむしゅう)に運動を引き起して行きます。

かくて如何(いか)なるものも、引力と放力との作用なきものはありません。

故に一定の物質なく、一定の時間もありません。

換言(かんげん)すれば、萬物一切(ばんぶついっさい)は、力の交叉點にして、交叉點の連續(れんぞく)が存在となります。

力を去つて物なく、又(また)時(とき)もありません。

又(また)變化(へんか)無(な)き所に力なく、變化は二物(にぶつ)以上にして生じ、一物(いちぶつ)なる時は、卽(すなわち)空(くう)です。

空中(くうちゅう)に有(ゆう)の出現(しゅつげん)により、空(くう)と有(ゆう)の交叉點(こうさてん)は、物を發生(はっせい)します。

以上が此(こ)の一大靈光(いちだいれいこう)に依り照破(しょうは)せる大日本ヘの理論的世界觀であります。

――本ヘは萬物(ばんぶつ)を照し出す、靈光を本體(ほんたい)と致します ――



人 道 と 眞 (~) 道 の 相 違


釋迦(しゃか) キリストが法を説き、孔孟(こうもう)が道をヘへてより、数千年の今日に至るも、未(いま)だ世(よ)は聖化(せいか)されません。却(かえ)つて日々惡化する所以(ゆえん)は何處(いずこ)にありませうか。

眞道は、萬古不變(ばんこふへん)の善なるべき筈(はず)であります――先聖偉人(せんせい・いじん)が道をヘへ法を説く前から未だ黒白に轉倒(てんとう)なき如く――   然(しか)るに、道に習はんとして遠ざかる事(こと)千萬里(せんばんり)、今では     見方(みかた)に依(よ)つては鳥獣(ちょうじゅう)よりも道を去る事(こと)遠き     狀態(じょうたい)です。 

      ○

眞理(しんり)にかなふた人生を略言(りゃくげん)すれば、働く事が卽(すなわち)、     樂(たの)しみであり、尚(なお)身(み)は長壽(ちょうじゅ)、業(ぎょう)は繁榮(はんえい)して、而(しか)して、自己の利益は卽(すなわち)社會(しゃかい)の利益と一致(いっち)すべき處(ところ)になければなりません。

然(しか)るに、現在の人の世(よ)の有様を見渡しますれば、自己を利すれば他は    損し、他を樹(た)つれば自己倒るといふ有様(やうす)で、人智(じんち)は誤り用ひられて、人類を衰亡(すいぼう)に導きつつあります。

草木は、自己の不要の養分を求めようとして他(た)を害しません。鳥獣も滿腹(まんぷく)すれば他を奪はず。

人は、奪(うば)ふ事を知つて分(わか)つ事と、足(た)る事を知らず。將(まさ)に死に面して、尚(なお)餘財(よざい)の爲(た)めに、肉身(にくしん)の間にすら敵(てき)を作るのみならず、生きんが爲(た)めの財寶(ざいほう)の下敷(したじき)になって亡(ほろ)びて行きます。

これ人道(じんどう)を習(なら)ひし爲(た)め、今は草木鳥獣(そうもく・ちょうじ

ゅう)よりも眞道を去(さ)る事(こと)日々に遠い有様であります。

財寶(ざいほう)は個人の專有(せんゆう)でなく、社會(しゃかい)あつて得られた財寶であって、自己(じこ)獨(ひと)りで財寶を積む事を得ず 社會の爲めに、天下の財寶をより有效(ゆうこう)に活用し得る程度に應(おう)じてのみ、私有する事が許されそこに權利(けんり)があります。否(いな)、權利ではなく、自己の力を與(あた)へられたる~(かみ)に對(たい)しての、義務(ぎむ)があるのであります。

~(かみ)は全能(ぜんのう)なるも權利(けんり)を主張(しゅちょう)致しません。

天下萬物(てんか・ばんぶつ)ありといへども、一物(いちもつ)だに自己專有(じこ・せんゆう)は許(ゆる)されません。

此(こ)の自(みず)から守るべき處(ところ)の、義務を怠る時は、其印(そのしるし)卽座(そくざ)に現はれ心身共に奪(うば)ひ返(か)へれらるゝ時があります。

眞(しん)の義務を超(こ)へたる時に、權利が生じます。其(そ)の時(とき)人間の義務が生じます。權利と義勢(務?)との對立(たいりつ)、之(こ)れが人間の道であります。

~道(眞道)は一途(いっと)にして、その一途は萬有一切(ばんゆう・いっさい)の    軌道(きどう)にして、此の軌道に反する時は、滅亡に向(むか)う第一歩です。  

~(かみ)は一切萬有(いっさい・ばんゆう)を創造しますが、未(いま)だ權利(けんり)を主張致しません。ましてや吾れ吾れ(われわれ)人間が權利を主張し得(う)る處(ところ)は、寸毫(すんごう)もありません。

自己(じこ)を護(まも)るは、權利(けんり)ではなく、與(あた)へられたる~(かみ)に對(たい)しての義務(ぎむ)であります。

~は一切のものを世に與へ、われわれ自(みず)からが、われわれ自身を護る以上に、護り給ひますけれども、却(かえ)つて人は己(おの)れを損(そ)んじがちです。

~は、人が世に生れ出てより終る迄で、一呼吸(いちこきゅう)だに手落ちなく働   (はたら)かれつつあります。又、米麦(べいばく)一粒(ひとつぶ)といへども、~の道(かみのみち)に反して消化する事を許されません。人(ひと)の知らぬ時、豫知(よち)せぬ時でも、~は伴(とも)にありて一切を指導(しどう)しつつあります。

若(も)し、~の力より離れますれば、目あるも見るを得ず、忽(たちま)ち手足は自由を失ふのみか、一人子(ひとりご?)も奪(うば)はれる事がありませう。

親子夫婦といへども、~に背(そむ)き其(そ)の結(むす)び解(と)くる時は、忽(たちま)ち愛情減し(げんじ)、他人にも劣る敵となる。けれども、~のみは、世の始めより世の終り迄で、人と共にあつて、永久人を守つてゐます。~は偉大であります。

畏敬(いけい)すべきは~(かみ)であります。

身一切(みいっさい)を捧(ささ)げる共(とも)、其(そ)の鴻恩(こうおん)に比すれば、一毛(いちもう)の價値(かち)は愚(おろ)か、其の身の一細胞(いちさいぼう)を掾iま)したる程(ほど)にもかけ合(あ)ひません。

似て非なる時に迷(まよ)ひ生(しょう)じ、迷ひは時たち、距離遠ざかるに從ひて、

憂(うれ)ひは益(ま)します。

~(かみ)は全智全能(ぜんち・ぜんのう)なるものでありますから、如何(いか)なる罪深(つみぶか)き者も、救(すく)はれぬ者はありません。

速(すみや)かに目醒(めざ)めて、頭上(ずじょう)に輝(かがや)く靈光(れいこう)を認(みと)め仰(あお)ぎなば、身邊(しんぺん)は無上(むじょう)の樂園(らくえん)となる事(こと)確實(かくじつ)です。 


無 自 覺 の 道 中


右を見ても、左を見ても、澤山(たくさん)居られる人々は、一體(いったい)何を目的に働いてゐるのでありませうか、それは人間でありますから、夫々(それぞれ)、相當(そうとう)の目標に向つて、進んでゐられる事でせうが、萬一(まんいち)其(そ)の目標がなかつたり、間違つてゐる時は、昔噺(むかしばなし)にある樣(よう)な、辻切りに逢(あ)つた首なし飛脚(ひきゃく)が、文箱(ふみばこ/ふばこ)を擔(かつ)いで道中をしてゐるのと少しも變(かわ)りはありません。

今西に向つて行つたかと思ふと、一寸の出来事に突當(つきあた)り、見當(けんとう)に狂ひが生じ、南に向方(むかいかた?)を轉(てん)じ、又、何かに出逢(であ)ふと方向が狂ふといふて、振返(ふりかえ)つて見直しても、元來(もとき)た出所が分らず、尚更(なおさら)、落着き先は一向(いっこう)に見當(みあた)らず、考へ樣(よう)にも頭は飛んでなし、といつて、じつとしてもゐられず、まゝよと進んで行くうちに、とうとう崖(がけ)から踏み外(はず)し底なし沼に落ち込んで、それでも夢中(むちゅう)で感じずといふて、大地に足もつけず、浮び出られもせず、沼の中間で文箱(ふみばこ/ふばこ)を擔(かつ)いだまゝ、同じ處(ところ)で足拍子(あしびょうし)よく、左右の足を互ひ異ひ(たがいちがい)に動かしている樣(さま)は、なんと不憫(ふびん)と云(い)ふべきではありませんか。

扨(さ)て此(こ)の文箱(ふみばこ/ふばこ)の中には、何が這入(はい)つてゐるのでありませう 若(も)しそれを生みの親が見た時は、なかなか笑い事ではありますまい。

一つ皆さん胸に手を當(あ)てゝ、よく御考へ(おかんがえ)を願ひたい。萬一(まんいち)皆さんの知人に一人でも、此の樣な(このような)方(かた)がありましたら、早速お知らせ下さい。動き止(や)まぬうちに沼より引き上げ、取られた首も新品(しんぴん)と取替(とりか)へておもらひ申し、此の人生の旅を互(たがい)に手を曳(ひ)いてまいりませう。

同じ大親から出た同胞(どうほう)なれば、得ようとして得られぬ影法師(かげぼうし)を追ふて、此(この)貴重な人生を空費する暇(ひま)が少しでもありましたら、大親に對(たい)し、御恩返(ごおんが)へしはおろか、思ひ出しもしなかつたお詫びに、是非無い(ぜひない)力ながらも、此の志(こころざし)だけでも通じてもらいたく救助に盡(つく)したいと思ひます。


各 自 の 居 り 場 所


利他主義(りたしゅぎ)は氣(き)の抜(ぬ)けた芥子(からし)の如く、利己主義(りこしゅぎ)は掻(か)ゆきを掻(か)いて、皮肉(ひにく)を破るが如(ごと)し。

人の世渡(よわた)り船は、自(じ)に片(かた)よるも、他(た)に片(かた)よるも轉覆(てんぷく)の恐(おそ)れあり。

完全(かんぜん)なる物質文化(ぶっしつぶんか)は、完全なる拐~文化(せいしんぶんか)の伴(ともな)ひたる時にのみあり。

眞(しん)に徹底(てってい)する時は、自他(じた)、物心(ぶっしん)、共(とも)に一元(いちげん)にして區別(くべつ)なし。

自他物心(じた・ぶっしん)の區別(くべつ)は、一物(いちぶつ)の陰陽(いんよう)の如(ごと)く、陽面より陽の部を、完全に取り盡(つく)したる時、陰面を存(そん)せず、陰面を取り盡(つく)す時も、陽面を殘(のこ)さず。

何(な)にをするにも、此(こ)の境地に達せざれば、完全に行(おこな)はれず。戦爭(せんそう)をするにも、商買(しょうばい)をするにも又すべての渡世(とせい)の上にも、此(こ)の境地に達すれば、萬人共(ばんにんとも)勝利者たる事を得る不思議の法なり。

今日迄(ま)での法は、一方勝てば一方が負け、こちらが儲(もう)かれば相手が損(そん)をする法にて、此(こ)の法に依(よ)るうちは正し(い)道に入る事が出來ず。

一時(いっとき)榮(さか)ゆる事あるも、必ず後日(ごじつ)禍(わざわ)ひを招(まね)くなり。

假令(たと)へば商賣(しょうばい)を初(はじ)めんとすれば、第一(だいいち)自己と世間を見渡し、如何(いか)にすれば、自己はより多く社會(しゃかい)に盡(つく)し得るかを見て後、商賣(しょうばい)を決定するがよし。

而(しか)して、一擧一動(いっきょいちどう)此(こ)の考(かんが)へにて終始(しゅうし)すべし。

新(か)くいへば利他主義の如(ごと)く聞(きこ)ゆれども、實際(ほんとう)により多く社會(しゃかい)に盡(つく)すには、病弱で、無財よりも 強健で祐aiゆうふく)なる方こそ、一層多く世間(せけん)に盡(つく)す事が出來(でき)る。世間を利益するにも、又(また)自己を丈夫(じょうぶ)にせざれば、出來ざる故(ゆえ)中心點(ちゅうしんてん)を誤らざる事(こと)肝要(かんよう)なり。

此(こ)の中心點(ちゅうしんてん)を得て、商賣(しょうばい)をすれば門前(もんぜん)市(いち)をなす盛況(せいきょう)こそ來(きた)るべし。

又(また)戦爭を爲(な)すにも、必ず此(こ)の絶對(ぜったい)の境地に立たざれば、一時(いっとき)勝つ事あるも、より以上の反動が生じ來(きた)るべし。

病氣、其他(そのた)の事(こと)、あらゆる不平不滿等は、すべて此(こ)の中心點(ちゅうしんてん)をいづれかに、片寄(かたよ)つた證據(しょうこ)と知るべし。

此の境地に立てば、競爭(きょうそう)卽座(そくざ)に止(や)み、共に助け、一人より二人、より多くの人の力の和(わ)にて益々結構(けっこう)なる世の中となる。 


隨  感 録 (ずいかんろく)


一、~(かみ)の善(ぜん)は絶對(ぜったい)と、人の善は相對的(そうたいてき) との所に區別(くべつ)あり。


一、~は光明(こうみょう)そのものにして、絶對(ぜったい)なるが故(ゆえ)に、 善の極致(きょくち)にして一切(いっさい)の陰(かげ)を宿さず。


人と雖(いえど)も~に背かざれば、一切(いっさい)の惡(あく)に逢(あ)ふ事なし。


惡は時(とき)と處(ところ)の別なく陽(~)に反する時、立所(たちどころ)に陰(惡)を生(しょう)づ。之(こ)れ一切惡の根元なり。


一、~(かみ)は時空十方(じくう・じっぽう)を照(てら)して餘(あま)す處(ところ)なし。


今(いま)當(まさ)に死(し)せんとする者も、~(かみ)を認(みと)むるを得(え)ば、忽(たちま)ち永久の生命を得る。


~(かみ)に反(はん)せば人(ひと)、生きながら、死(し)に勝(まさ)る憂(うれ)ひあり。


一、各人(かくじん)共(とも)に、他人(たにん)の味(あじわ)ひ知(し)る能 (あた)はざる、世界(せかい)を各自(かくじ)に有(ゆう)す。(苦樂共に)


一、色相(しきそう)は影(かげ)の如く、捉(とら)へんとして一歩進めば一歩退き、永久(えいきゅう)眞實(しんじつ)を得る事(こと)難(かた)し。


一、目醒(めざ)めよ、而(しか)して心眼(しんがん)を開き、實體(じったい)を 見て迷(まよ)ひを去れ。 


人(ひと)は菓子(かし)の味(あじ)を知つて、飯(めし)の味(あじわ)ひに氣付(きづ)かず。


一、月は詩歌(しいか)になり易(やす)けれど、中天(ちゅうてん)の太陽は詠(よ)まれ難(がた)し。


一、親(おや)の滿(み)ちた愛よりも、他人の一言一品の惠(めぐみ)を喜ぶ。


一、親の恩を知るも、無限の~の愛は知られ難(がた)し。


人は萬貫(まんがん)の富(とみ)を願(ねがわ)づして、一片(いっぺん)の 泡沫(ほうまつ)を求めんとして溺(おぼ)る。


一、自己の力(ちから)と等分(とうぶん)以上の財寶(ざいほう)は重荷(おもに)となり禍(わざわ)ひあつて益(えき)少なし。


世(よ)の一切の財寶(ざいほう)よりも、自己完成(じこかんせい)の價値  (かち)は遙(はる)かに貴(とうと)し。


一、世(よ)の財(ざい)を集むる事(こと)は難(かた)きも、自己完成の自由は  何人(なんぴと)にも與(あた)へられたり。


一、世(よ)にある一切(いっさい)の財寶(ざいほう)と雖(いえど)も、眞道に  立脚(りっきゃく)すれば、自己心中(じこしんちゅう)に遣(つく)り出(いで)ぜざるものなし。


子よ親の呼び聲(ごえ)の耳に入りなば、直(ただ)ちに親元に歸(かえ)り來(きた)るべし。其(そ)の聲(こえ)は、愛兒(あいじ)が親のふところに抱(いだ)かれて見る、惡夢より醒(さ)めしめんとて打(う)ち鳴(な)らす、 警鐘(けいしょう)に外(ほか)ならず、親は遠くに非(あ)らず、各自が眞(しん)に自覚(じかく)したる時、~(かみ)のふところに在(あ)る事に氣づけば、其(そ)の時、人は夢(ゆめ)に求めんとして得られざりし物の他に、夢だに思ひ得ざりし、多くの寶(たから)と、而(しか)して、人の求め盡(つく)し得ざる滿足を持つて、抱擁(ほうよう)さるゝ事に氣づかん。これ空言(くうげん)に非(あ)らず。


長壽(ちょうじゅ)を願(ねが)ふ者は、一日(いちじつ)を空(むな)しうする勿(なか)れ。


人には消化し得(え)ざる多くの日々(にちにち)を與(あた)へられたり。


あたへられたる日々(にちにち)を消化し得て後、長壽(ちょうじゅ)を願へ。 然(しか)らば必ず與(あた)へらるゝべし。


一、最後の日の來(きた)りて、一日の貴重なる事に氣付くとも遅(おそ)し。    不断(ふだん)の一日を尊重せよ。


一、眠れる一年よりも、變化(へんか)ある一日が尊(とうと)し。


人(ひと)は病(や)む時を、公休日(こうきゅうび)と思へ。苦痛は自己鍛練 (じこたんれん)の道場とせよ。苦(く)は反發(はんぱつ)の原動力となる。


一、人(ひと)は~(かみ)の借家人(しゃくやにん)にして、~に對(たい)する  義務を果たさざる者の、家は雨(あめ)洩(も)り、根太(ねだ)朽(く)ち、  寒風(かんぷう)骨(ほね)をさす。自己を護(まも)るは權利(けんり)に   非(あら)ず。~(かみ)に對(たい)する義務(ぎむ)なり。


一、數(かず)は一つに始まり全(ぜん)に復す。全は而(しか)して一つなり。


萬物(ばんぶつ)は空(くう)より出(い)でゝ空(くう)に歸(き)す。


一、~(かみ)は最小(さいしょう)にして最大(さいだい)なり。最小は最大一切萬有(さいだい・いっさいばんゆう)に通(つう)づ。


一、人(ひと)は~(かみ)の細胞(さいぼう)にして、其(そ)の生命(せいめい)は、一細胞中(いちさいぼうちゅう)の一少千世界の主星の中心の、最後の最小一點(さいしょう・いってん)に發生(はっせい)す。之(こ)れ空中只(くうちゅうただ)、一點(いってん)の生命に始まる。


一、空中一點(くうちゅう・いってん)の生命(せいめい)は他物(たぶつ)を集合統一(しゅうごう・とういつ)して、一細胞(いちさいぼう)となり一牙ウ(いちせいちゅう)となり個人(こじん)となり、個人の團結(だんけつ)は社會(しゃかい)、國家(こっか)となり、社會、國家は一大統一(いちだい・とういつ)し 全人類(ぜんじんるい)は~格化(しんかくか)せんとする時(とき)は來(きた)れり。


一、集(しゅう)は生(せい)、散(さん)は滅(めつ)、止(し)は空(くう)なり、故(ゆえ)に集道(しゅうどう)に依(よ)り大命(たいめい)に生(いき)よ。 之(こ)れ~(かみ)より出(い)でゝ~(かみ)に歸(かえ)る道(みち)なり。


一、多食(たしょく)して不消化(ふしょうか)するよりも小食(しょうしょく)にても好(よ)く消化(しょうか)なし、血肉(けつにく)となせ。


一、多(おお)く學(まな)んで消化(しょうか)せざれば、胃(い)に溜(たま)り、苦荷(くか)となりて、力(ちから)生(しょう)ぜず。


一、一冊(いっさつ)の本(ほん)は能(よ)く~(かみ)を造(つく)る 十冊(じっさつ)の本(ほん)は聖人(せいじん)を造(つく)り得(う)るも 萬冊(まんさつ)の本(ほん)は多(おお)く凡人(ぼんじん)を造(つく)る、學問(がくもん)は力(ちから)を得(う)る肥料(ひりょう)に過(す)ぎず。


色相(しきそう)を追(お)ふ者は、盗人(ぬすびと)が盗(ぬす)みし錦(にしき)の衣(ころも)を着て法(ほう)を説くを見て、盗人が錦の衣を着るが法なりと知るが如(ごと)し。


一、親が子をヘ育(きょういく)にするは、言(げん)と行(こう)とを以(も)つてせよ。其(そ)の一致(いっち)せざるを見れば、小供(こども)は其(そ)の言行(げんこう)の一致(いっち)せざるを見習(みなら)ふべし。


一、家(いえ)を治(おさ)め國(くに)を治める者は、言(げん)と行(こう)とを  

以(も)つてせよ。言(げん)は語る時のみなるも、行動は常に止(や)みなし。

一、爲政者(いせいしゃ)は、自己の濁(にご)りたるを反省せずして人の上(うえ)に立つ勿(なか)れ。先(ま)づ、己(おの)れを清めて然(しか)る後(のち)に 人(ひと)を治(おさ)めよ。

一、河上(かわかみ)濁(にご)れば其(そ)の下流(かりゅう)の清者(せいじゃ)迄(ま)で濁(にご)る。其(そ)の濁りたる者(もの)を罰(ばっ)する時(とき)は民(たみ)亡(ほろ)び國(くに)危(あやう)し。

一、國(くに)を治(おさめ)んとするには、其(そ)の川上(かわかみ)を清め、治むる時は、法(ほう)簡單(かんたん)にし罪人(ざいにん)少(すくな)し。下(しも)の罪(つみ)は上(かみ)の罪なり。先(ま)づ己(おの)れを裁(さば)きて後(のち)人(ひと)を裁け。


一、社會(しゃかい)は五體(ごたい)にして、人(ひと)は其(そ)の細胞(さいぼう)の如(ごと)し。五體に不要(ふよう)なる細胞は、體外(たいがい)に排出(はいしゅつ)さるゝも健全(けんぜん)なる細胞は、五體と目的を一つにして病事(やむこと)なし。健全なる細胞は互(たがい)に協力して戰(たたか)はず。

一、國家(こっか)と個人(こじん)の利害(りがい)の矛盾(むじゅん)の極(きわみ)は死病(しびょう)なり。健全(けんぜん)なる國家たらんとすれば、先(ま)づ國家と個人の利害の統一を計(はか)れ。

一、個人間(こじんかん)の鬪爭(とうそう)を止(や)め、地上人類(ちじょう・じんるい)團結(だんけつ)して無限(むげん)の天地(てんち)に一大行進(いちだいこうしん)せよ。

一、~程(かみほど)有難(ありがた)きものなく。因果程(いんがほど)恐(おそ)ろ

しきものなし。其(その)~(かみ)の加護(かご)を忘れ、因果の法則を無視し、

尚(なお)かつ存在(そんざい)し得(え)らるゝ、こそ~の恵(かみのめぐみ)の賜(たまもの)の外(ほか)の何(なに)ものにも非(あ)らず。


一、明日(あす)を知(し)らぬ身(み)を以(も)つて、將來(しょうらい)の果(か)を目的(もくてき)に働(はたら)くこと勿(なか)れ。

一、今日(きょう)あるを忘れて、果(か)を得(え)んとして今日一日(きょういちにち)をゆるがせにする勿(なか)れ。

一、人(ひと)の世(よ)に出(いで)てより今日(こんにち)まで、一呼吸(いちこきゅう)だに手落(てお)ちなく守(まも)り呉(く)れたる、~(かみ)の報恩(ほうおん)に、今日一日(きょういちにち)良心(りょうしん)の命(めい)に従(したが)へ。良心(りょうしん)は~(かみ)の使者(ししゃ)なり。

一、眞(しん)の大成(たいせい)を得るは、足許(あしもと)より善處(ぜんしょ)する外(ほか)に道(みち)なし。

一、人(ひと)は終生(しゅうせい)~(かみ)に報(ほう)ずるとも、自己(じこ)の一細胞(いちさいぼう)を造(つく)りし程(ほど)にも及(およ)ばず。

一、いかに孤立(こりつ)になるとも、忘(わす)れて~(かみ)に背(そむ)かざれ、孤立なりと思ふ心の動きは、~の力の現(あらわ)れと知(し)れ。最後には~より外(ほか)に味方(みかた)なし。背(そむ)くとも~は其(そ)の身(み)を護(まも)るなり。道行(みちゆ)く人(ひと)を如何(いか)で落(おと)さん。 細胞(さいぼう)の一つ一つは知(死?)ねれども、道(みち)さへ行(ゆ)けば、~(かみ)が結(むす)んでて人(ひと)となる。人(ひと)も亦(また)~の道(かみのみち)を歩(あゆ)みなば、此(こ)の世そのまゝ極樂(ごくらく)となる。求(もと)めずとも與(あた)へらるゝは親(おや)と知(し)れ。恩(おん)を返(か)へすは子(こ)の務(つと)め。恩を知らずば~(かみ)見へず  暗(やみ)に彷徨(さまよ)ふ捨小舟(すてこぶね)、捨(す)てられた舟(ふね)も~(かみ)の情(なさけ)で浮(うか)ぶなり。身を舟に心の梶(かじ)を誤(あやま)るな。浮世(うきよ)の波(なみ)に止(や)む間(ま)なければ。進(すす)めど戻(もど)る人の道(ひとのみち)、進んで戻らぬ~の道(かみのみち)、易(やす)くして近(ちか)きは直(なお)き道、曲(まが)らば遠(とお)くて迷(まよ)ひ暗(やみ)となる。強敵(きょうてき)は心の中の惡魔(あくま)なり。惡魔の旗(はた)は「離(り)」の印(しるし)。~の旗は和(わ)の印(しるし)。心の迷(まよ)ひ去る時(とき)は、自己(じこ)と~(かみ)とが和合(わごう)して、家内(かない)が和(わ)して調和(ちょうわ)せば、~(かみ)が加護する~の國(かみのくに)  世界(せかい)の人(ひと)が皆(みな)和(わ)せば、~(かみ)の御體(ごたい)の細胞(さいぼう)となる。


一、種(たね)撒(ま)きは花咲かせ實(み)を得(え)んが爲(た)めである。~ (かみ)は人(ひと)を鬪爭(とうそう)のみの爲(た)めに造らず。平和の花咲かせ、世(よ)を一大~格化(いちだいしんかくか)せんが爲(た)めである。而(しか)して花のみにて咲く花はなし。


一、人(ひと)は此(こ)の世(よ)に來る時、如何(いか)なる荷物(にもつ)を  與(あた)へられしや。


~(かみ)に従(したが)ふ者は、無一物(むいちぶつ)にても健在(けんざい)す。~(かみ)の許(ゆるし)なくば百萬(ひゃくまん)の富(とみ)を積(つ)むも餓死(がし)すべし。


一、人は常に肉(にく)を切つて、黄金(おうごん)を積(つ)まんとす。


一、~(かみ)を忘れし今の人は、黄金(おうごん)の下敷(したじき)となり、知慧(ちえ)の枷(かせ)に縛(しば)られ、全く心身の自由を失(うしな)へり。


一、人(ひと)は天(てん)を飛(と)び、地(ち)をくゞり得(う)るとも、安住(あんじゅう)の地(ち)なし。無知(むち)の幼兒(ようじ)にも劣(おと)る。  此(こ)の知(ち)を捨(す)て眞(しん)の自己(じこ)に歸(か)へれ。安住(あんじゅう)の地(ち)は目前(もくぜん)に開(ひら)かる。


人(ひと)よ自己(じこ)小我(しょうが)の力(ちから)を出す勿(なか)れ。~(かみ)は自己勝手(じこかって)を振舞(ふるま)ふ力(ちから)を與(あた)へられざるが故(ゆえ)に ―― 自己(じこ)の力(ちから)有(あ)りと  思(おも)へる迷(まよ)ひを去(さ)つて、~(かみ)に從(したが)へ、最高(さいこう)の力(ちから)を與(あた)へられん。


一、世界(せかい)十幾億(じゅういくおく)の全人類(ぜんじんるい)は、其(そ)の進(すす)むべき方向(ほうこう)を失(うしな)ひ、そは自己を過信(かしん)して眞理(しんり)に遠ざかりし故(ゆえ)なり。科學(かがく)は人類の知識(ちしき)深度(しんど)にして、眞理(しんり)の極致(きょくち)に非(あ)らず、 眞理(しんり)は絶對(ぜったい)にし(て)、人知(じんち)を以(も)つて註釋(ちゅうしゃく)を入(い)るゝ餘地(よち)なし。


各國(かっこく)、各自(かくじ)に異(ことな)りたると雖(い)へども、一致(いっち)せざる途(みち)は眞理(しんり)に非(あ)らず。其(そ)の異(ことな)りたる處(ところ)に各特長あり。

此(こ)の、現世(げんせ)人類(じんるい)の一大航路(いちだいこうろ)を發見(はっけん)せんには、心眼(しんがん)を開(ひら)き、~(かみ)の示(しめ)す永遠の燈明(とうみょう)に向(むか)つて、猛進(もうしん)の外(ほか)には絶對(ぜったい)に安住(あんじゅう)の彼岸(ひがん)なし。


一、汝(なんじ)は死(し)すべし  然(しか)れども、~(かみ)より與(あた)へられたる生命(せいめい)は死(し)せず、原子(げんし)の幾十萬分(いくじゅうまんぶん)の一(いち)の中に封(ふう)じたる生命は、汝の祖先より汝の子孫に至(いた)る迄(ま)で死せず。~(かみ)は最も小さきものに最も強(つよ)き生命を與(あた)へたり。如何(いか)なる種子(しゅし)も皆(みな)朽(く)ち果(は)つべし  然(しか)れども其(そ)の中に唯(ただ)一つ、朽(く)ちざる生命にして永遠(えいえん)に不思議(ふしぎ)の種(たね)あり。


其(そ)の種(たね)は永遠の果(か)にして、今日(こんにち)生(しょう)ぜしにあらず、種子(しゅし)の種子たる生命は、眞理(しんり)の中に深く根(ね)ざしたる處(ところ)にのみ永久(えいきゅう)の生命(せいめい)あり。

生滅(しょうめつ)は自然(しぜん)の理法(りほう)なるも、眞理(しんり)に生(い)くる者(もの)には死滅(しめつ)なし。


一、人(ひと)の是認(ぜにん)するも、眞(しん)に自己認識(じこにんしき)なき者(もの)は常(つね)に罪悪(ざいあく)を積(つ)む。


一、父母(ふぼ)は人(ひと)なり。汝(なんじ)を産(う)めど汝を置(お)き去(さ)る時(とき)來(きた)る。~(かみ)は~(かみ)なるが故(ゆえ)に、 絶對愛(ぜったいあい)にして汝を置き去る事なし。然(しか)れども汝(なんじ)自己(じこ)を置き去る事(こと)あるべし。


食(しょく)せずして味(あじ)を説(と)く勿(なか)れ。體驗(たいけん)せずしてヘ(おし)ふる時は、似而非(にてひ)なるが故(ゆえ)に、迷(まよ)ひとなり禍(わざわい)と罪(つみ)を生(しょう)ず。全(まった)く異(こと)なる時(とき)は人(ひと)迷(まよ)はず。


一、未(いま)だ通らざる途(みち)をヘ(おし)へるには、未だ通らざる事(こと)を先にヘ(おし)へよ。九人達(たっ)する共(と)も一人禍(わざわ)ひあらば、 ヘ(おし)へざるに勝(まさ)る罪(つみ)あり。


一、各自(かくじ)に良心(りょうしん)あり。誤指(ごし)さるよりは遙(はる)かに易(やす)き道(みち)を各自(かくじ)に見出(みいだ)し得(う)る。


一、眞(しん)に知(し)る者(もの)のヘ(おしえ)る時(とき)は、千里(せんり)の道(みち)も一歩にて到(たっ)するに難(かた)からず。


一、墨(すみ)の中に居(い)て墨を知らず。人(ひと)の體内(たいない)に居て人を知る事を得(え)ず。腹中の蟲(むし)全身を呑(の)み難(がた)し。眞(しん)の自己(じこ)を知るは、自己を離(はな)れたる時(とき)に得(え)らる。


自己(じこ)に靈(れい)あるも未(いま)だ見(み)しものなきが如(ごと)く、宇宙本體(うちゅうほんたい)に大神靈(だいしんれい)あるも捉(とら)へ見るを得(え)ず、唯(ただ)靈(れい)は靈(れい)によつてのみ知(し)る。自己に自己あるは、宇宙本體(うちゅうほんたい)に神靈(しんれい)ある確證(かくしょう)なり。


~(かみ)の敵(てき)は自己(じこ)心中(しんちゅう)の惡魔(あくま)のみ、~(かみ)に組(くみ)して汝(なんじ)心中(しんちゅう)の惡魔(あくま)と戰(たたか)へ、然(しか)る時(とき)~の子(かみのこ)として最大の勝利者たる事を得る。


一、惡魔(あくま)を征伏(せいふく)するは、~(かみ)と~に從(したが)ふ眞人(しんじん)のみに得(え)らる。人は~の子にして、~は人の味方(みかた)なり。~は人を惡魔の手より救(すく)はんとして汝(なんじ)と戰(たたか)はん。


一大靈軍(いちだいれいぐん)の許(もと)に團結(だんけつ)せよ、此(こ)の外(ほか)に優勝者(ゆうしょうしゃ)たる途(みち)なし。此(こ)の一大~軍(いちだいしんぐん)には敵中(てきちゅう)に味方(みかた)現(あらわ)れ 反(はん)する者(もの)は味方(みかた)の中に敵(てき)現(あら)はる。

~軍(しんぐん)に敵はなし。~軍に反する者の銃口(じゅうこう)は己(おのれ)に向(むか)ふ。危(あやう)し危し。 


一大勇猛心(いちだいゆうもうしん)を以(も)つて~軍(しんぐん)に参加(さんか)せんか、忽(たちま)ち萬人(ばんにん)彼(か)れの味方(みかた)となる。況(いわ)んや一國(いっこく)團結(だんけつ)して艶i(しょうじん)なさんか、忽(たちま)ち暗雲(あんうん)去つて、光明無上(こうみょう・むじょう)の理想社會(りそうしゃかい)は足下(そっか)に展開(てんかい)せん。


一、~(かみ)も亦(また)怒(いか)りもし笑(わら)ひもし泣(な)きもす、   去(さ)りながら、人と~とに區別(くべつ)あり、~の怒りは生かす爲(た)め、人の怒りは身を殺す。~に從(したが)へ~の子となれ、不死の世界はそこにある。

一、世界非常時(せかいひじょうじ)とは、~(かみ)と惡魔(あくま)の戰(たたか)ひなり。而(しか)して惡魔は人(ひと)の力強き事を望む。人の力を利用して常に人を征服(せいふく)し得(う)るが故(ゆえ)に。


一、今(いま)や天下に一大動搖(いちだいどうよう)の起(おこ)らんとする氣配(けはい)歴然(れきぜん)たり。醒(さ)むべし、醒むべし。醒(さ)めて此(こ)の最大最高の難關(なんかん)を突破(とっぱ)せざるべからず。人類(じんるい)互(たがい)に相反目(あいはんもく)して爭(あらそ)ふ時(とき)に非(あ)らず。來(き)たりて一丸(いちがん)となれ。然(しか)らざれば滅亡(めつぼう)の時期(じき)目前(もくぜん)に迫(せま)り來(きた)る。此(こ)の一大逆風(いちだいぎゃくふう)は~(かみ)に背(そむ)きし神罰(しんばつ)による大嵐(おおあらし)なり。

一、小人(しょうにん)は常(つね)に一日(いちじつ)の収入の爲(た)めに身を危地(きち)にをいて平然(へいぜん)として居(い)るが、天下國家(てんかこっか)の爲(ため)には恐れをなして色(いろ)を失(うしな)ふ。
  

一、大人(たいじん)は小事(しょうじ)の爲(ため)には身を危地(きち)に置くを 恐れど 天下國家(てんかこっか)の爲(た)めに身を捨(す)て靈(れい)に生(いき)る事を樂(たのし)む(それは時空を超越せる超世界あるを知るが故に)

一、悟道(ごどう)とは白刀を磨澄(みがきすま)したる刃先(はさき)よりも尚(な)ほ薄事(うすきこと)百千萬分、右より悟りの道に上(のぼ)つたと思ひし時は左に落ちたしるしなり。


一、眞(しん)の大悟(たいご)したる者(もの)に大悟(たいご)なし 左、も右もなく上(のぼ)りもせねば落(おち)もせず 只々(ただただ)自覺(じかく)して一念(いちねん)を以(も)つて通(とお)る道中(どうちゅう)を云(い)ふ。

一、~(かみ)は依(よ)り大(おおい)なる事(こと)に一生をさゝげる者(もの)に大(おおい)なる生命(せいめい)を與(あた)へらる。

一、一切萬物(いっさいばんぶつ)に決定的善惡(けっていてきぜんあく)はなし、只(ただ)用法(ようほう)に依(よ)つて始めて善惡(ぜんあく)生(しょう)ず、一切の物(もの)を善用(ぜんよう)する處(ところ)に~(かみ)の道あり 併(しか)して、人の歩む可(べ)き誠(まこと)の道がそこにある。

一、人(ひと)は常に來(きた)りて常に去(さ)り留守(るす)がちなり、~(かみ)は人の生(うま)れざる前より死後に至るも人と離れず、故(ゆえ)に~は人の生命にして、~を離(はなれ)て人の生命のある事なし、萬物一切(ばんぶついっさい)~(かみ)に從(したが)ふ處(ところ)にのみ全(まった)き者(もの)あり。

一、世(よ)は變化(へんか)限りなし、故(ゆえ)、に色相(しきそう)に迷(まよ)ふなかれ 汝(なんじ)は汝の立可(たつべ)きところにのみ汝(なんじ)最高の道あり。


一、他(た)を奪(うば)ふなかれ 他は汝(なんじ)の母體(ぼたい)にして他と汝の結合(けつごう)は明日の汝を造る 他を一部(いちぶ)破壞(はかい)する時は 自己(じこ)の細胞(さいぼう)の破壞(はかい)なり。

一、直線(ちょくせん)は ~の道(かみのみち)にして 人の通る誠の道(まことのみち)なり、曲線(きょくせん)は 人のみ通る道にして 勞(ろう)して功(こう) 少(すく)なし。


競爭(きょうそう)は人(ひと)を惡化(あっか)す ~(かみ)に競爭なく協力 一致(きょうりょくいっち)あるのみ、眞(しん)の優勝者は世間(せけん)と 調和(ちょうわ)する處(ところ)にのみあり。

一、一人(ひとり)は一人なるも 二は三を生(しょう)ず、云(い)わんや、萬人(ばんにん)は萬人で止(とどま)る事なし、なんぞ戰(たたか)つて自滅(じめつ)を望(のぞ)まんや、亡(ほろ)ぼす事(こと)は亡ぼさるゝ種蒔(たねまき)なり     奪(うば)ふな  與(あた)へよ 實(みの)らん。

一、權利(けんり)は人の世渡(よわた)り道中(どうちゅう)の重き荷物(にもつ)にして 義務(ぎむ)の履行(りこう)は借金の支拂(しはらい)の如(ごと)し、 義務を履行(りこう)する時は 身(み)輕(かる)く 眞(しん)の自由(じゆう)を得(え)らる。

一、人(ひと)の現在(げんざい)は過去(かこ)に於(お)ける行動(こうどう)の 集積結晶(しゅうせき・けっしょう)なり、故(ゆえ)に堅固(けんご)なる信念 (しんねん)を基礎(きそ)とし、用材(ようざい)を選擇(せんたく)して自己を建設せよ 暴風(ぼうふう)の來(きた)るに 時(とき)と道(みち)なし。

一、~(かみ)に對(たい)して人(ひと)は少しの蔭事(かくしごと)もなすを得ず 一擧手一投足(いっきょしゅ・いっとうそく)は次の自己建設の用材(ようざい)と なる、用材を選擇(せんたく)せざれば其(そ)の身(み)危(あやう)し。

一、人(ひと)の一擧手一投足(いっきょしゅ・いっとうそく)は永遠(えいえん)の 果(か)を生(しょう)ず 一毛(いちもう)一細胞(いちさいぼう)にも世(よ)の始(はじ)めより一切(いっさい)の行果(こうか?)現(あらわ)る 恐(おそ)る可(べ)し。


一、子(こ)の親(おや)に似(に)るを見(み)て 一牙ウ(いちせいちゅう)にまで 

因果(いんが)の刻印(こくいん)あるを物語(ものがた)つて餘(あま)りあり。


一、~(かみ)は公平(こうへい)にして 最大より最少に至(いた)るまで違算      

(いさん)ある事(こと)なし(顔形(かおかたち)聲色(こわいろ)に至るまで)


一、~(かみ)に(一大靈光(いちだいれいこう))逢(あわ)ざる前に 姿(すがた)   

  整(ととの)へよ 而(しか)らざれば光(ひか)り出(いで)て己(おのれ)の姿(すがた)醜(みにく)きに恥(は)じて 永久(えいきゅう)に暗(やみ)より出(いづ)るを得(え)ず。


一、~(かみ)の曳(ひ)く大地(だいち)に住(す)む人(ひと)の評定(ひょうてい  

/ひょうじょう)は 人(ひと)の曳(ひ)く荷車(にぐるま)の上(うえ)で 蟻(あり)が方角(ほうがく)の抗(くい)を打(う)てるが如(ごと)し。 


今 の 世 の 姿


諸君(しょくん)、世の中も大分(だいぶん)混亂(こんらん)して參(まい)りました。此(こ)の先(さ)きに來るものは、如何(いか)なるものでありませうか。

先(ま)づ上から眺(ながめ)ますと、各國(かっこく)の軍備の擴張(かくちょう)ですネ。かうもお互(たがい)の國(くに)が、競爭(きょうそう)で殺人器を製造して、それで人が安心できませうか。皆(み)なが生きんが爲(た)めに、人殺しの器具を造るとは、實(じつ)に不思議(ふしぎ)でなりませぬ。

それから内を見ますと、丁度(ちょうど)親父(おやじ)の品は高いから、息子は他人の品を買(こ)ふて、喜んでゐるといふ有樣(ありさま)で、それで家の經済(けいざい)がどうなるのでせうか。

又(また)、折角(せっかく)人間の爲(た)めに發明(はつめい)した、機械の爲(た)めに、多くの人が次々と失業して行く。

仕舞(しまい)には、人間を此(こ)の世(よ)からへらして、全地上に優秀(ゆうしゅう)な機械を据(す)へつけて、飯(めし)も喰(く)はずに活(い)きる薬を發明(はつめい)して、働かず、食(く)はず、飲まずに行ける所(ところ)迄(ま)で進めねば、今の人間は、現代の競爭(きょうそう)は止(と)められぬらしいです。

歩いて間(ま)に合(あ)はないで、自轉車(じてんしゃ)で間に合(あわ)ず、汽車で間に合はないで、飛行機で間に合はないでとうとう仕舞(しまい)には、生(うま)れるとすぐ死ななければ間に合はなくなるのではないかと思(おも)ひます。

それにお金(かね)ですネ。お金は大變(たいへん)結構(けっこう)なものではありますが、それは思(おも)ふ物が得(え)られるからであつて、萬一(まんいち)思(おも)ふ物が得られなければ、却(かえ)つて無用(むよう)の邪魔物(じゃまもの)となるばかりでなく、今は其(そ)の金を、眞(しん)に有效(ゆうこう)に使ふ事を知らず、罪(つみ)を犯(おか)して迄(ま)で、金を溜(た)める者が日掾iひま)して掾iふ)へて參(まい)りました。

これがまだまだ生存競爭(せいぞんきょうそう)が激(はげ)しくなりますと、飯(めし)を食ふ暇(ひま)もなく、金袋(かねぶくろ)を背負(せお)ふて、一生(いっしょう)走らにや(はしらにゃ)ならなくなりそうです。

此(こ)の儘(まま)で進むものなら、遠(とお)からず、白晝(はくちゅう)人間の皮(かわ)で面なし、枝の生(は)えた角(つの)に白い牙(きば)をむき出し、赤い口から火の樣(よう)な舌(した)を、人肉に差込(さしこ)み、生血(いきち)を吸う者が、至る處(いたるところ)に横行(おうこう)する時(とき)が來(き)はしないかと安(あん)ぜられます。

今の世の人に、それ程(ほど)惡人(あくにん)は見受(みう)けられませんが、萬一(まんいち)惡(わる)い人があつて、それが人を裁(さば)いたり、人の脈(みゃく)を取らうものなら、覆面(ふくめん)の鬼と化(か)しはせぬか。若(も)しふく面の鬼が黄金(おうごん)を得(う)る爲(た)めに脈をとらうものなら、病(やまい)を癒(いや)す事よりも、如何(いか)にして、黄金をより多く、しぼり取らうかと、工夫(くふう)しだすでせう。其(そ)の時のメスは生命(せいめい)のきはを流れて居る  血管(けっかん)の中より黄金(おうごん)を白晝(はくちゅう)ゑり出してあるのです。若(も)しそういふ樣(よう)な時が來たら、皆、人間の皮をかむつてゐますから、鬼と人間の見別(みわ)けがつかず、安心して見てもらつて居るうちに、骨と皮とになり氣付(きづ)いた時は、財布も空(から)になり命のも九分九厘(くぶくりん)切れ、地獄(じごく)に陥(おちい)る外(ほか)すべがなくなります。

其(そ)の惡鬼(あくき)は大軍をひきいて、垣根(かきね)の際(きわ)迄(ま)で押し寄せて來(き)ました。もうぐずぐずしてゐると皆さんの御體(おからだ)の中迄(なかま)で、食入(くいい)つて來(き)そうです。そふなつては大變(たいへん)です。萬一(まんいち)そうなると、

惡魔(あくま)を追ひ出すには、自分をも垣根外(かきねがい)に締(し)め出さねばならなくなります。そうなつては全(まった)くおしまひです。垣根の外に居る間は防(ふせ)ぎ易(やす)いが、各自(かくじ)の心中に這入(はい)り込(こま)れては、命懸(いのちが)けの療法を加へぬと、魔病(まびょう)の退治(たいじ)は出來(でき)にくゝなります。

惡魔(あくま)は大勢(おおぜい)です。一人(ひとり)の力(ちから)では決して 防(ふせ)げません。協力一致(きょうりょく・いっち)、大魔軍(だいまぐん)と、 戰(たたか)はふではありませんか。

それには、利己的(りこてき)な考(かんが)へを捨(す)て眞道に立ち歸(か)へるより外(ほか)に絶對(ぜったい)他(た)に良法(りょうほう)はありません。

人間の考へはきつと、利己的になります。他人(たにん)を縛(しば)るべく造つた繩(なわ)は、却(かえ)つて自分(じぶん)が縛(しば)られる事(こと)になります。

 

眞 の 自 己 の 動 き


世(よ)の一切(いっさい)は決して、過去(かこ)の人々(ひとびと)が考(かんが)へてゐる樣(よう)な、確定的(かくていてき)なものではなく、又(また)同一物(どういつぶつ)が二つは有り得ない(ありえない)のであります。同一(どういつ)でも昨日(さくじつ)と今日では大いに異(ことな)つて居(お)ります。

隣(とな)りの太郎さんは、昨日の太郎さんに少しも變(かわ)りはない樣(よう)ですが、よく調べて見ると、大變(たいへん)な變(かわ)りがあるので、今日生(うま)れた赤ん坊が、六十年後には白髪(はくはつ)の老人と變(かわ)る、その、一日だけの變(かわ)りは必(かなら)ずあるので、百年の間には、牙ウ(せいちゅう)より胎兒(たいじ)となり、生(うま)れ出て成人し、やがて白髪(はくはつ)より墓穴(ぼけつ)の土(つち)となるまで、一日として一刻(いっこく)として變化(へんか)せずには居(お)りません。

變化(へんか)限(かぎ)りなき此(こ)の世(よ)を、變化なきものと、誤認(ごにん)する處(ところ)に、一切の迷(まよ)ひが生(しょう)じるのであります。

然(しか)らば、迷(まよい)はない正しい途(みち)は何處(どこ)にあるのでせうか。それは、變化(へんか)の一大法則により萬事(ばんじ)を遂行(すいこう)する外(ほか)に正しき途(みち)は、絶對(ぜったい)に存(そん)しないのであります。

波浪(はろう)に對(たい)する水平線の如(ごと)く、一切萬有(いっさい・ばんゆう)を一貫(いっかん)して、此(こ)の一點(いってん)より萬方(ばんぽう)に進展し、又(また)此(こ)の最終一點(さいしゅう・いってん)に萬有(ばんゆう)を歸着(きちゃく)せしむる處(ところ)の、その不變(ふへん)の一點(いってん)に立脚(りっきゃく)する處(ところ)にのみ、迷(まよ)はざる眞(しん)の居(お)り場所(ばしょ)があるのであります。

此處(ここ)に初めて、永劫不滅(えいごうふめつ)の一大生命(いちだいせいめい)があり、自他超越(じたちょうえつ)せる大我(たいが)に生(い)くる道(みち)があるのであります。

萬有進展(ばんゆうしんてん)は歸一(きいつ)の初(はじ)めであり、分解は綜合の元(もと)です。萬物(ばんぶつ)は最初の最少一點(さいしょういってん)に出發(しゅっぱつ)なし、進展分離(しんてんぶんり)して、現(あら)はれた萬有は、又同時に綜合統一して、最後の一點に歸納(きのう)しつつあります。

此(こ)の法則(ほうそく)の許(もと)に、萬物は一瞬にして展開歸納(てんかい・きのう)しつつあります。

今や人類は其(そ)の、一大轉換期(いちだいてんかんき)に直面して千歳(千載)一遇(せんざい・いちぐう)の時に逢著(おうちゃく/ほうちゃく)しました。

人類も、細胞(さいぼう)より生蟲(せいちゅう)、生蟲より個人(こじん)、個人より社會(しゃかい)、最後には綜合統一せる、自他超越(じたちょうえつ)の大我(たいが)の域(いき)に進まんとして、一大轉換期(いちだいてんかんき)に直面して居(い)るのであります。

此(こ)の自然の法則たる、變化(へんか)に順應(じゅんおう)せざる時は、滅亡(めつぼう)あるのみです。一生物を内觀(ないかん)すれば、無數(むすう)の細胞が綜合統一して、各一細胞の小觀(しょうかん)を離れて、自然の一大法則の元に運行する處(ところ)に一小生命が生み出されてゐるのであります。

今や、地上の人類は個人を超越せる一大生命に生(うま)れ出(い)でんとして居(い)るのであります、これが最後の最大なる綜合統一の時です。こゝに至(いた)つて始(はじ)めて自己の爲(ため)は社會の爲(た)め、個人の爲めは國家の爲(ため)となり、差別の中に眞の平等があり、萬人共(ばんにんとも)に一體(いったい)となり各自(かくじ)~(かみ)の御體(ごたい)の細胞の如(ごと)く、個人は社會の一細胞となって動(うご)く時に始(はじめ)て今の世(よ)の矛盾(むじゅん)は解消(かいしょう)出來(でき)るのであります、かくして原子(げんし)より細胞(さいぼう)、細胞より牙ウ(せいちゅう)、牙ウより胎子(たいし)、胎子より個人、個人は社會の一細胞となつてこゝに一大~格(いちだいしんかく)が生(うま)れ出(で)んとして居(い)るのが 今の吾れ吾れ(われわれ)の姿(すがた)であります。

 




世 の 爭(あらそい) の 姿


近頃(ちかごろ)は到る處(いたるところ)に爭(あらそい)が起(お)きて來(き)ました、大別(たいべつ)しますと物質文化と艶S文化(せいしんぶんか)、資本家と無資産者(むしさんしゃ)(階級)の爭(あらそ)ひ、國は國との爭ひ、同業者同士の爭、親子は新舊思想(しんきゅうしそう)の爭、自己心中(じこしんちゅう)には進退二派(しんたいには)の爭ひの、大は國家(こっか)より小は自己心中(じこしんちゅう)に至(いた)るまで爭ひの無(な)い所(ところ)はありません。

此(こ)の爭(あらそ)ひの罪(つみ)は決して相手方(あいてかた)のみにあるのでなく 其(そ)の大部分(だいぶぶん)は 自己心中(じこしんちゅう)に發生(はっせい)して居(お)ります。萬一(まんいち)有産者階級(ゆうさんしゃかいきゅう)を惡(わる)く思(おも)ふ者(もの)があるとしますと「事實(じじつ)に於(おい)て惡人(あくにん)もありますが其(そ)の惡人の數(かず)は無産者中(むさんしゃちゅう)の惡人と正比例(せいひれい)します」

其(そ)の者(もの)が幸(さいわい)にして百萬(ひゃくまん)の富(とみ)を得たとしたならば、其の時(とき)心境(しんきょう)に變化(へんか)を來(き)たしはせぬでせうか、萬一(まんいち)、一般有産者階級(いっぱんゆうさんしゃかいきゅう)と同じ心理狀態(しんりじょうたい)になるとしたなれば、有産者(ゆうさんしゃ)其(そ)の者(もの)に罪(つみ)があるのでなく、もつと深(ふか)い所に根差(ねざ)して居(い)るのではありますまいか、そうであるとしますと階級(かいきゅう)の上下(じょうげ)に向(むか)つて流れ出て居る惡(あく)の源(みなもと)を斷(たた)ねば駄目(だめ)であります、其(そ)の惡(あく)の種(たね)は上下の別なく日掾iひま)しに成長してきます、又(また)有産者も富の價値(かち)の何處(どこ)にあるか眞(しん)に自覺(じかく)せぬ時は其の財(ざい)の下敷(したじき)となつて禍(わざわ)ひの淵(ふち)に沈み行く者(もの)もあり、又(また)巨萬(きょまん)の富(とみ)を集め尚(なお)飽(あ)く事(こと)なく、社會組織(しゃかいそしき)の不合理(ふごうり)を惡用(あくよう)なし取返(とりかえ)しのつかぬ犯罪者となり鐡窓(てっそう)の中に呻吟(しんぎん)する者が益々掾iふえ)て參(まい)ります。それ故(ゆえ)社會現象(しゃかいげんしょう)を皮相(ひそう)のみで觀察(かんさつ)なし輕率(けいそつ)に事(こと)を計(はか)れば人類は滅亡に向(むか)ふ外(ほか)ありません。

此處(ここ)に二人の旅人があつて、道中で出逢(でお)ふた、正直な一人の話を聞いて居(お)りますと、此(こ)の先に險阻(けんそ)な山路(やまみち/やまじ)の中程(なかほど)で年老いた旅人が永旅(ながたび)に寄せ集めた財寶(ざいほう)を持ち行倒(ゆきだお)れて居(い)る事(こと)を聞き、二人は心中(しんちゅう)小躍(こおど)りして、互(たがい)に心の内を祕(ひ)しつゝ出發(しゅっぱつ)したが何分(なにぶん)一人が非常に足達者(あしだっしゃ)でどうしても追ひ越す事が出來(でき)ず遂(つい)に現場に來(き)て見た處(ところ)が老人は事切(ことき)れて寶物(たからもの)は何一物(なにいちぶつ)も殘(のこ)されて無(な)いので後の旅人は殘念(ざんねん)がり早速(さっそく)其(そ)の事を村人に訴(うった)へて大勢(おおぜい)して追ひかけましたが何分(なにぶん)先の男は非常な大力で一人同士では、とても及ぶところではなかつたが村人(むらびと)の應援(おうえん)を得て遂(つい)に大喧嘩(おおげんか)となり、お互(たがい)の身(み)は血塗(ちぬ)れとなり 耳(みみ)は缺(か)け鼻は歪(ゆが)み手足の自由(じゆう)さえ思ふ樣(よう)にならなくなり、気附(きづ)いた時は折角(せっかく)目的にして居(お)つた財寶(ざいほう)は大部分(だいぶぶん)は踏(ふ)み躙(にじ)られ、多少ましな物は何人(なにびと/なんぴと)ともなく持ち去られてしまいました。

其處(そこ)へ一人の婦人(ふじん)が我が夫と息子二人の歸(かえ)りの遲(おそ)いのを案(あん)じ村堺(むらざかい)まで來(き)て此(こ)の噂(うわさ)を聞き、駈(かけ)つけてよくよく見ると二人の旅人(たびびと)は紛(まご)ふ方(かた)なき我が子であつた。それはまだ二人が幼少(ようしょう)の頃(ころ)父に連れられて遠國(えんごく)に旅立つたが 一人は智(ち)の修業 一人は肉(にく)の修業の爲、兄弟を離れ離れ(はなればなれ)の處(ところ)に置き 歸(かえ)る時刻(じこく)のみ言ひ聞かせて自分は、それより當て所(あてど)もなく旅に出てしまつたが、可愛(かわいい)我が子や家に居る女房を喜ばさんと永年苦勞(ながねんくろう)して集めた財寶(ざいほう)を持つて我が子等の歸(かえ)る一足(ひとあし)先きに出發、途中あの險阻(けんそ)な山路(やまみち/やまじ)に差(さし)かゝつて遂(つい)に命(いのち)を絶(た)つてしまつたのであります、其(そ)の事(こと)を聞かされた二人は全く驚(おどろ)き悲(かなし)む外(ほか)ありませんでした、あの老人(ろうじん)に逢(あ)つた時、兄の智慧(ちえ)の力と弟の肉(にく)の力で介抱(かいほう)すれば充分(じゅうぶん)に蘇生(そせい)出來(でき)三人連れ立(つれだ)つて母の元(もと)に歸(かえ)り四人打ち揃(うちそろ)へば奪(うば)ひあつた財寶(ざいほう)に數倍勝(すうばいまさ)る喜びがあるものを、知らぬ事とは言ひながら、財寶(ざいほう)慾(ほ)しさに助かる老人も見殺(みごろし)に、そして死を待(ま)ち兼(か)ねて持ち去つた財寶(ざいほう)の爲(ため)に遂(つい)に兄弟共(きょうだいとも)に見る影も無き姿となつて永年苦勞(ながねんくろう)して集められた財寶(ざいほう)は 互(たがい)に奪(うば)はずとも與(あた)へられるものを奪合(うばいあ)ひした故(ゆえ)寸前(すんぜん)にして遂(つい)に一切(いっさい)の喜びを破壞(はかい)し、身(み)は淺(あさ)ましい姿と變(かわ)つてしまひました。而(しか)し 母(はは)は何人(なにびと/なんぴと)をも憎(にく)む事が出來(でき)ぬのみか  留守中に歸(かえ)り來(きた)る、夫(おっと)や子等(こら)を喜ばさんと谷々山々(たにたに・やまやま)と探(さが)し尋(たず)ねる其(そ)の内(うち)に世(よ)の始(はじめ)より藏(かく)されてある、寶(たから)の山を見出(みいだ)してありました。母は早速(さっそく)其處(そこ)へ兄弟を導き 不思議の三つの鍵(かぎ)を取り出し、智の鍵を兄に 肉の鍵を弟に 母は愛の鍵を持ち 三人(さんにん)の力(ちから)によって寶庫(ほうこ)を開き 中(なか)より三世(さんぜ)を見(み)る眼鏡(めがね)や 不死(ふし)の靈薬(れいやく) それから 如意(にょい)の玉や 三界飛翼(さんがいひよく)の羽根(はね)を得ましたので 早速(さっそく)父の死體(したい)の處(ところ)に來(き)て其の靈薬を呑(の)ますと 不思議(ふしぎ)にも蘇生(そせい)致(いた)しました。 之(こ)れで末永(すえなが)く平和(へいわ)な 日送り(ひおくり)が出來(でき)る事(こと)になりました。 偖(さ)て 之(これ)わ   何(なに)を 物語(ものがた)つて居(い)るのでせう。

     









昭和十一年四月十五日 印刷   昭和十一年四月二十日 發行  定價金十錢

 

  發行兼編輯・印刷人 大阪市西區西長堀北通三ノ一一  大 塚  靈 妙

          印刷所 東京市麴町區飯田町一ノ二四    新興社印刷部

          發行所 大阪市西區西長堀北通三ノ一一  靈  源  閣 
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